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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
愚者の旅立ち編
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守れなかった約束

 

 何が起きたのか、分からなかった。

 そこには「無」しかなかったからだ。


 無音の状態がどのくらい続いただろうか。いや、もしかするとそれ程、時間は経っていないのかもしれない。

 だが、瞳を開けてから経ったはずの時間は悠久のように感じられた。


「……」


 クロイドはただ、呆然と尻餅をついた状態で前方を見ていた。身体に痛みは感じられないが、それでも生きている心地もしなかった。


 何もかもが他人事のように思えたのは何故だろうか。もしくは、他人事だと思いたかったのかもしれない。


「……」


 クロイドは右手で頭を抱えてから、何が起きたのか思い出そうと試みる。

 

 白い閃光によって広間全体が満たされる直前、初めて耳にしたような呪文をハオスが呟いていた。

 だから、自分は防御しようと構えていて、そして──アイリスがクロイドの方へと突然、振り返ったのだ。


「……アイリス?」


 そうだ、アイリスだ。自分の方へと振り返ったアイリスは、何故か微笑みながら涙を流していた。


 どうして、泣いているのだろうか。

 それを訊ねる暇さえもなかった。


 お互いの視線を交えた後、彼女はただ一言、「ごめんね」と言って、自分を突然、魔法陣の外側となる遥か後方へと突き飛ばしたのだ。


 彼女の行動の意味を訊ねることも出来なかった。ただ、名前も呼ぶこともままならず、アイリスに突き飛ばされた後は白い閃光に包まれたからだ。

 一瞬にして目を開けていられない程に眩しい光景が広がり、そして──。


 はっとしたように、クロイドは慌てて立ち上がる。


 つい先程まで、自分達が立っていたところに視線を向ければ──倒れているアイリスの姿があった。彼女はうつ伏せの状態で床の上に倒れている。


 周囲を素早く見渡せば、アイリスと同じように無表情のまま倒れている団員達の姿があった。


 魔法陣の外に退避していた団員達は倒れてはいないようで、ただ目の前で起こったことが信じられないと言った様子で瞬きすることなく、腰を抜かしていた。


「っ……! アイリスっ!!」


 すぐさまクロイドはアイリスへと駆け寄る。

 ああ、彼女は自分をハオスの魔法から庇ったのだ。そんなことが頭の中を過ぎっていった。


「アイリス! アイリスっ……!」


 目を瞑って倒れていたアイリスの身体に出血がないことを確認したが、安堵することは出来なかった。


 怪我なんて一つもしていないのに、何度呼びかけても彼女の目が覚めることはない。ただ眠っているようにしか見えないのに、彼女は表情を無にしたまま、動かなかった。


 それでもクロイドはアイリスを抱きかかえながら、必死に名前を呼び続ける。


「アイリスっ! ……頼む、目を開けてくれ……!」


 さっきまで、同じように立っていたのに。同じように息をしていたのに。

 それなのに、どうして彼女の身体はこんなにも冷たいのだろうか。


 いつもならば陽だまりのような温かい笑顔を向けてくれる表情は次第に白くなるばかりで、赤みが差すことはなかった。


 白、それは死を表す色だった。


 クロイドの身体から、さっと血の気が引いて行く。

 これが現実だと受け入れることは出来なかった。現実だと、信じたくはなかった。


 名前を呼んでも、肩を叩いても、抱きしめても──アイリスから反応が返ってくることはない。

 もう、二度と目は覚めないと宣告されたように静かだった。


 彼女から、いつもの熱が返ってくることはなかった。

 抱きしめて、手を握って、どんなに自分の熱を与えようとしても、アイリスの身体に熱が宿ることはなく、冷たさだけがそこには在った。


「なんで……。なんで、そんな……」


 どうして、自分を庇ったのだろうか。

 あの時、アイリスは咄嗟に自分を助けようと行動していた。まるで、こうなることを予測していたように。


「アイリス……。アイリスっ……!」


 いくら抱きしめても、腕の中にある細身の身体からは生きている証とも言える熱は返ってこない。ただ、冷たさだけがそこには存在していて、その温度こそが現実だと知らしめていた。

 


   挿絵(By みてみん)


 脳裏に浮かんだのは、お互いに交わした約束だった。


 アイリスがクロイドを守り、クロイドがアイリスを守る。

 お互いの感情を確かめ合うように交わした約束だけが胸に残る。


「っ……!」


 アイリスは言葉に出来ない程の愛おしい存在だった。それは自分にとっては初めてで、きっとこの世に二つとない存在なのだと理解していた。


 依存していると分かっている。彼女がいなければ、自分は生きていけないと。

 それなのに──。


 自分が守ると誓ったのに、守られていたのは自分の方だったのだ。


 知らずのうちに、クロイドの瞳からは涙が溢れてくる。その涙は後悔と自責、そして言い表しようのない悲しみから生まれたものだった。


 これは、この感情は、絶望と呼ぶのだろうか。

 突然、心の中が空っぽになり、窒息しそうな何かによって、身体が覆われていく気がした。


 ああ、まるで夜凪の中を彷徨っているようだ。もう二度と、歩むことはないと思っていた闇の中へと放り込まれたような感覚だった。


 自分は彼女が冷たくなっていくのを止めることは出来ない。


 アイリスが死ぬならば、いっそのこと自分も同じように死んでしまいたい。そう思える程にクロイドの心は嘆きによって浸食されていた。

 

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