無の怒り
「……それにしても、中々魔物が減りませんね」
「そうだね。……まるで塔の方に向かわせないように、ここら一帯に魔物が出現するように細工されているみたい」
「……その予想はあながち、間違いではないかもしれませんよ、リアン」
「え?」
イトは先程、魔物が灰となった場所に向けて、剣先を向ける。あらかた、片付いたと思っていたのに、再び地面には緑色の魔法陣が浮かび始めていた。
「……はぁ、面倒ですね。早く、アイリスさん達のもとへと駆け付けたいというのに」
「うん。……でも、通常の魔物よりも少し強いみたいだし、放っておけば別の団員に被害が出ちゃうかもしれないからね」
「そうですね」
イトはふっと、息を短く吐いてから剣を一度、鞘の中へと収め直す。
「……イト。もしかして、怒っているの?」
同じように隣に並んだリアンがどこか確かめるような口調で訊ねて来る。感情を表に出さないように常に気を付けているイトだが、どうやら相棒のリアンには気付かれていたようだ。
「……ええ。その通りです」
イトは目を細めつつ、魔法陣の中から這い上がって来る魔物に視線を向ける。
「リアン。私はね、今、凄く怒っているんですよ」
「……」
だが、イトの怒気でたじろぐようなリアンではない。彼は納得するように「そうか」と頷いただけだった。
「……私の剣は守るために、自分が敵だと判断したものを殺す剣でもあります。……かつては復讐のために磨き上げた力ですが、今は──大事な人を守るための力です」
左手で鞘を持ちつつ、鍔に指をかける。そして、右手で柄を掴んでから、いつでも剣が抜けるようにと構えた。
「けれど、この剣は決して罪のない人を殺すために身に着けた剣なんかじゃない」
「イト……」
「だから」
イトはたんっ、と地面を蹴り上げて一瞬にして魔物の間合いへと入る。そして、目にも止まらぬ速さで剣を抜きつつ、魔物の首を身体から両断した。
「人を魔物へと堕とすような、最低なことをする奴らを心底、許せないんですよ」
魔物を両断した際に生まれた血飛沫が空中を舞うように弧を描く。
人間を魔物へと堕とすような愚かなことをしたのは、ブリティオンのローレンス家だと聞いている。
そして今回、教団を襲った悪魔「混沌を望む者」はローレンス家に属している悪魔で、魔物に人間の肉や魂を食わせているとアイリス達から聞かされていた。
その時から、イトの感情の底には煮えたぎる想いが生まれていたが、表に出すことは無かった。
もし仮に、今こうやって相手をしている魔物が元は人間だったとして、彼らは他の人間を獲物として食べたのだろうか。
対峙している魔物がイト達を見る瞳の中には敵意しか含まれていない。たとえ、彼らが人間だったとしても、自分達の呼びかけに応えることなど出来ないのだろう。
もう、彼らは自分達が人間だったことさえも忘れてしまっているのだから。
「……イトは優しいね」
リアンが両手剣で魔物を薙ぎ払いつつ、小さく呟く。
「けれど、その優しさがイト自身を傷付けていないか、俺は心配だよ」
そう言って、リアンはどこか悲しそうな表情で苦笑する。彼は普段、陽気で物事を深く考えていないような印象で捉えられやすいが、本当はとても他人の感情に敏い人だと知っている。
「……私のことを優しいなどと言うのはあなたくらいですよ、リアン」
「だって、優しいだろう? ……自分の命を以て、他の命を守ろうとするなんて、中々出来ることじゃないし。イトはとても優しくて、勇気がある人間だと俺は思っているよ。今だって、本当は人間だった魔物を躊躇わずに斬っているし。……少しでも痛みが長引かないように、一瞬で安らかに眠ってもらおうって君は思っているんだろう?」
「……」
リアンの問いかけにイトは答えることがないまま、自分に襲い掛かろうとしていた魔物に向けて、刃を振り下ろした。
「イトのその一撃に、君の優しさが含まれているんだよ」
「……私は……」
イトは剣を構え直しつつ、言葉を濁す。これ以上を言葉に出来ないことをリアンは覚っているようで、言葉の続きを告げることはなかった。
自分の表情に感情の色を映すことはない。それは相手に感情を判断されないようにするために訓練したからだ。
それでも、心の中では自由に想ってもいいだろうか。
……可哀そうだと思って、ごめんなさい。あなた達に手をかけるようなことをして、ごめんなさい。だからせめて、死ぬ時くらいは安らかに──。
獣型の魔物が自分に向けて牙を剥いて来る。イトは目を細めながら、柄を握りしめる手に力を込めて、足を踏ん張りつつ一閃を薙いだ。
「……眠れ」
イトの一撃は瞬きをするよりも速く、一瞬にして魔物の息の根を止めてしまう。
死体となった魔物を一瞥して、イトは再び剣を構え直した。
感傷に浸ることなくイトは次の一撃を放つ。自分にとって、魔物を討伐することは手慣れたことだ。それでも──。
……ああ、やっぱり、人間だった魔物を手にかけるのは……辛い。
口と表情に出すことなく、イトは淡々と魔物を斬り続ける。まるで単純作業のように延々と。
だが、心の中では静かな悲鳴を上げていた。
……絶対に、人間を魔物へと堕とした奴らを許さない。
その怒りだけが、イトの心を保たせ、足を踏ん張らせてくれる。きっと、自分以外の人間も同じような感情を持って、戦っているのだろう。
自分だけではないのだ、この怒りと虚しさを抱いているのは。
イトは血で濡れた剣を軽く振ってから、地面の上へと血飛沫を飛ばす。
表情は無のままだが、それでも心に灯す感情だけは熱く燃やしていた。




