諦めない心
クロイドは一つ、深く呼吸をしてから、魔具調査課の扉を静かに開き、部屋へと入った。
最初に視界に入ったのは、机の上に置いてある教団内の構図が描かれたものを眺めているブレアの姿だった。
ソファの上にはナシルとミカ、そしてライカが座ったままの状態で眠っている。彼らの身体の上には薄い布が広げられており、恐らくブレアが三人に被せたのだろうと察せられた。
もうすぐ夜が明けるとは言え、一晩中起きたままでいるのは体力的にも無理だろう。特にナシルとミカは体力がないと自ら公言しているため、ある程度の休息は必要な身である。
ライカも体力はあるようだが、それでもまだまだ子どもだ。成長において、眠ることは大事だろう。
クロイドが魔具調査課に戻ってきたことに気付いたブレアは視線を上げてから、その姿を確認してくる。
彼女は茶色の瞳にクロイドの姿を映すと、一瞬だけ表情を歪めてから名前を静かに呼んだ。
「……クロイド」
「ただいま戻りました」
本当ならば、もう一つの声がここで重なるはずなのに、今は自分の声だけが虚しく響く。
「……体調はもう、いいのか?」
「はい。……あの、倒れていた俺を医務室まで運んでくれたのはブレアさんだと聞きました。……ありがとうございました」
「いや。……だが、すまない。私がもう少し早く到着していれば……」
悔いるようにブレアは顔を顰めた。あと少しだけ到着が早ければ、悪魔に古代魔法を使わせる機会はなかったかもしれないと後悔しているのだろう。
あの後、塔の中で何が起こったのか、ブレアは他の団員達から話を聞いているのかもしれない。
クロイドに対して、深く話を訊ねてくる素振りはない。だが、少しだけ気落ちしているような声色をしていた。
「……恐らく、どちらにしても、ハオスは人質を取る気でいました。団員達を人質に取れなかった場合でも、一般市民や王宮の人間を人質に取ることは変わらないでしょう」
クロイドが首を横に振るとブレアは苦々しい表情をしながらも頷き返した。
「……アイリスの様子は」
静かに訊ねて来る言葉にはどこか期待のようなものが込められている気がして、クロイドの胸の奥がちくりと痛んだ。
「いいえ、何も変わってはいません」
「……そうか」
分かっていても、眠っているように魂をはぎ取られた者達の目がいつか覚めるのではと思ってしまうのだろう。
クロイドだって、時間が経てばアイリスの目が覚めるのではないかと思っていた。
だが、それは何もしていないことに変わりない。
「クロイド」
静かな空間に一つの声が響く。ブレアの眼鏡の下からは、細められた瞳が真っすぐと自分を見ていた。
「アイリスのことは、お前のせいではない。決して、自分のせいにするな」
「……」
「それでも、自分のせいにしたいと言うならば……。今、自分に出来ることを考えて、行動しろ。精一杯にもがいた上で、自分を責めろ。……いいな」
アイリスがクロイドを庇ったことを否定するなと言われているようだった。それはきっと、自分を庇ってくれたアイリスの意思に反することになってしまうからだろう。
瞼を閉じれば、自分を助けるために手を伸ばしたアイリスの姿が鮮明に蘇ってくる。
あの時、アイリスの手を掴んで、自分の方に引いていれば、彼女も助かっただろうか。
そんな後悔ばかりが込み上げてくるのだ。
吐き出してしまいたい弱音をぐっと飲み込んで、クロイドは顔を上げる。そして、ブレアに向けて、力強く返事を返した。
「……はい」
泣き言を言っている場合ではない。諦めた、と誰も言ってはいないならば、自分にだって出来ることが確かにあるはずだ。
「夜明けとともに、イリシオス総帥から通信用の水晶を通して、全団員に向けた話があると聞いている。それまで眠っているといい。もうすぐ、魔物達の活動時間が終わる頃だからな」
魔物は夜間に活動するものがほとんどだ。昼間に活動出来るものは力が強い魔物とされており、少々厄介だが数は多くはない。
夜通しで魔物の討伐を行っていた教団側としては、夜明けが待ち遠しいのだろう。
「いえ、俺は先程、眠っていたので……。それよりもブレアさんは休まなくていいんですか」
「私なら平気だ。三日程なら、徹夜しても大丈夫なように鍛えているからな。……ナシル達もお前が戻って来るまで起きていると言っていたが、休めるうちに休んだ方がいいだろうと思って寝かせておくことにした。……ライカも心配していたぞ」
「……すみません」
「いや、謝らなくていい。……ただ、起きたら、その顔を見せてやれ」
「……はい」
ブレアによって、アイリスと自分が塔の中でどのような状態になっていたのか、ナシル達には伝わっているのだろう。
気を付けると言っていたのに、この場に戻ってきたのは自分だけだ。
アイリスが魂を奪われた状態だとしても、無事ではないことに変わりはない。
ライカはきっと悲しむだろう。これ以上、ライカにとって親しい人がいなくなってしまったら、今度こそ壊れてしまうかもしれない。
……俺も、しっかりしなければ。
まだ、終わっていない。ハオスが指定してきた時間は今夜の十二時だ。それまでに抗う方法を見つけなければならない。
クロイドはぐっと両拳を握りしめつつ、まだ薄暗い窓の外に視線を向けた。
婚約ものの短編を書いてみましたので、もし興味がある方がいれば、宜しければどうぞなのです。




