奇襲
アイリスとクロイドが街へと遊びに行った次の日の夕方、ミレットが調べた事を報告するからと、魔具調査課へとやってきたため、二人は話を聞くことにした。
課長室にブレアは不在であるため、そのまま魔具調査課の部屋で報告を受けることにした。
ミレットの表情が疲れ切って見えるのは、恐らく昨日、ヴィルとデートだったからであろう。
ヴィルと言葉を交わした後はいつも疲れ切った表情をしているが、今日の顔はいつも以上に気疲れして見えた。
「……顔、ひどいけど大丈夫なの?」
「……もう、嫌」
アイリスが淹れた紅茶をあおる様に飲み干し、ミレットは苦い顔をする。
「最初、どこに連れて行ったと思う? 高級料理店よ! そこに個室を取っているからって! ふざけんじゃないわよ! 私は普通の服装なのよ。店自体は情報だといい店なんだけれど、貴族御用達の店だから気が気じゃなかったわ!」
右手で拳を作り、机の上にどんっと音を立てて置く。
早口で綴られる文句に、クロイドも何とも言えない表情で顔を引き攣らせていた。
「出てくる料理はフルコース! もちろん、美味しいに決まってるじゃない! しかもあいつ、薔薇の花束なんて用意していたのよ! もう、恥ずかしいったら、ありゃしないわ!」
「あー……。ちょっと、想像出来るかも」
細い目が弧を描き、満面の笑みを浮かべているヴィルの姿は安易に想像出来た。
「その花束、結局どうしたの?」
「持って帰ったわよ! 本人の前で捨てるわけにはいかないでしょ!」
そういう真面目で素直ではないところは、本当にミレットらしいと思う。
恐らくこっそり部屋に飾っているに違いないが、詮索するのはやめた方がいいだろう。
アイリスは軽く笑って、紅茶のおかわりを淹れていく。
「それで、今日は一体何の情報を持ってきたんだ? 一昨日の件なら、終わったはずだろう?」
クロイドの言葉にミレットは思い出したと言わんばかりに慌てて、自前の手帳を開いていく。
「そうだったわ。重要な事を忘れていたの。ラザリー・アゲイルの事を調べてみたんだけど、彼女、一昨日に会ったセド・ウィリアムズの姪だったのよ」
「え……」
まさかの事実にアイリスとクロイドは顔を見合わせる。
「普通なら、魔的審査課にある部屋に違反を犯した者を一時的に留置しておくんだけれど、その部屋にラザリーの姿がないのよねぇ。一応、ラザリーの現在の所在地を『千里眼』で調べたけれど、全く足跡がなかったわ。恐らく、居所を知られないように魔法で守られているんでしょうね」
詮索や探知をする魔法でミレットのように所在を探す人がいることを見込んで、魔法で姿を隠しているということか。
「アイリスはこの前まで魔的審査課だったけれど、直属の上司じゃなかったからあまりウィリアムズさんとは親しくなかったのよね?」
「え、えぇ。それに半年も所属していなかったし。話したこともなかったはずよ」
今まで自分は二回、部課を異動している。
最初は魔物討伐課、次に魔的審査課、そして今の魔具調査課だ。
その中で、親しいと言えるほど仲が良かった人はいない。
任務をする際には普通だったが、どこに行ってもいつも「魔力無し」ということで遠巻きにされていたからだ。
「だから、ウィリアムズさんの事も調べてみたんだけど、彼はあなたにそのまま魔的審査課に居て欲しかったみたいよ?」
「どうして?」
異動というものは課長の一存で決められるものではないと聞いている。異動先の課長の許可も必要となってくるため、本人の意思に関係なく無理矢理に別の部課へ異動になる場合は課長と更に上の者による話し合いが行われる場合もあるらしい。
