笑う悪魔
ブリティオン王国 ローレンス家
「──ふん、ふふーん。ふーん……」
エレディテル・ローレンスと契約している悪魔「混沌を望む者」は鼻歌を歌いつつ、胸元に光る赤い石を布で綺麗に磨いていた。
この赤い石を経由して、ブリティオンの魔法使い達が持っている魔力が送られてくる仕組みとなっている。そのため、自分はあらゆる大きな魔法が使い放題の身となっていた。
人間の身体は貧弱過ぎて扱いにくいと思っていたが、魂の入れ物さえ変えれば、自分は無限にこの世界に留まり続けることが出来るので、何とも便利である。
自分の契約者であるエレディテルのことはいけ好かない奴だと思っているが、様々な魔法を生み出している点についてはある程度は評価していた。
「よし、これで必要な道具の確認は終わりだな。あとは、魔物の健康状態でも確認しておくか。……あ、興奮させる薬はどこに置いていたっけなぁ~」
ハオスはこれから実行しようと思っていることに対して、必要なものが確かに手元にあるかの確認をしていた。
だが、楽しみ過ぎて、感情が表に出てしまっていたようだ。そのことを自覚しつつもハオスは最終確認を進めていた。
「……ご機嫌だね、ハオス」
すると、後ろから声がかけられたため、ハオスは何気なく振り返る。
そこにはどこか疲れた表情をしていたセリフィアがいた。仕事帰りに自分の研究所に立ち寄ったようで、彼女からは血の匂いが流れてきた。
自分はこの血の匂いというものが好きだ。嗅いだだけで、興奮するような感覚になるのはきっと、残虐な行為を連想させるからだろう。
「よう、セリフィア。お前の方は連日の仕事でお疲れのようだな」
「そうかな。……僕は疲れているのかな」
セリフィアはこてん、と首を傾げつつ、小さく息を吐く。
自分のことなのに、分からないと言わんばかりの表情にハオスは溜息をわざとらしく吐いた。
「はっ。そんなこと、知るかよ。俺はお前じゃあるまいし。自己管理くらい、ちゃんとしておけよ。お前には最後の最後に重要な役目があるんだから」
「……うん。そうだね」
セリフィアはどこか義務的に返事を返す。
元々、ハオスやエレディテルの前では喜怒哀楽の感情を多くは見せない彼女だが、ここ最近は何かに悩んでいるようにも見えた。
「……ハオス。今日、実行するの?」
「ああ。エレディテルの奴からも許可は得ているからな。ここまで準備するのに、それなりに時間はかかったが、教団の中には一筋縄ではいかない面白い奴もいるから、しっかりと用意していかないとな」
「……そう。気を付けてね」
「おいおい、悪魔のこの俺に気を付けてなんて言うのはお前くらいだぞ? 一体、どうしたんだ?」
「え?」
セリフィアはそう言われるのが意外だったようで、目を瞬かせている。
「ここ最近、何かに悩んでいるだろう、セリフィア。お前らしくもないんじゃないのか?」
「悩む……」
「そうだ。お前はただ、エレディテルの命令を聞いていればいいんだから。……って、俺も同じか」
自分もセリフィアと同じ立場でエレディテルの命令を聞かなければならないと自覚したハオスは舌打ちをしつつ、セリフィアから目を逸らす。
上下関係は分かっているのだが、それでも認めたくない自分がいるのだ。それは「悪魔」というものは全ての生き物において、上位に位置するものだと認識しているからだろう。
「俺もお前も、ただの人形だ。歪な魂が入っているだけの人形だよ」
「……」
「だから、持ち主の言うことを黙って聞いていればいいのさ」
「……うん、そうだね。分かっているよ」
セリフィアはそんな言葉で返すが、中身に生気が込められていない気がした。
何というか、今のセリフィアはまるで空気のようだ。そこにいるのに、いないようにも思えて、ハオスは呆れるように溜息を吐いた。
「ほら、俺のことはいいから、お前もさっさと血を流して来いよ。まだ、エレディテルに報告しに行っていないんだろう?」
「あ、そうだったね。それじゃあ……またね、ハオス。行ってらっしゃい」
「おうよ。教団の奴らを蹂躙しまくって、目的の物もちゃーんと回収してくるから、明日はご馳走でも作って待っていてくれよ」
ハオスが軽口を叩くようにそう告げるとセリフィアはやっと表情を和らげて、薄っすらと笑った。
「ふふっ。ハオスも人間の食事を美味しいって思えるようになったの?」
「あのなぁ、この身体は一応、人間だぞ? 動くためにはそれなりの栄養分が必要になるんだよ」
「それもそうだね。……それじゃあ、料理長には美味しい料理を準備するように、伝えておくね」
「ああ」
セリフィアは自分に声をかけて来た時とは違って、どこか穏やかな表情でその場を去って行く。
「……全く、子どもの面倒を見るのも楽じゃないぜ」
何せ、自分はセリフィアが生まれた時から彼女のことを知っている。
ハオスの方がエレディテルと契約したのが早かったため、自分にとってセリフィアは何かしら面倒を見る存在となっていた。
「はぁ、嫌だねぇ。俺も人間臭くなっちまったようだ」
悪魔が人間と親しくなるなど、本来ならば有り得ないことだ。
だが、自分というものを求められ、力を認められ、そしてやりたいことが好き勝手に出来る今の状況をハオスはとても気に入っていた。
他の悪魔達が今の自分を見れば、腑抜けたものだと笑うかもしれないが、ハオスはそれを逆に笑い飛ばしたいと思っている。
それほどに、今の自分は上位の悪魔となれる力をエレディテルのおかげで有していた。
「……さあて、ご主人様のために、ひと暴れして戦果をあげてくるとするか」
ハオスは悪魔らしい笑みを浮かべて、にやりと笑う。
これから、楽しい時間の始まりだと言わんばかりに暫くの間、ハオスの高笑いがその部屋に響いていた。




