君に誓う
アイリスに縋りつきながら涙を流して、どれほどの時間が経っただろうか。時計に視線を向ければ、あと数時間後には夜明けとなる時間だった。
「……」
朝が来るというのに、どうしてこれ程、気が重いのだろう。
……ああ、そうか。朝が来てもアイリスが目覚めないと分かっているからか。
いつもならば、「おはよう」と言ってくれる笑顔がすぐ傍にあった。だからこそ、夜を越えて朝を迎えることを喜ばしく思っていた程だ。
だが、今はどうだろうか。クロイドは顔を上げてから、自分が両手で包み込んでいたものに視線を移す。
そこには変わることなく、動かないままのアイリスの姿があるだけだ。
人形のように固まったまま、動くことはない。
「アイリス……」
愛おしくて堪らない存在が自分の目の前にある。確かに今は動かない。それでも、彼女の魂を再び取り戻して身体に宿すことが出来れば、きっと元に戻るはずだ。
……取り戻さなければ。
クロイドは涙が浮かんでいた目元を患者衣の袖で思いっ切りに拭ってから、立ち上がる。
諦めてはならない。全てに絶望して諦めるには、まだ早過ぎる。
そう信じれば、動ける気がした。
「……アイリス。きっと君の魂を取り戻してみせる。……だから、今はどうか待っていて欲しい」
声は聞こえていないと分かっている。それでも誓わずにはいられなかった。
クロイドは頭と腹部、そして腕に巻かれていた包帯をするすると解いていく。痛みはすっかり引いており、出血も止まっているため、もう包帯は必要ないだろう。
すると、クロイドの行動を目にしたクラリスが小さく驚いた声を上げて、制止しようと近付いてくる。
「──あっ、クロイド君。まだ、包帯を取ってはいけないわ。傷が……」
そこでクラリスは言葉を続けることを止めて、はっと息を飲み込んだ。
包帯を取ってしまえば、クロイドの肌が露わになる。そこには血で多少は汚れているものの、傷が塞がっている身体があった。
「どうして……。傷が完全に塞がっているなんて……。まだ、治療を施してから数時間しか経っていないのに……」
驚きを隠せないでいるクラリスに向けて、クロイドは薄っすらと笑ってみせる。
少し前までならば、自然治癒能力が高いこの身体を恨めしく思っていただろう。だが、今は魔犬が与えた呪いによる、自分の身体の丈夫さに感謝した。
「……俺は他の人と比べると少しだけ治癒能力が高いんです」
「そう、みたいね……。でも、ここまで完璧に傷が塞がっているなんて……」
医療関係者であるため、クラリスも今まで様々な傷を診てきたのだろう。だからこそ、数時間で傷が完全に塞がっているクロイドの身体に驚かないわけがなかった。
「頭の出血も止まっています。もう、動いても構いませんよね?」
確認するようにクロイドは問いかけつつ、それまで自分の身体に巻いていた包帯をクラリスへと渡した。
「え、ええ……。出血も止まっているし、傷も塞がっているならば……。でも、身体に不調を感じることはないかしら?」
「いいえ、何も」
身体はもう復活していると言ってもいい。魔力も安定しているので、いつだって魔法が使える状態だ。
「そう……。あ、ちょっと待っていて。クロイド君の荷物を預かっていたの」
クラリスは使用済みの包帯を持ったまま、どこかへと向かって行く。
暫くしてから、クラリスはクロイドが着ていた白いシャツと黒色の肌着、魔具の「黒き魔手」、そして以前アイリスに貰った空色の石が付いている首飾りを手渡してきた。
「あなたを治療する際に、勝手に着替えさせて貰っていたから、ついでに服を洗っておいたわ。あのままだと血痕が付着していたから……」
「ありがとうございます」
クロイドは洗った上に乾かされている服をクラリスから受け取りつつ、お礼を告げる。恐らく、魔法を使って洗ってくれたのだろう。
この場で着替えていいだろうかとクロイドが視線をクラリスへと向けると、彼女は構わないと言わんばかりににこりと笑っていた。
多くの患者を診てきた彼女にとっては、他人の裸など、大したものではないのだろう。
何だか母親に着替えを見守られているような気まずい心地を抱きつつもクロイドは素早く着替えることにした。
患者衣からいつもの服装へと着替えて、「黒き魔手」をズボンと身体の隙間に挟んでおく。
そして最後にアイリスから貰った空色の石の首飾りを首へと下げた。
……アイリス。
ただの石だと分かっているのに、同じ空色の瞳に見つめられているような気分になってしまう。だが、情けない姿を見せるわけにはいかないと、クロイドは顔を上げることにした。
「……さっきよりも、瞳に力強さが宿ったようね」
ぼそりとクラリスは呟きつつ、クロイドから患者衣を受け取る。
「でも、本当に無理をしては駄目よ。……私はこれ以上、患者が増えることを望んでいないわ」
「分かっています。無謀なことをするつもりはありません。……アイリスが怒りますから」
「……ふふ、そうね。……本当、あなたのおかげでアイリスも……」
だが、クラリスはそれ以上の言葉を告げることはなかった。
何かをぐっと堪えるように飲み込んで、それから団員の一人として気を張った表情を浮かべてから、クロイドを真っすぐに見て来る。
「アイリスのことは任せておいて。ちゃんと様子を見ておくから」
「……宜しくお願い致します」
クロイドはクラリスに深く頭を下げてから、そしてベッドの上で眠ったままのアイリスへと視線を向ける。
……必ず、君が目覚める方法を手に入れる。
それだけを静かに誓い、クロイドはアイリスに背を向けてから歩き出す。
自分にはやらなければならないことがたくさんある。とりあえず今は現状を把握しなおして、そしてアイリスの魂を取り戻すためには何が最良なのかを考えなければならない。
一度、魔具調査課へ戻るためにクロイドは力強く歩き続ける。その足取りは治療室を訪れた際とは変わって、地面にしっかりと足が着いているような歩みだった。




