王宮への使者
平行線となりつつあるイリシオス達の話に耳を傾けながら、クロイドは唇を真っすぐ結んでは、表情を覚られないようにと平静を装った。
……王宮側に魔物を討伐する力がなければ、その危険が王家の人間にまで及ぶ可能性だってあるだろう。
王宮には自分の実の父と弟がいる。国を引っ張っていく彼らを失うことになるような事態だけは避けたい。
……王宮側と協力しなげれば、悲惨なことが起きると分かっている。分かっている、が……。
クロイドは一度、自分の右手に視線を落とす。
今の自分はこの国の第一王子であった「クロディウス・ソル・フォルモンド」ではない。自分は、「嘆きの夜明け団」の「魔具調査課」に所属している「クロイド・ソルモンド」だ。
何度だってそうやって、自覚しては心の奥底へと押し留める。
国王や第二王子は他人ではない。だが、クロディウス・ソル・フォルモンドという少年は死んだのだ。
表向きには、第一王子は実母と共に病死した。
だが、「クロディウス」は魔物に呪われ、王宮を追われ、教会に預けられ──そして、死んだということにされている。
目の前では、イリシオスとブレアがどのようにして、王宮の人間を守るか話し合っている。
いや、彼女達も本当は分かっているのだろう。外側から王宮を守っても意味がないのだと。内側から守らなければ、対処できないことが多くある。
手遅れにならないためには、妙な意地を張っている場合ではないのだ。
クロイドは見つめていた手をぎゅっと握りしめる。
今、隣にアイリスはいない。だが、彼女がこの場に居たならば、すぐに答えを出すだろう。
例え、惑わせるものがあったとしても、アイリス・ローレンスと言う人間の心はいつだって、他人優先で真っすぐ過ぎるのだ。
そんな彼女を自分はとても羨ましいと思うし、憧れてもいた。
……俺も、アイリスみたいになれるだろうか。
以前、王宮に侵入した際には隣にアイリスが居てくれたが、今はいない。だが、ここで怖気づくわけにはいかないのだ。
……勇気を少しだけ、俺に与えて欲しい。
胸元に下がっている空色の石を指先で触れてから、クロイドは息を深く吸って、そして目の前に居る二人に向けて言葉を告げた。
「──俺が、教団と王宮を繋ぐ使者になります」
それまで話をしていたイリシオスとブレアはぴたりと止まってから、ぎこちなくクロイドの方へと首を向けて来る。
二人とも同じように目を見開いていたが、さすがは師弟だからなのか、その仕草が似ているように感じた。
「教団の団員を派遣する了承を得るために、俺が王宮へと赴きます。教団側の使者として、俺に……クロイド・ソルモンドとして、王宮側と交渉させて下さい」
「……」
「クロイド、それは……」
クロイドの言葉にイリシオス達は押し黙った。彼女達はクロイドが元王子であることを知っている。もちろん、クロイドが教団へと来ることになった経緯も含めて。
「……任務などではないんだぞ」
「分かっています。ですが交渉して、説得させなければ、危険が及ぶのは王宮の人間です。……それに俺も王宮がどのような場所なのか分かっているつもりです」
現在はそれ程までではないが、王宮とは人の思惑が嫌と言うほどに飛び交う場所だ。一筋縄ではいかないところだと、そんなことは幼少期に学んでいる。
しかも、その交渉相手が国王や王宮魔法使い達だというのならば、なおさら引くわけにはいかなかった。
魔物がいかに恐ろしい生き物なのか、きっと実父である国王は自覚しているだろう。数年前、彼にとっての妻と息子を奪ったのは紛れもなく魔物なのだから。
「お願いします。俺に行かせて下さい。……必ず、交渉をまとめてきますから」
「クロイド……」
どこか心配するような瞳を浮かべつつ、ブレアはクロイドを真っすぐと見て来る。彼女からすれば、まさかクロイド自身が交渉人として立候補するなど思ってもいなかったのだろう。
「……うむ。それならば、お主に頼むとしよう」
意外にもイリシオスからすぐに返事が返ってきたため、クロイドは唾を飲み込んでから姿勢を正す。
「しかし、クロイド一人だけに任せては気が重くなるじゃろう。……ヴィオストル家のエリオスにも交渉人としての役目を頼みたい。あの家は魔法使いの名家でもあり、侯爵家でもあるからな。王宮に多少、顔が利くはずじゃ」
そう言って、イリシオスは彼女の背後に仕えている侍女姿の女性へと目配せする。侍女の女性はすぐに頷き返してから、その場から離れて行く。
もしかすると、魔的審査課のエリオスのもとへと向かったのかもしれない。
「クロイド。お主にとって、王宮がどのような場所なのか、わしも分かっているつもりじゃ。……決して無理などせぬように」
「はい」
クロイドが力強く頷き返すと、イリシオスはふっと優しげな笑みを浮かべてから肩を竦める。
「さて、王宮に向かうためにはまず、教団の結界の外へと出ねばならぬからな。……残り一時間で秘密の通路を見つけることが出来ないならば、全団員の魔力による結界の破壊を実行する。その心持ちで臨むのじゃ」
「あと一時間……。中々、切羽詰まっていますね……。まぁ、とりあえずヴィルに話を聞いてみますが、それでも秘密の通路を見つけるための手がかりが得られない場合に備えて、覚悟はしますよ」
「うむ」
イリシオスとの会話を終えてから、クロイドはブレアと共にミレットのもとへと向かった。
その途中、ブレアは再び、クロイドに心配するような瞳を向けてくる。
「……クロイド。本当に王宮へと向かうつもりか?」
「はい。国王と当日、謁見するとなると難しいかもしれませんが……。ですが、『クロイド・ソルモンド』の名前を出せば、アルティウス王子とならば謁見出来る可能性はあります」
弟のアルティウスはクロイドが生きていることも、名前を変えて、教団に入団していることも知っている。
自分の名前を出せば、アルティウスならば教団側で何かが起きたとすぐに察してくれるはずだ。
「それはそうかもしれないが……」
だが、ブレアはそれ以上を告げることを止めて、諦めたように首を横に振った。
「いや、これ以上は何も言うまい。お前とエリオスの二人に王宮の件については任せるよ」
ちらりとブレアへ視線を向けると彼女の表情は先程とは変わっていた。つい先程までは心配していると言っているような表情だったが、今は信頼の念を込めたような瞳を向けてきていた。
自分のことを保護下に置く子どもとしてではなく、一端の団員として認めてくれているような気がして、クロイドは目の奥が痛んだ。
自分が任された役目には大きな責任が伴うだろう。
現在、教団と王宮を繋ぐものは何もない。だからこそ、どちらも知っている自分が担わなければならないと思ったのだ。
「しっかりと交渉してきます」
「ああ、頼んだよ」
短く言葉を交えるが、そこには確かに上司と部下の関係性による信頼が生まれている気がした。




