月下の悪魔
クロイドの浄化の炎によって、未熟な不死を持っていた魔物は塵となって消えて行く。
自分の意思を持たず、生きている実感や痛覚を持たないまま、この魔物は人形のように生きていたのだろうか。
いや、もしくは生きていることも実感せずに、何かを食らって生き延びる、という本能だけで生きていたのかもしれない。
やがて、魔物を覆っていた炎は小さいものへと変わっていき、最後の一片を塵へと変えた後は、空気中に溶けるように消え去っていった。
そんな光景をアイリスは目を細めながら静かに見送りつつ、薄く目を閉じた。その場に余韻のような静寂さが満ちて行く。
だが、死が訪れた空間を一蹴するような音が、突如としてその場に響いたのである。
──パチパチパチ……。
それは拍手だった。
誰かが喝采すべきことだと言わんばかりに手を大きく叩く音が響き、不快に思ったアイリス達は周囲を見渡していく。
だが、自分達の周囲に人影は見当たらない。そう思っていた矢先、自分の足元の影に重なるように映っている人影が見えたため、アイリスは何となく頭上へと顔を向けた。
欠けている月を背後に置きつつ、その場に浮遊している人物の顔を見て、アイリス達はそれまで収めていたはずの怒りが瞬間的に湧き上がってくる。
背丈に合わない長いローブを身に纏い、黒いインクを滴らせたような長髪を二つに分けて結んでいる小柄な影がこちらを見て、にやにやと笑っていた。
「──混沌を望む者!」
湧き上がって来るのは、誰の代わりを担う怒りの熱なのだろうか。他者を傷付けることを躊躇わず、ただ自身の思うままに生きる彼らをどう許せばいいというのか。
「よぉ、アイリスにクロイド。元気そうで何よりだ」
「……どの口がそんな台詞を言っている」
クロイドはいつもよりも数段低い声で、吐き捨てるように呟く。
アイリスも視線だけで相手を殺せるならば、どんなに良いだろうかと願ってしまう程の威圧でハオスを睨んでいた。
だが、ハオスは敵意が向けられることを何とも思っていないようで、ただ自分よりも全ての順位において下だと思っている者達を見下すような瞳でこちらを見ていた。
「教団の結界に何か細工をしたのはあなたでしょう」
「そうだとも。教団の中に入るのは簡単だったが、さすがに前回と比べて強固になった結界を壊すには並みの魔法使いの魔力だけじゃ、足りないからな。それならば、いっそのこと結界に施されている魔法式を少しいじった方が俺にとって扱いやすいものになるだろうと思って」
ハオスは悪気などないと言わんばかりに堂々とした態度で答える。恐らく、こちらがどんなに言っても、結界の細工を解除するようなことはしないのだろう。
それならば、細工を施した本人を倒すしか、解除する方法はないのかもしれない。
「まあ、簡単に言えばお前らは鳥籠で喚くことしか出来ない幼鳥ってわけだ」
ハオスはいかにも馬鹿にするような声色で、その一言を告げる。確かに今の自分達は鳥籠に捕らえられた鳥のような状態だろう。
自由に動くことも出来ず、それでも外を求めてもがくことしか出来ない。
相手の腹が立つような言い方しか出来ない性格は相変わらず変わっていないらしい。アイリスは冷めた瞳でハオスを睨み続けた。
「……」
瞬間、その場に冷気が満ちていき、ハオスの足元からは氷の槍が勢いよく突き出しては、小さな影を突き刺さんばかりに伸びて行く。
アイリスは目の前で繰り広げられた魔法が「凍てつく鉄の槍」という氷魔法だと気付いたが、この魔法を展開させたのは紛れもなく隣に立っているクロイドだ。
だが、彼からは呪文の詠唱も聞こえなかったし、魔法を放つための動作などは一切見られなかった。つまり、無詠唱と無動作によって魔法を展開させたのである。
……でも、クロイド自身は魔法を無詠唱と無動作で放ったことに気付いていないわ。
恐らく、彼の怒りが無意識に魔法として発現したのだろう。
無詠唱、無動作で魔法を放つことが出来る魔法使いはそれほど多くはいない。
ある一定の基準を超えた、高い技術を持った魔法使いしかその力を得ることが出来ないと言われている。
ただ、魔法を放つための集中力が半端なく必要とされているため、高度な技術である上に使い手が少ないのが実情だ。
この技術を持っている人物として、アイリスが知っているのはブレアやエリオスくらいだろう。
彼らは意識を深く集中させて、対峙している相手に隙を見せることなく魔法を発動出来るらしいが、そう頻繁に成功するわけではないと言っていた。
他にも教団の中にはこの高度な技術を持っている者がいるようだが、実戦において頻繁に使う者の方が少ないので、周知されている魔法使いはあまりいないのかもしれない。
相手に隙を見せない攻撃方法としては有効だが、それでもいつでも出来るものではないだろう。
今、目の前でクロイドが氷魔法を展開したが、彼は恐らく怒り任せに無意識に行っているため、次も同じようなことが出来るとは限らない。
それでも、自分の相棒が魔法使いとして更に成長している姿を目の当たりにしたアイリスは、味方であるにも関わらず、冷や汗を掻きそうになっていた。
「ぅおっと!? おい、挨拶もそこそこに突然、攻撃するなんて、野蛮な奴だな!」
頭上に浮かんでいるハオスは突然、襲ってきた氷の槍をぎりぎりの距離で避けつつ、右手を上に向けながら抗議してくる。
だが、クロイドはそんなハオスに躊躇うことなく、身体に直撃すれば即死する程の攻撃を立て続けに繰り広げていた。
空中では逃げ惑うハオスの後ろを追いかける、氷の剣が狙いを一つに定めたまま舞うように動いている。
まるでクロイドの意思と感情が具現化されているように、ハオスを追いかける氷の刃は冷たく尖っていた。
「……お前には色々と訊ねなければならないことがあるからな。首以外は多少失っても構わない」
「怖っ!? お前、意外と遠慮がない性格をしているんだな!?」
冷徹とも言える表情でクロイドはハオスに向けて、そう呟く。追いかけられているハオスもクロイドの言葉に引き攣った表情をしている。
アイリスも怒りに満ちているクロイドを見るのは久しぶりだったが、氷の槍や剣を無詠唱のままで自在に操っている彼の手助けをする隙を見つけることが出来ないまま、この状態を眺めることしか出来ずにいた。
「真紅の破壊者と黒の咎人」とは直接関係ありませんが、凄く久しぶりに短編を書いてみました。
あとで投稿するので、よろしけばどうぞです。珍しくギャグです。




