戻らないもの
「……そうか」
ブレアからは感情が読めない返事が返ってくる。アイリスが魔物を斬らなければならないと判断したことについては、何も言ってはこなかった。
「現状では魔物の姿になった者を元に戻す方法は見つかっていない」
「……では」
ブレアの言葉にライカが一歩、前へと出る。
「では、僕が……。僕の中に宿っているものを情報として抜き出すことは出来ますか。それで相反魔法を作れば……」
「──ライカ、魔法を新しく作ることは決して簡単ではないんだよ」
ライカの訴えを両断するように、ブレアは少し悔しげな表情を浮かべつつ答えた。
「黒筆司のウェルクエント・リブロ・ラクーザが言っていたが、確かに相反魔法の元となる情報をお前の身体から抜き出すことは出来るだろう。……だが、相反魔法を作る際にはそれなりの代償が必要とされる」
「代償、ですか」
「ああ。……分かりやすく言えば、魔法を研究する際の材料とも言うべきか。作り上げた相反魔法の最初の実験体が必ず成功するとは限らないだろう? ……その際に生じるのが代償だ」
「……」
それはつまり最初に何を犠牲にして、相反魔法を作るか、と言うことだった。
「そうやって何度も実験を繰り返してから、正式な魔法として作られるのが『相反魔法』だ。主に解除の魔法が多いため、作る際には慎重にならなければならないだろう。……そして、今回の場合は特に厄介だ」
「どうしてですか」
「魔物化している人間に施されているものが完全な『魔法』ではないからだよ」
ブレアの言葉にアイリスの心臓はどくん、と大きく高鳴った。
「ライカのように人間の姿と意識を保った状態の者にならば、魔力を消滅させるための相反魔法は効く可能性は高いだろう。あくまでも魔力を失う、という点に限ってならば相反魔法は作れるかもしれない」
だが、とブレアは苦いものを口に含めているような顔で、言葉を続ける。
「魔物になった彼らは他者によって魔法をかけられたわけではない。魔物の魔力と血が直接的に投与されたことで身体の組織的な構造が変わり、すでに長い時間が経っていると見受けられる。……つまり、人間の根本となる部分がすでに崩れ去っている可能性があるから、相反魔法を作ったとしても、絶対的に効果があるとは言い切れないんだよ」
相反魔法によって、魔力を失うことと魔物から人間へと戻すことは、同義ではないという意味だとすぐに理解出来た。
だからこそ、ライカは全てを覚ってしまったのだろう。小さな身体は震え、自分の腕でその身を抱きしめていた。
仮に相反魔法によって体内の魔力を消滅させることが出来たとしても一度、魔物に堕ちた人間は元には戻らない。まるで死の宣告を受けたような表情をライカは浮かべていた。
もしかすると、行方不明になっているリッカをいつか、人間に戻すことが出来る可能性があると思っていたのかもしれない。
それが叶わないと気付いてしまったのだろう。
ライカは感情を全て押し込めてから、ブレアへと揺らいだ視線を向ける。
「それじゃあ、どうして僕だけは人間の姿を保っていられるんですか……」
「……だからこそ、不可解なんだよ。セプス・アヴァールによって投与された薬の量の違いなのか、それともライカだけが……魔力を受け取るための素質を元々、持っていたのか──。すまない、私には何も分からないんだ」
ブレアは困ったようにも、泣きそうにも見える表情を浮かべつつ、ライカの頭に手を置いた。
「すまない、ライカ。……本当にすまない」
「……っ」
ライカの表情はぐしゃり、と歪んでいる。本当は涙を流したいはずなのに、彼は一滴も流すことなく、両手の拳を握りしめながら、悲しさに耐えていた。
「……良いんです。それが、世の理というならば……。僕のこの身体だって、理を裏切って、生まれたようなものですから。それを受け入れることも仕方がないことなんでしょう」
覚ったような表情は茨の道へと一歩、進んでいるようにも感じた。
ああ、彼はまた、優しくはない世界を知ってしまったのだろう。
アイリスは堪らず、ライカを抱きしめたい衝動に駆られたが、彼の背中を見守るために動くことはなかった。
「僕のことは大丈夫です。それよりも、教団を襲っている敵についての話をしないと」
ライカはわざとらしく話題を変えるようにそう言ってから、無理矢理に笑って見せる。
気遣っているのは彼の方だというのに、恐らくライカは気付かないまま傷付いているのだろう。
ライカがアイリス達へと話を促すように視線を向けて来る。これ以上、彼に謝ることをライカは望んでいないと分かっているが、それでもアイリスの中の靄は晴れないままだ。
クロイドも少しだけ苦い表情をしたが、すぐにブレアの方へと身体の向きを変えてから話し始める。
「……恐らく、今回の教団襲撃にはブリティオンのローレンス家が関係しているかと思われます」
「何だと? また、ブリティオンのローレンス家の仕業だというのか」
「以前、オスクリダ島でセプス・アヴァールが言っていたことですが、魔物と化した島の人達をローレンス家の混沌を望む者がブリティオンへと連れ帰っていたと言っていました。この教団内にオスクリダ島の住人だった人が魔物として侵入してきているならば、今回の襲撃を裏で操っているのはローレンス家だと思われます」
「……」
クロイドの言葉にブレア達は口を噤んだまま、何かを考えるように黙り込む。
「……教団内に混沌を望む者がまたもや侵入しているということか」
ブレアの呟きは静かな波のような音だったが、それでも憤りが確かに含まれていた。
「ハオスならば、転移魔法陣を扱うことが出来たはずです。もしかすると、教団側に覚られることなく、教団の敷地内に転移していたのかもしれません」
「もし、それが実現出来るならば、厄介過ぎるじゃないか……」
それまでソファの上に腰を落としていたミカが立ち上がりつつ、どこか吐き捨てるようにそう言った。
「だが、理論上、行ったことのない場所に転移するのは難しいと聞いているぞ? 恐らく先日、教団へと侵入した際に、団員達に気付かれないように転移する場所をあらかじめ設定していたんじゃないのか?」
ミカの言葉に続けるように、ナシルも眼鏡を上へと上げつつ、意見してくる。
「うへぇ……。つまり、その悪魔は最初から教団を二度、襲うつもりだったということ?」
「そのつもりだったんじゃないのか? でなければ、魔物で教団内を撹乱させることの意味が無くなってしまうからな」
ナシルがそう告げた言葉に反応を示したのはブレアだった。
「……ナシル。今、何と?」
「え? ……だから、その悪魔は魔物を使って教団内を撹乱させて……」
言葉を続けていた途中でナシルも自分が言った言葉の意味をすぐに理解したようだ。
「……それならば、魔物は囮ということでしょうか」
アイリスはいつの間にか、ぽつりと言葉を口にしてしまっていた。この場に居るものならば、誰もが気付いただろう。
「魔物が囮ならば、一体何を目的としているんだ……?」
「しかも、今回は前回とは違って魔物は獣型だ。これまでに受けた報告の中には寄生する性能を持ったものはいないと聞いている」
魔具調査課内には再び、静寂が生まれて行く。
敵が誰なのかは判明したが、それでもはっきりとした目的が見えないからだ。




