後悔の嘆き
治癒魔法をかけたことで、ある程度の出血は止まったのか、先程よりも身体は楽になったように思える。
クラリスもクロイドの身体がある程度、回復していると分かっているようだが、不安げな瞳のまま、見守っているだけだ。
「……クラリスさん。俺のことは良いので、他の団員の傍に……」
「アイリスのところへ行くのでしょう?」
クロイドがクラリスの同伴を断ろうとすると、クラリスは首を横に振ってから、はっきりとした声で答えた。
「塔の広間に脈がないまま倒れていた団員達は皆、同じ部屋に寝かせているの。私もちょうど、様子を見に行こうと思っていたから付き添うわ」
「……」
「それに出血して倒れていたあなたを放置しておくことなんて出来ないもの。私が止めても隙を見て、アイリスのところへ行くつもりなのでしょう? ……一度決めたら、折れない頑固なところはアイリスに似てしまったみたいね」
苦笑しながら、クラリスはクロイドの背中を優しく撫でて来る。
彼女の手が触れた瞬間、ふわりと柔らかな温度が背中から身体全体に巡っていった気がして、驚いたクロイドは振り返った。
恐らく、この一瞬でクラリスはクロイドの身体へと治癒魔法をかけたのだろう。自分が治癒魔法をかけた時と比べると、その効果は段違いだ。
今までは身体の節々が痛み、息がしにくかったが、クラリスに魔法をかけてもらっただけで、それまで抱いていた痛みがすっと引いていったのである。
「クロイド君は自分自身に治癒魔法を使えるみたいね。でも、こういうことは専門の人に任せた方がいいわ。傷を治すだけでは、駄目よ。もっと根本的なものから、癒していかないと」
普段は聖母のような優しい笑みを浮かべているクラリスが、ふっと真面目な表情でそう言ったため、クロイドは思わず頷き返してしまう。
アイリスがクラリスには逆らえないと言っていた言葉を今、理解した気がした。
「……あの」
「何かしら」
「塔の広間に俺が倒れていたと言っていましたよね」
クロイドは前へと進みつつもクラリスへと訊ねる。まだ早く歩くことが出来ないクロイドの足の速さに合わせつつ、クラリスは頷き返した。
「ええ」
「俺やアイリス達を医務室へと運んで来てくれたのは誰だったんですか」
気を失う前、誰かが自分の名前を呼んでいた気がしたが、記憶があやふや過ぎて思い出せない。
すると、クラリスはどこか困ったような表情を浮かべつつ、答えてくれた。
「あなた達を医務室へと運んでくれたのはブレア課長達よ。塔の一階部分の結界が破壊されたことを知ったブレア課長や祓魔課の人達が広間へと入ったらしいわ。でも、悪魔はすでに立ち去ったあとで、倒れている団員達の姿がそこにはあるだけだった……」
「……」
どうやら気を失う直前、自分へと声をかけたのはブレアだったようだ。
……せめて、あと数分程、時間を稼ぐことが出来ていれば。
そうすれば、ブレアや祓魔課の団員達が間に合っていたかもしれない。
アイリス達が塔の広間へと到着した同時刻に、ハオスは「絶無の檻」を発動させたため、止める時間がなかったのは確かだ。
だが、あと数分だけでもハオスを足止めすることが出来れば──。
……いや、後悔なんて、何度もやった。
悔しさを表情に滲ませつつ、クロイドは奥歯を強く噛む。
今、必要なのは現状を打開するための方法だ。嘆くことなら、いつでも出来る。
「……悪魔の魔法によって倒れた団員達の中で、目を覚ました者はいますか」
「……いないわ」
クラリスは何かをぐっと飲み込んでから、静かに答える。彼女も団員達を助ける術がないことを心苦しく思っているのだろう。
「私は現場を直接見ていないから、どんなことが起きたのかは他の団員達から話を聞いただけだけれど……。悪魔の魔法によって、団員達は魂が引きはがされた状態だと聞いているわ。今はとりあえず、安全な場所で横になってもらっているの。でも、長い時間、栄養を摂取することなく、身体を放置すれば……」
それ以上を口にすることを躊躇ったのか、クラリスは言い淀んでいた。
だが、クロイドはクラリスが告げようとしていた言葉の先を何となく察していたため、追究することなく口を閉じることにした。
お互いに無言の状態のままで暫く歩き、そして医務室の中で一番広い部屋とされている場所に辿り着く。
「……ここよ」
クラリスは両開きの扉に手をかけて、静かに開いて行く。
クロイドは唾を飲み込んでから、開かれた扉の内側へと足を踏み入れた。
部屋の広さは魔具調査課の四倍程だ。ずらりと並べられているベッドは全て等間隔で、誰もが行き来しやすいようにと通路の幅が広く取られているようだ。
そして、他の医務室と違って、個室が仕切られるカーテンは全く付いていない。
恐らく、この部屋は大人数の怪我人が居た際に一気に治療することが出来るようにと配慮された部屋なのだろう。
「……この部屋には塔の広間で倒れた団員達、二十三名が眠っているような状態で横になっているわ。呼吸も脈もないまま、まるで人形のように動かないの」
「……」
部屋の中にはクラリスと同じ服を着た団員や白衣を着ている医師が行き交っていた。その中に、目を瞑ったまま動かない団員のすぐ傍で名前を呼び続ける者も多く居た。
ここに眠っている誰かは、他の誰かにとっての大切な人間なのだろう。
「アイリスは一番奥のベッドに居るわ。……私は他の団員の様子を見て来るから」
「ここまで付き添って頂き、ありがとうございました」
「……どうか、無理をしないでね。今のあなたの顔は一年前のアイリスと同じだから、無茶をしてしまいそうで心配だわ」
「……怪我をしたら、医務室に来ますので」
クロイドの言葉に対して、クラリスは仕方がないと言わんばかりに肩を竦めてから、小さく頷く。
そして、彼女は背を向けてから他の団員の様子を見るためにクロイドの傍から離れていった。