「アイリスが魔具調査課への異動が決まるって時に、このウィリアムズさんだけは魔的審査課に留めておいて欲しいと上にまで報告していたらしいわ。まぁ、アイリスの破壊行動には課の会計係がいつも胃に穴を空けて対処していたから、課長だけではなく他の団員の強い希望もあって、異動ってことになったんだけれど」
それでも、セド・ウィリアムズだけは魔具調査課への異動を反対していたらしい。
迷惑がられるか遠目で見られる自分がその課に居てもいい顔はされないというのに、ウィリアムズが引き留めていた理由が、一体何を意味するというのか。
その理由を知りたくはないと思える程に、ウィリアムズに対して不気味さを感じられた。
「それにスティル・パトルの姿も最近見られていないわ。男子寮にもいないみたいだし、祓魔課にも顔を出していないんですって」
「……とにかく、その三人にどんな関わりがあるか分からないが気を付けた方がいいな」
「そうね。常に誰かと一緒に行動していた方がいいと思うわ。……アイリス?」
ミレットの声はちゃんと聞こえているのに返事が出来なかった。
何か、よく分からない何かが迫ってきそうで、恐ろしく感じられたからだ。
「――アイリス」
クロイドが名前を呼ぶ。顔をゆっくりと向けると大丈夫だと、言うように彼は笑っている。
そうだ、大丈夫だ。
そう信じているのに、何故か頷けないのだ。
その時、クロイドの表情が険しいものへと一変し、素早く立ち上がる。
「――誰だ!」
彼は魔具調査課の唯一の入口である扉の方へと身体を向けて、突然怒鳴ったのだ。
「何? どうしたの?」
ミレットもクロイドにつられるように扉の方へ顔を向ける。瞬間、扉がほんの少しだけ開き、何か小さな物体が魔具調査課の部屋の中へと投げ込まれたのだ。
「っ!?」
投げ込まれた筒状の物体はアイリス達の足元を転がりながら、煙を上げていく。
この、甘いようで苦味かかった匂いは――。
「っ、だめっ……! それを吸ったら……!」
煙の正体に気付いたアイリスが激しくむせながら、二人に忠告する。
だが、ミレットの方は遅かったらしく、すでに空気の中に混ざった煙を吸って、そのまま意識を手放すように床上へと倒れ込んだ。
「ミレット……! ごほっ……」
吸わないように服の袖を口に当てるが意識が揺らめき、身体の感覚が失われていくのが分かる。
立っていたはずのクロイドは座り込み、そして、椅子から落ちるように床に座っていたアイリスの方へと手を伸ばしてきた。
クロイドの手が空を掴む。お互いの距離は近いはずなのに、彼の手が自分を触れることはない。
アイリスも手を伸ばすが届かなかった。
「ア……リ、ス……」
魔犬の呪いがかけられた彼の感性は鋭いため、この煙の成分が身体に回るのも早かったようだ。
必死に意識を保とうとしながら、アイリスの心配をしてくる彼の姿を見て、アイリスは唇を噛み締めた。
黒く虚ろな瞳が、少しずつ閉じていく。
そして、全ての意識を手放したのか、クロイドは大きく前のめりに身体を揺らしてから、その場に倒れこんだ。
……一体、何が。
何が起きているのか、誰の仕業なのかは分からない。
それでも、このまま意識を失ってしまえば、良くないことが起きると分かっていた。
机の上に手を伸ばし、アイリスは何かを探す。
そして、一本の万年筆を手に掴むと最後の力を絞って、その万年筆を自らの右の横腹に勢いよく刺した。
「っ……!」
尖った先は身体に刺さることなく、万年筆は軽やかな音を立てて床上に落ちていく。ペン先には自分の血が付いていて、赤黒いインクのように見えた。
痛みだけが自分の意識を保たせていた。これであと少しだけ眠ることはないだろう。
重くなっていく身体を動かしながら、アイリスは顔を上げる。
「……誰なの……」
鈍い痛みの中で、アイリスは扉の内側へと入って来る人物を見る。
少しずつ薄れていく感覚の中で、黒いフードを深く被ったその影が、微笑を浮かべているのが見えた。




