見えない檻
アイリスとクロイドの間には、何とも言えない空気が流れ始める。
明らかな結界の異常にどうすることも出来ないと頭で分かっているからこそ、お互いの表情は強張っているように見えた。
それは不安か、それとも怖気か。
いや、もしかすると両方の気持ちが心を支配しているのかもしれない。先日の状況とは別物であるため、対処する方法を変えなければならないだろう。
アイリス達はお互いが抱いている負の感情を胸の奥底へと追いやってから、顔を見合わせる。
「とにかく、他の門も通れないようになっているか、確認しに行ってみよう。もしかすると、教会と通じている通路ならば、通れる可能性もあるだろうし」
「そうね。それから、結界の異常に関することをブレアさんに報告して……」
その時だった。
「──おいっ、そっち側に誰かいるのか!? いるなら返事をしてくれ!」
どうやら、門の向こう側から声をかけているようで、姿は見えないがはっきりとした声がその場に響いてきた。
門の高さは見上げる程に高く、外から見えないように不可視の魔法がかけられているが、門越しに「声」は通るようだ。
普段は一般人に教団内の声や音が聞こえないようにと防音の魔法も施されているはずだが、先程の轟音のような攻撃が響いた際に、もしかすると防音の魔法が破壊されてしまったのかもしれない。
それならば、あとで防音と不可視の魔法を念のためにかけ直した方がいいだろう。
「──いるわ。こちら、魔具調査課所属のアイリス・ローレンスとクロイド・ソルモンド。あなたは?」
「おおっ、アイリス・ローレンスか! 俺は魔物討伐課のセング・ガルディアだ! ほら、武闘大会の時に対戦しただろう!」
門越しから快活そうな声が響いて来る。
そういえば、明るすぎる声に聞き覚えがあると思っていたアイリスは、声の主が双剣使いのセング・ガルディアだと思い出して、納得するように頷いた。
「ああ、セング・ガルディアね。見回りの任務中だったの?」
魔物討伐課の主な任務は魔物を討伐することだが、ロディアートの街中を見回り、夜を駆ける魔物を討伐することも仕事の一つだ。
そのため、朝日が昇るまで、所属している団員達が交代で街中を見回る当番が組まれている。
「そうだ。それで深夜の当番の奴と交代しに来たんだが、何故か門に触れられなくて困っていたんだ。伝達用の紙製の魔具を使っても、結界に触れたら消失しちまうし、それどころか無理矢理に飛んで門を超えようとしても阻まれて通れなくなっていたからさ」
セングは疲れたと言わんばかりの声色で溜息を吐きつつ、そう告げる。
だが、その言葉を聞いたアイリスも同様に溜息を吐きそうになってしまった。
「……そちら側からも通れないようになっているのね」
「え? って、まさか、内側からも通れないのか!?」
アイリスの言葉にセングは途端に焦ったような声色へと変わる。門の内側で何か問題が起きたことで、一時的に通過出来ないようになっていると思っていたらしい。
「つい十数分前に、教団が正体不明の敵から攻撃を受けたのよ。それによって、教団内には転移魔法陣をその身に宿した魔物が多く出現していて、今はその討伐に追われているわ」
「何だって!?」
セングだけでなく、セングのチームの団員もすぐ傍にいるのか驚いたような声が方々から上がっていた。
やはり、外に出ていた彼らは教団内で起きたことを知らなかったらしい。
「この前みたいに教団が攻撃を受けた上に、魔物まで闊歩しているだと? 一体、どうなっていやがるんだ?」
「それに関してはまだ情報収集が行われているけれど……。現状だと、教団と外部は連絡が取れないようになっているの。電話線も切られているようだし、伝達用の魔具を使おうとしても、教団を覆っている結界に阻まれてしまうそうよ。通信用の水晶も近場での通信は出来るみたいだけれど、遠距離の通信は難しいみたい」
「……つまり、教団の中に居た奴らは結界に閉じ込められているということか」
「そういうことだと思うわ。今、その原因を解明しようと思っているんだけれど……」
「うーん……」
セングは何かを考えているのか小さく唸る。彼もまさか、このような事態になっているとは思っていなかったのだろう。
アイリス達だって、いつも通りに過ごしていた。
だが、何かが崩れる時はいつだって、唐突なのだ。
「──よし、俺達はこのまま教団周辺を念のために見回って来る。上司と連絡が取れない以上は、自分達で考えて行動するしかないからな。……それと街の安全は俺達に任せておけ。他にも街中に出払っている団員達には教団の状況を伝えておくよ」
「分かったわ。……何が起きているのか分からない以上、そちらも気を付けて」
「おうよ! それじゃあ、またな!」
セングは共にいた団員達に声をかけてから、その場を離れて行ったようだ。
どうか彼らも無理をしないで欲しいと思いつつ、アイリスは門から視線を逸らした。再び静けさが戻ってきたが、アイリスは途方に暮れたように深い溜息を吐いてしまう。
「……大丈夫か、アイリス?」
「ええ。……でも、結界内に自分達が魔物と一緒に閉じ込められるなんて……まるで檻みたいね」
「……」
クロイドは何も言わずに、唇をぎゅっと結んでいた。同様のことを思っているのかもしれないが、それでも彼は口に出すことはしなかった。
「行きましょう。他の門も確認しに行かないと」
「ああ」
アイリス達は小走りで次の門へと向かう。ここから一番近い門は西側の門だ。教団内はかなり広いため、全ての門を見て回るには時間がかかるだろう。
……せめて、一つだけでも通ることが出来る門があれば。
そんな望みを抱いていても、現状は上手くはいかないと分かっている。
それでも、今は微かな希望を抱いて、走ることしか出来なかった。




