悲痛な夢
ああ、まただと気付いた時には、アイリスは夢の中にいた。
明晰夢だと分かっているのに、自分はきっと夢から覚めてしまえば今、見ている内容を全て忘れてしまうのだろう。
そのことを少しだけ寂しく思えた。
夢の中のアイリスはどこかを走っていた。
自分は自分だと分かっているのに、まるで頭上から自分の姿を見ているようにも感じられて、不思議な気分だ。
……クロイドも一緒にいる。でも、私達は一体、どこに向かって走っているのかしら。
二人とも表情は険しく、かなり切羽詰まっているようにも見えた。何かに追われているのか、もしくは何かを追っているのかもしれない。
足の速度は緩むことなく、一直線にどこかへ向かっていた。
どくん、どくんと心臓の音が早まる。
この先に、何かがあると導かれているようにも感じた。
すると、いきなり場面が変わり、どこか広い場所へと辿り着いたようだ。
しかし、その瞬間、クロイドがアイリスの名前を叫び、彼の手で後方へと突き飛ばされることとなる。
アイリスの身体はクロイドから数メートル程、離れた場所で尻餅をついてしまう。床上に倒れたアイリスはゆっくりと起き上りつつ、瞳を薄っすらと開ける。
何が起きたのだろうか。
その場は白い光が満ちていき、アイリスを守るように前方に立っているクロイドの姿がゆっくりと飲み込まれていった。
「──クロイド!」
気付いた時には、クロイドは床上に倒れており、目を閉じたまま動かない状態となっていた。
その姿を見た瞬間、アイリスの身体からは血が引き下がっていくような不快な感覚が流れていった。
アイリスの中の冷静さを含む部分が一気に削げ落ちて行く。
目の前の光景が信じられないと言わんばかりに視界に捉えているものを拒絶してしまいそうになった。
「クロイド、クロイド!」
アイリスはクロイドの頭を自分の膝の上へと載せて、何度も肩を叩く。それでもクロイドの表情には無が宿ったまま、色を変えることはない。
それどころか、彼の身体はだんだんと冷たいものへと変わっていき、顔色も白いものへと変わっていく。
その全てが何を表しているのか、アイリスは理解出来ていたのに、理解したくはなかった。
「っ──!」
それは、あまりにも恐ろしい色に思えた。
クロイドが動かないまま、冷たく、白く変わっていく。
呼びかけても、彼は返事をしてはくれない。
ゆっくりと、ゆっくりと自分の目の前で、二度と会えない人になってしまう。
「あ……ぁ……」
嫌だ、嫌だ。
行かないで。私を置いて行かないで。
一人にしないで。
冷たくならないで。お願い、動いて。
クロイド。クロイド。
「ぁ、ぅ……あぁ……」
呼吸が出来なくなったアイリスはクロイドの白い頬の上に透明な涙を落としていく。
ああ、どうか神様。お願いです。
どうか、どうかこの人を私から奪わないで下さい。
私の大事な人なんです。私の半身なんです。
どうか、どうか。
それならば、せめて、私を──。
クロイドの冷たい身体を抱いていたアイリスは強く願った。
それは歌のように。
それは呪いのように。
ただ、願った。
どうか、自分がクロイドの代わりに──。
・・・・・・・・・・
「っ……!」
生温い不快感のようなものを感じ取ったアイリスはベッドから跳ね起きた。
窓の外と比べて、室内は涼しいはずなのに、何故か身体中から汗を噴き出していたからだ。
「っはぁ……はぁ……」
嫌な夢を見ていたのだろう。自分の呼吸はかなり荒く、そして中々整わないでいた。
「っ……。はぁ……」
何とか心臓を落ち着かせてから、アイリスはベッドから降りる。視線を窓の外へと向ければ、まだ眠ってからそれ程、時間が経っていないことに気付いた。
……何か夢を見ていたはずだけれど、どうしても思い出せないわ。
汗を掻く程に嫌な夢を見たようだが、その内容は一欠けらとして覚えてはいなかった。
先日、嘆きの夜明け団と永遠の黄昏との話し合いが行われたが、その場で人が死ぬ瞬間を見てしまってからは、目を瞑る際に思い出してしまい、夜に寝付けない日々が続いていた。
気分が良い光景ではないため、忘れようとしても逆に思い出してしまうのだ。
「はぁ……。情けないわ……」
まるで怖い夢を見て、眠れない子どものようだ。
自分を寝かしつけてくれる人も、寝ている間に手を握ってくれる人もここにはいないというのに。
日中にそれほど支障は出ていないが、そろそろ気が滅入りそうだ。どうにかした方が良いだろうと考えつつ、アイリスは寝間着を脱いでいく。
さすがに汗を掻いたので、新しい服に着替えてから眠りたい。
「……それにしても一体、何の夢を見たのかしら……?」
アイリスはイリシオスから「夢魂結び」という力について聞かされていたため、夢を見る際には絶対に覚えておこうと思っているがいつも目が覚めると忘れてしまう状況が続いていた。
大事なことを夢の中で知らせてくれているのかもしれないのに、覚えていないため、どうしようもないのだ。
そのことに関してもアイリスは大きな溜息を吐くしかなかった。
「……どうすれば、夢を覚えたまま目を覚ますことが出来るのかしら」
自分の中に宿っていると言われている力だが、それを制御出来る術など今のところはない。
何とも言えない無力感に苛まれつつも、アイリスはもう一度、眠るために新しい寝間着へと着替えていた。




