崇拝
石で作られた冷たい台の上に寝かされたまま、アイリスは黒く染まっている虚空を見つめていた。
時間がどのくらい経ったのかは分からない。クロイド達と魔具調査課にいたのは夕方だった。それから、長い時間が経ったのかは分からないが、日は越していないと思う。
こんな時だからなのか、空腹感は感じられない。
緊張と不安のせいかもしれないが、空腹感がそれほどないということは、思っているよりも時間は経っていない可能性もある。
誰もいない間に何とか逃れようと長い間、縛られた腕と足をどうにか自由にすることが出来ないか動かしていたが、縄が身体に張り付くように縛ってあるため、皮膚が擦れて痛みが増していくだけだった。
今の姿はかなり無様だ。
敵に丸腰で、手を上げて戦っているようなものだ。
……クロイドとミレットは大丈夫かしら。
あの二人はここにはいない。それならば自分がいないことに気付いてくれているはずだ。
だが、ここがどこなのか分からない以上、助けに来てくれるかどうかは分からない。
恐らく、この場にラザリーの他にたくさんの人間がいるはずだ。
アイリスは意識を集中させて、周りの音を聞いてみる。何か布のようなものに自分の周りが遮られているのか、自身が呼吸する音しか響かない。
それでも、遮りがある向こう側に何かがいるような気配はする。話し声は無いが息遣いがかすかに聞こえた。
その時、足音が二つ程、アイリスに向かって響いてくる。
ラザリーにしては重い足音に、アイリスは思わず身構えた。
「――やあ、アイリス君」
妙に馴れ馴れしい声にアイリスは伏せていた目を開き、そして睨むように細めた。
「スティル・パトル……」
アイリスの視界の範囲に入ってきたのは一つの影だった。
フードを深く被った姿は、一昨日の夜にラザリーを追い詰めた際、ウィリアムズの傍にいた部下の姿そのものだ。やはり、あれはスティルだったのだ。
「また会えて光栄だよ」
「私は二度とお会いしなくてもいいと思っていたわ」
「ははっ。緊張しているのかい? それはそうだろうね。でも大丈夫。きっと上手く行くさ。今までずっと密かに研究されていたからね。今日はその集大成ってやつだよ」
「……私に何をする気? まさか本当にエイレーンの魂を呼ぶつもりじゃないでしょうね?」
「呼ぶ? それだけのためにこんなことはしないよ。ですよね、セドさん」
フードを脱いで、スティルは後ろを振り返る。
もう一つの足音の正体はセド・ウィリアムズだった。彼もまた、ラザリーのように黒い服で統一されたものを着ており、まるで儀式前の魔法使いのようだ。
「……誰も彼女に話していなかったのか?」
ウィリアムズの色のない表情がアイリスの方へと向けられる。
「……」
細められて、何を考えているか全く分からないウィリアムズの視線がアイリスにとっては一番不気味に思えた。
「あれ? ラザリーが話していると思ったんですけど。まあ、いいか。……君は今日、偉大な魔女になれるのさ」
「はぁ?」
高々と浪漫を語る男のようにスティルはうっとりと言葉を続ける。
「僕はね、常々思っていたんだ。アイリス・ローレンス……君はあの偉大な魔女、エイレーンの子孫なのに、魔力が無いなんて、何て可哀想なんだろうって」
あまりにも的外れなアイリスへの感情に思わず舌打ちしそうになった。
「エイレーンは凄いよ。彼女には世界を滅ぼせる程の力があったというからね」
確かに話ではそう聞いている。
だが、自分は彼女が偉大だとは思えなった。
「でも、君は可哀想な子だ。家族を魔物に殺されて、今はこうして『魔力無し』として、頑張っている。何て健気だろうと君を初めて見た時、そう思ったよ」
ふと、ミレットが言っていた言葉を思い出す。
スティルが修道課から、祓魔課へ異動した時期はアイリスが入団した後だと。
「そんな君にエイレーンのように素晴らしい魔力があれば、どれほどいいだろうと思った。そうすれば、自分の仇をすぐにでも討ち取れるはずさ。そのために、君の中にエイレーンの魂を降ろしたいと思っているんだ」
まるで、自分が善人としてそれを行っているのだと言わんばかりの態度にアイリスは腹の底から熱いものが溢れ出てきそうになっていた。
「……勝手に人を可哀想だなんて決めつけないで」
地面の底から這い上がって来るような声にスティルは首を傾げながらアイリスを見る。
「私は自分を可哀想だなんて思わない。それに魔力が欲しいなんて、あなた達に願った覚えはないわ。正直に言って、迷惑よ。私は……私は、魔力はいらない。自分の力で仇を討つわ。勝手な事をしないで」
