聞こえる敵意
教団の全ての門を見て回ったが結局、通ることが出来る門は一つとしてなかった。
隣接する教会へと通じる門さえ通れなくなっており、教団の全てが結界によって閉じ込められていることが改めて判明してしまったのだ。
複雑な思いを抱きつつも、魔具調査課にいるはずのブレアのところへ戻るためにアイリス達は周囲を警戒しながら走っていた。
「……他人が作った結界を解くとなると、攻撃して破壊するか、解除するしかないからな」
「そうね。解除となると、高度な技術が必要となるから、普通の魔法使いでは対応出来ないかもしれないわ」
この教団で結界魔法に最も詳しい魔法使いとして一番有名なのは黒杖司の一人、ハロルド・カデナ・エルベートだ。
だが、彼の自宅は教団の外にあるため、通常業務を終えたハロルドは今の時間は自宅にいることだろう。
ハロルドの孫であるハルージャもそれなりに結界に詳しいとのことだが、教団を覆っている結界をどうにか出来る程の技量を持っているか定かではない。
「とにかく、結界のことをブレアさんに報告して、それから……」
「──アイリス姉さん!」
部課が置いてある建物の中へと入ろうとした時だった。
背後からアイリスを呼ぶ声が聞こえたため、勢いよく振り返るとアイリスの腕の中にライカが突撃するように接触してきたのである。
「ライカ!?」
ライカの身体は震えており、彼の瞳には涙が浮かんでいた。それは彼にとって良くない何かが起きたことを意味しているとアイリスはすぐに察した。
「どうしたの」
「いた、んだ……」
「え?」
「いたんだ、知っている人。オスクリダ島に、住んでいた人」
「……どういうことだ?」
クロイドは震えるライカの肩に手を添えてから、訊ね返す。
ライカは何とか言葉を紡ごうとしており、その首はゆっくりと彼が走って来た方向へと向けられていく。
暗闇の中から、何かの足音が響いて来る。アイリスとクロイドはライカを背中に隠してから、魔具を構えた。
ライカはアイリスの背中にしがみつきつつも、息を吐くように答えた。
「だって、声が……僕の耳に、声が……聞こえて……」
ライカはがたがたと震えながら、片手で獣の耳を押える。
「声? それは……」
「魔物。魔物から、声が聞こえたんだ」
ライカがゆっくりと視線を向けた先には黒い影が闇の中を歩いている姿が見えた。
クロイドの表情が険しいものへと変わり、あの闇の中に潜む黒い影が「魔物」だと気付いた。
アイリスは純白の飛剣を抜いてから、対峙するように刃先を影へと向ける。
「ライカ、あなたは魔物の声が聞こえるの?」
「う、うん。多分、この獣の耳のせいだと思う……」
「魔物は何と言っているんだ?」
クロイドが訊ねるとライカは一度、言葉を喉の奥へと飲み込んでから、深い息を吐いた。
「……腹が減った、腹が減ったって……。食べたい、美味そうだ、って……。あの声……漁師だった、マサキさんの声だ……」
「っ!?」
ライカの言葉にアイリスとクロイドは目を大きく見開いた。
「待って。……オスクリダ島の住人が……魔物になってしまった人が、ここにいるというの?」
「いるよ。だって、声が聞こえるんだ。知っている声が。皆、数ヶ月前に突然、島からいなくなった人達ばかりだ……。でも、それだけじゃない」
気付けば、アイリス達は獣型の魔物に囲まれている状態となっていた。どの魔物も牙をむき出しにして、よだれを垂らしている。
その瞳は剣呑としており、明らかにアイリス達を敵として認識しているようだった。
「ここにいる魔物……多分、元々は……人間だった人達だと思う。唸る声が人間の言葉にしか聞こえないよ……」
ライカがそう呟いた瞬間、アイリスに向かって大きい身体を持った犬型の魔物が突如として襲い掛かってきたのである。
「っ……!」
アイリスは長剣で魔物の牙がそれ以上、進まないようにと刃を交えた。軋む音は不快感を募らせていくが、それよりもアイリスの肩に乗せられていたのは枷、という言葉だった。
アイリスがこの場で魔物を斬るか、斬らないかで迷っていると傍にいたクロイドが右足を使って魔物の腹を蹴り上げて、遠くへと蹴飛ばしてくれた。
ぎゃんっ、と犬のような鳴き声が響いたが魔物は死んではおらず、身体を起こして体勢を整え始めていた。
「──透き通る盾!」
クロイドはすぐに三人を囲った結界を形成させて、魔物と距離を取った。
魔物達はクロイドの結界に体当たりをして穴を開けてこようとしたが、結界は揺れることなく強固に保たれたままだ。
だが、突き破られるのも時間の問題だろう。
「一体、どうすれば……」
クロイドが苦い表情をしながら呟く。アイリスも長剣を握りしめ直して、唇を噛んだ。
まさか、再び人間が魔物に堕ちたものと対峙することになるとは思っていなかったからだ。
オスクリダ島で何が起きたのか、忘れたわけではない。この手は確かに数多の死を生み出したのだから。
「アイリス姉さん。魔物になった人達を元に戻す方法はまだ、無いんですよね?」
震えながらもライカはしっかりと前を見据えながら確認してくる。
「……無いわ」
その答えに反応するように、ライカはアイリスの背中辺りの服をぐっと掴んでくる。
「……また、倒して欲しいなんて言ったら、お二人の負担になってしまいますよね」
乾いたような声でライカはそう呟いたが、その表情は今にも泣き出してしまいそうだった。
「ごめんなさい……。僕が、声が聞こえるなんて、言ったから……」
「あなたのせいだなんて、微塵も思っていないわ。悪いのは、何の罪もない人間を魔物へと堕とした奴らよ」
アイリスは無理に、不敵に見えるようにと笑って見せる。
「ライカの方こそ、辛いでしょう? ……知り合いだと分かっているのに、敵意を向けられたら、誰だって苦しく思うわ」
「っ……」
ライカの表情がくしゃり、と歪んでいく。本当ならば、こんな表情を二度とさせたくはなかったのに彼の心をまた傷付けてしまった。
「……でも、一つだけ分かったことがあるぞ」
結界が魔物に壊されないように魔力を注ぎつつ、クロイドはふっと顔を上げた。
「オスクリダ島の住人を魔物へと堕とした奴こそが、教団を襲撃してきた犯人だ」
「……まさか、混沌を望む者が教団内に……!?」
アイリスの小さな叫びにクロイドは頷き返す。
魔物へと堕とされたオスクリダ島の住人達が教団内にいるというならば、それはブリティオンのローレンス家が関与しているということになる。
特に悪魔であるハオスが魔物になったもの達を回収していったとセプス・アヴァールは言っていたことを思い出し、アイリスはぎりぃっと奥歯を強く噛んだ。




