分からないこと
するとそこへ、エリオスが小走りでやって来る。着ている服はあらゆる箇所が土で汚れているので、瓦礫の中を歩いてきた後のようだ。
「ああ、アイリスも無事か。急にあの少女を追いかけて行ってしまったから、心配したぞ」
「ご、ごめんなさい、兄さん……」
「いや、無事ならそれでいい。……ブレアさん、団員達に確認しましたが、教団側には被害は出ていないようです。皆が怪我一つ負うことなく無事でした。……ただ、俺も確認はしましたがブリティオンの組織の人間の中に生き残っている者はいませんでした」
「……そうか」
「遺体は組織側が引き取りに来なければ、我々の方で弔う手筈を整えようと思います。今、黒筆司が組織側に連絡が取れるか試しているようです」
「……幹部の人間が話し合いの場で死んだとなると、犯人として疑われるのは教団側だろうな」
「な……」
アイリスが思わず驚いた声を上げると、エリオスは苦笑してから首を横に振った。
「安心してくれ。こんなこともあろうかと、最初から屋敷内の全ての箇所に俺の式魔を配置して、状況を映像として記録させている。それを証拠として組織側に提出すれば、教団にかけられた疑いは晴れるだろう」
「本当に抜かりないですね」
クロイドは感心しているのか、何度も頷いている。そういえば、式魔についても勉強していると言っていたので、エリオスの魔法は見ていて勉強になるのだろう。
「どんな情報も武器になると言っていたのは黒筆司だ。……本当に、あの若さで大した奴だよ、ウェルクエントは」
エリオスはふっと小さく微笑む。すると背後からエリオスを呼ぶ声が聞こえたため、彼はすぐに行くと返事を返した。
「それじゃあ、俺はもう少し、屋敷内で作業をしてくるから。帰りは別行動になるだろうが、アイリス達も気を付けて教団に帰るんだぞ」
「ええ、ありがとう、兄さん。……それと、兄さんから貰った魔符、とても役に立ったわ。守ってくれてありがとう」
アイリスがそう伝えるとエリオスは更に目を細めてから、ゆっくりと頷き、そして屋敷の方へと戻っていった。
「ふむ、あとの片付けはウェルクとエリオス達に任せておいて良さそうだな。こういう時、対人を専門とする魔的審査課がいると便利なもんだ」
ブレアはエリオスの背中を頼もしいものを見るような瞳で見つめてから、アイリス達へと向きなおる。
「話し合いの場が壊された以上、私達には何も出来ないからな。……ただ、これまでの件がブリティオンのローレンス家が単独で行ってきたという証言が出ただけでも進歩だろう。まあ、この情報がどれ程、信用出来るものなのかは分からないが」
「そうですね……」
「それに組織側も何か面倒事が起きているようだからな。暫くは干渉しない方が得策かもしれない」
ブレアの言う通り、ブリティオンの組織側の言い分の中には何か含みがあるように聞こえていた。
その言い方はまるで「全てブリティオンのローレンス家が悪い」と言っているようにも聞こえたからだ。
教団側では知りえないことが向こうでは起きているのかもしれない。あくまでも予測だが、それはきっと良いことではないということは察知していた。
「……でも、出来るならば、ただの話し合いの場で死人なんて出したくはなかったんだけれどなぁ」
「……」
ブレアの嘆きのような言葉にアイリス達は返事を返すことが出来なかった。
セリフィアがどのような目的を持って、自国と教団の魔法使いを攻撃してきたのかは掴めないが、本当ならば一滴の血も流すことなく穏便に終わらせたいと誰もが思っていただろう。
責任を追及するだけの場だったはずなのに、気付けば悲惨な状況となっていたことに対して、何とも言えない無力感に苛まれた。
……望んでいなくても、血は流れてしまった。
例え、教団側が組織の魔法使いに手を出していないという証拠があっても、新たな衝突は避けられないのではとアイリスは考えていた。
この先、教団と組織の関係がどうなっていくのかは分からない。
それでも今だけは、名前も知らぬ相手に向けて、悼んでいたいと思った。
「さて。片付けを手伝ってくるか。……ああ、遺体は先に別の場所へと運んでいるから、お前達は屋敷の片付けを手伝ってくれ」
「分かりました」
恐らく、アイリス達に遺体を見せたくはないというブレアの気遣いなのだろう。アイリスとクロイドは頷き返してから、ブレアの後を付いて行く。
……これから先、一体何が始まるというの。
セリフィアも言っていた。ローレンス家がこれから行うことをアイリスはきっと許しはしないと。
……どんな時が来たとしても、私は……私として立っていられるのかしら。
アイリスは袖の中で拳を握りしめる。もう、涙は出ていなかった。
起こりうる何かが近づいてくる。それを察知することも出来ないまま、ただ密かに待つだけしか出来ないのかもしれない。
未来なんて、誰も見えないだろう。
見えていたならば、血を流すことなどないのだ。
だからこそ、人は怯えて、構える。
自分が持つ牙で撃ち返すために。
鼻先に血の匂いが掠めた気がして、アイリスは顔を少しだけ顰めた。この血を流したのはセリフィアだ。セリフィアが自国の人間を殺したのだ。
それは分かっているはずなのに、彼女のことを心底、嫌うことが出来ない自分がいた。
彼女は自分の手で殺した者達のことをどのように思っているだろうか。それとも、何も思っていないだろうか。
何も、分からないままだった。