はっきりとそう告げるとスティルは心外だと言うように眉を寄せる。
「あの偉大な魔女の力が手に入るんだよ? 嬉しくないのかい?」
「ないわ。欲しくもないし、必要としていないもの」
「でも、君は受け継いでいるのだろう?」
「何をよ」
「――アイリス・エイレーン・ローレンス」
「っ!」
スティルが綴る名前を聞いたアイリスは途端に凍り付く。どうしてそれを知っているのかと言わんばかりに目を大きく見開くと彼はにんまりと笑った。
「君の事は色々調べたからね。ローレンス家は女系で、当主となる女性が代々『エイレーン』の名前を受け継ぐんだろう? 君の母も祖母もそうやって『エイレーン』の名前を語り継いで守ってきたそうじゃないか」
ローレンスの家では当主の座が代わる度に、自分の名前と一緒に「エイレーン」の名前を入れて受け継いできていた。
それがいつから行われていたかは分からない。
はっきりと分かるのは彼女の行ったこと、望んだことを忘れないように、そして彼女の想いを受け継ぐためだ。
次の世もエイレーンが望んだ未来を見届けることが出来るようにとその名前は現代まで繋げられてきた。
また、名前を入れることでエイレーンの加護のもと、ローレンス家が続くようにとの意味も込めているらしい。
「君にその名前が受け継がれているんだ。彼女の名前とともに、力も受け継がなきゃ」
スティルがアイリスを見下ろす。彼の瞳はアイリスではない、その奥を覗いているようにも見えた。
彼はどこかおかしい気がするなんて、そんな生易しい表現では足りない。そう思える程に、スティルが纏う雰囲気は気味が悪かった。
「……それぐらいにしおきなさい」
「ええ……? まぁ、セドさんがそういうなら、黙っているけどさ」
今度はスティルの代わりにウィリアムズが前に出てくる。
「すまない。彼は少し興奮しているようでね。……それもこれから行う事を思えば仕方のないことだが」
「……つまりは私を生け贄にして、エイレーンを呼び出そうっていうんでしょう? 良い趣味をお持ちね。言っておくけど、私は魔力を望んでなんかいないし、あなた達の操り人形になんかなる気はないわ」
もし殺されそうになれば、自分で舌を噛み切って死んだ方がましだ。
「呼び出して、何をしようとしているのか、君は理解しているのかね?」
「何ですって?」
ウィリアムズはアイリスから視線を逸らし、暗闇の方へと身体を向けて、両手を叩くように合わせて音を鳴らす。
パンっと乾いた音が木霊のようにその空間に響いていく。布が擦れる音が聞こえ、そしてその暗闇の向こう側が少しずつ見え始めてくる。
青い色の炎を纏う蝋燭が等間隔で壁際に並べられている。天井と思われる頭上には大きな窓のようなものがはめられており、そこから月の光がほんの少しだけ見えていた。
そして、月光と蝋燭の光に照らされたその場所をアイリスは横目で見ながら、思わず息を止めた。
「っ……!」
アイリスがいる土台は壇上のような場所の上にあった。そこから下を見下ろすと、数えきれない人影がウィリアムズ達と同じように黒い服を着て、並んでいたのだ。
彼らはアイリスを見て、次々と甲高い声を上げる。
「おお……! 彼女こそが、我らが求める真の総帥……!」
「彼女がエイレーンとなるべきもの!」
「これで、我々にも偉大なる力が……!」
その雄叫びにも近い声に恐怖を覚え、必死に目を瞑る。
壇上下にいる彼らが自分を見て口々にエイレーンだと叫んでいる。崇拝している神へと祈るように手を合わせる者もいた。
これが、現実なのだと思いたくはなかった。
まるで自分の向こう側にエイレーンの姿を見ている彼らの瞳が、不気味で恐ろしかった。
「皆の者! 今日までよく耐えてきた! だが、それも今日で終いだ。この日、我らが『魔力無し』共を統べる先駆者となり、この世に真の意味での異端史を終わらせる!」
ウィリアムズの声に答えるように、人影達が大きな音で拍手をする。ふと、ウィリアムズが自分の方へと振り返る気配を感じられた。
薄く目を開いてその表情を見る。
「ようこそ、アイリス・エイレーン・ローレンス。ここは裏の教団にして、君が支配する場所」
月の光に照らせて、その表情に初めて色が付いた。
「我ら『選ばれし者』達の総帥となる君に心から敬意を送る」
まるで崇拝している神に初めて会うことが出来たような、彼はそんな信者の顔をしていた。




