前夜
嘆きの夜明け団と永遠の黄昏との話し合いが行われてから三日程が経った。
組織と連絡を取り合うことが出来たようだが、幹部の者達が揃って殺されていることにあちらは怒りを隠せないでいるようだった。
もちろん、教団の仕業ではなく、セリフィア・ローレンスによる単独犯行だと訴えたが、聞く耳を持たない状態のやり取りが暫く続いていたらしい。
そのため、エリオスが事前に話し合いの場を映像として記録していた式魔を証拠として、向こう側に提出することにしたのである。
また、遺体も組織側の遺族が引き取ることになり、あと数日後には組織側から数名の魔法使いがイグノラントへとやって来るとのことだ。
組織側は教団から送られてきた式魔によって再生された映像に、セリフィアの犯行が映っている姿を確認すると、それまで教団側に向けていた怒りをすっと収めた。
だが、それは納得したというよりも、「黙らざるを得なかった」と言うべき様子だったらしい。
押し黙ったということは、それ以上の言葉を口にすることに危うさを感じたからなのかもしれない。
そこからはとんとん拍子で話が進んで行き、話し合いの場に使われた屋敷に、組織側の魔法使い達が現場検証をしにくるとのことだ。
教団側の疑いが晴れるならばいいが、やはりお互いの溝は深まったままだろう。
死人が出た以上、あの話し合いの場によって何かの引き金を引いたのは間違いない。
それは教団側も、組織側も、そして……ローレンス家としても。
それでも時間は進んで行く。全てを過ぎたものとしなければ、進んでいけないように。
午後二十時過ぎ。
アイリスとクロイドは今夜、奇跡狩りの任務を行うために魔具調査課で回収対象の魔具の詳細を確認していた。読んでいる資料は情報課のミレットが渡してくれたものだ。
今夜はとある貴族の屋敷に忍び込み、宝石と間違えて購入された魔具を本物の宝石と交換するという任務が控えている。
穏便に済ませるためにも忍び込む予定の屋敷の持ち主達には気付かれないようにしなければならない。
「──ふわぁ……」
思わず大きなあくびをしてしまったアイリスの様子に気付いたクロイドは資料から顔を上げる。その表情にはこちらを心配する色が窺えた。
「最近、眠れていないようだな、アイリス」
どうやら相棒をやっていることもあり、顔色だけでお見通しらしい。
「うーん、最近、寝付きが良くないのよね。それに眠っても夢にうなされて途中で起きてしまうこともあるし」
「……夢の内容は覚えていないんだな?」
「そうなの。……だから、なおさら気になるのよねぇ」
アイリスが困ったものだと言わんばかりにそう告げるとクロイドも同じような顔で頷き返してくれた。
「まあ、無理に思い出そうとしなくてもいいだろう。余計に精神的負担がかかるぞ」
「そうね。それに今は任務の方に集中しないといけないわね」
「ああ。……出来るだけ、早めに任務を終わらせて、ゆっくりと眠れるようにしよう」
「ええ」
魔具調査課の室内には、アイリス達以外の団員の姿はいない。
チーム「種」は、今日は任務がないとのことなのですでに寮に戻って休息しているし、チーム「影」とチーム「風」は出張任務で不在となっている。
ライカも早めに寮に戻っているので、この場にはアイリス達しかいなかった。
久しぶりに二人だけで時間を過ごしている気がして、アイリスは緩みそうになる気を引き締め直した。
「……なあ、アイリス」
「何かしら」
クロイドに声をかけられたアイリスは資料から顔を上げて、首を傾げる。クロイドから向けられる視線と自分のものが深く交わり、それはやがて離れがたいものとなった気がした。
「色々と落ち着いたら、また二人で出かけないか」
その誘いにアイリスは薄っすらと笑みを返す。
「あら、いいわね。夏場には氷菓子を取り扱うお店が増えるから、一緒に冷たいものを食べに出掛けましょうか」
「そうだな。他にも涼しいところを巡ったりしよう」
「ええ、楽しみにしているわ」
次はいつ、時間が出来るか分からないがこのように二人だけの計画を立てるのは好きだ。
現実逃避だと言われるかもしれないが、ほんの少しだけ休まる時間が欲しいと思うのも本音である。
……ここ最近は特に心身ともに疲れることが多かったわね。
これ以上、何があるというのだろうか。
そんな不安に駆られつつ、アイリスは今、生きている。
それを表に出さないように注意していても、時折、よく分からない原因不明の不安が自分を襲ってくるのだ。
アイリスは視線を資料へと戻し、再び集中しようと試みる。
今夜の任務はあと二時間後に開始予定だ。
それまでにクロイドと作戦を立て合おうとしていると、魔具調査課の扉がすっと開かれる。
室内へと入ってきたのはブレアだった。その手には食堂から貰ってきたであろう、サンドウィッチが盛られた皿があった。恐らく、彼女の夜食だろう。
「二人とも、一緒に食べるか?」
にやりと笑ってからブレアはサンドウィッチが盛られた皿をアイリス達の机の上へと置く。
「ありがとうございます、ブレアさん。では、一切れだけ」
食べすぎるとこの後の任務に支障が出るので、とりあえず一切れだけ頂くとしよう。
アイリスとクロイドは皿から卵とハムが挟まっているサンドウィッチをそれぞれ手に取って、口へと運んだ。
ブレアはその場に立ったまま、もぐもぐとサンドウィッチを食べている。課長室に持って行って、一人で食べるのだろうと思っていたがどうやら違うらしい。
「そろそろ、任務に行く時間か」
「そうですね。もう少し、資料を読みこんでから行こうかと思います」
「そうか。二人とも、気を付けて行って来いよ」
「はい」
それはいつもの何気ないやり取りだった。
何も変わりがない、けれど確かに情が込められた言葉。
いつも通りにその言葉のやり取りをしていた時、「それ」は唐突に訪れた。
──ドゴォォォォンッ!!
身体を揺らす程の轟音と振動がその場に突如として響き渡ったのである。




