脅しの取引
アドルファスもブレアが本気だと気付いているようだが、すでに遅いだろう。
顔を真っ青にしたまま、アドルファスは汗をだらだらと流し続けている。
「さあ、愚かにもこのまま無様に生きたいと思うならば、取引をしようか」
「……何だと……」
アドルファスはさすがにブレアに食って掛かる気力は削げているようで、微かに身体が震えているようにも見えた。
あれだけ近い距離で殺気を浴びれば、余程の者でない限り、震えは止まらないだろう。
「──ミレット。魔具で今までのやり取りを記録しているのだろう?」
「は、はい。ブレア課長……」
「それなりに報酬を支払うから、私にその記録を売ってくれ」
「分かりました……」
ミレットは声を震わせながらもブレアに返事をする。
「さて、お前は気付いていないようだから、あえて教えてやろう。──お前がこの場で喋った言葉は全て魔具に記録してある」
「なっ……!」
「そして、この記録したものを……お前の奥方に伝えようと思っている」
「お、おい、待て。それは……」
「お前の奥方はとても正義感に溢れて、清廉な人だからな。誰かを見下したり、罵倒するような言葉が嫌いな彼女のことだ。お前が私達に向けて発した言葉や態度を伝えたら、どんな反応をするだろうなぁ。……お前の妻にしておくのが、本当にもったいないお方だよ」
「ひっ……。お、い……っ、やめろ……パルミィには言うな……!」
今まで以上に青ざめた表情を浮かべつつ、アドルファスはほんの少しだけ首を横に振る。
よほど、彼の妻に知られることを恐れているのだろう。もしかすると、普段から妻の尻に敷かれているのかもしれない。
「なに、お前が私の言うことに対して頷いてくれれば、奥方には伝えることはないんだ。……だから、私達が地下牢へと入室する許可を今すぐに出すんだ」
笑顔だが、ブレアの右手には五本目となるナイフが構えられている。次は一体、どこを狙うつもりなのだろうか。
「わ、分かった……! 分かったから、パルミィには、言わないでくれっ……!」
必死の形相でアドルファスは訴えるように叫んだ。
その言葉を聞いたブレアはやっと、心の底から笑っているような顔をにやりと浮かべる。それから、ブレアは受付を担当している者の方へと振り返った。
「さて、課長直々に許可を頂いたので、さっそく入室するための手続きを人数分、済ませてもらおうか」
ナイフをくるくると回しながらブレアは軽やかに言っているが、それは受付担当の者に対する脅しにならないだろうかとクロイド達は密かに思った。
「は、はい、ただいま……!」
「ほら、お前達。手続きをするから、それぞれの名前をこの書類に記入してくれ」
ブレアに呼ばれたクロイド達は引き下がっていた足をゆっくりと前に進めて、受付担当の団員が用意した紙に自分の名前を綴っていく。
「で、では、これが許可証となっておりますので、どうか失くさないようにお願いします……」
「分かった。それじゃあ、地下牢へと行こうか」
ブレアはにこやかな笑顔でそう言ったが、後ろからアドルファスの制止する声が響いてくる。
「お、おい、待て! 私をこの場から降ろせ!」
アドルファスの身体はいまだに壁へと張り付いたままだ。傍から見れば、何とも滑稽であるため早く解除して欲しいのだろう。
だが、ブレアは彼の方を一瞥してから、呆れたような溜息を吐く。
「あと十分程すれば、勝手に解除されるさ。……まぁ、お前がこれからも私達に対して余計なことをするつもりならば、一生張り付けておいても構わないんだけれどな」
物騒なことをさらりと言っているが、ブレアがやろうと思えばやれるのだろう。彼女にはそれ程の実力があるのだから。
「それじゃあな、アドルファス」
ひらりと右手を上げつつ、ブレアはクロイド達の背中を押しながら、魔的審査課を出る。
「──おい、ブレア! 待て!」
後ろからアドルファスの声が響くが、ブレアは全てを無視したまま、魔的審査課の扉をぱたんと無理矢理に閉めた。
防音の魔法が扉にかけてあるのか、室内からの声が聞こえることはない。許可証を無事に手に入れたブレアはかなり深い溜息を吐き出した。
「あー……。面倒だったー……」
いつもの調子のブレアに戻っているが、それでも彼女が本気で怒っている姿を見た者達はまだ顔を引き攣らせたままだ。
「……ブレアさん。ハワード課長には、あの人の奥さんに記録したものは伝えないと言っていましたが、保管はするつもりですよね?」
おずおずと言った様子でミレットが訊ねるとブレアは少しだけ口の端を上げる。
「ああ。だって、記録したものを破棄するなんて、一言も言っていないからな。あいつの弱みを多く握っている方が今後も役に立つだろうし」
「……」
ひゅっと喉の奥が鳴ったのは誰だろうか。いや、きっとその場にいる全員の喉が鳴ったに違いない。肌寒さを感じたのは気のせいではないだろう。
リアンに至っては青い表情をしたまま、涙目を浮かべている。よほど、ブレアのことが怖かったのかもしれない。
「さて、時間を食ってしまったが、地下牢へと向かおうか」
「……はい」
先へとずんずん進んでいくブレアの後ろ姿を見ながら、クロイド達は静かに決意する。ブレアを今後、怒らせてはいけないと。
共感したように四人は強張った表情のままで頷き合って、それからブレアの後ろを付いて行った。




