表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
昏き慟哭編
621/782

嘆く叫び

 

 青嵐の靴(ブルゲイル・ブーツ)の力により、アイリスとセリフィアとの距離は少しずつ縮まっていく。

 それでも、この距離を保つだけでは意味がないのだ。彼女に、追いつかなければならないのだから。


「っ……」


 アイリスは走りながら小型のナイフを三本、ローブの下から取り出して、そしてセリフィアの足元に向かって素早く投げ放った。


 三本のナイフはセリフィアのローブやスカートの端をほんの少し切り裂いてから、地面へと突き刺さる。


 背後から攻撃を受けたことを感じ取ったセリフィアは、足元に刺さったナイフを見て、一瞬だけ前に進むことを躊躇した。


 アイリスはその隙を逃すことなく、加速したままの身体でセリフィアを捕らえるために突っ込んだ。


「ぐっ……」


「ったぁ……」


 お互いの身体が強く接触した二人はそのまま地面の上を何度か転がってから、動きを止める。

 防御魔法を事前にかけてもらっていたが、セリフィアが先程、攻撃魔法を放った際に消え去ってしまっていたため、鈍い衝撃が身体中を巡った。


 それでもアイリスは身体を起こしてから、同じように地面の上へと転がっていたセリフィアへと近づく。


「セリフィア……」


 セリフィアは自分を追いかけてきたのがアイリスと知ると、すぐに顔を歪ませて、泣きそうな表情を浮かべる。

 その表情を見てしまえば、背けずにはいられなかった。


「……どうして、君が僕を追いかけてくるの、アイリス」


 声を震わせながら、セリフィアはゆっくりと立ち上がる。


「どうして、僕の名前を呼ぶの。どうして、僕を止めるの」


「……」


 セリフィアから放たれる威圧にアイリスは動けなくなっていた。彼女の魔法をこの身で受ければ、ひとたまりもないだろう。


 それでも、アイリスは真っすぐとセリフィアに視線を向け続ける。彼女自身を視るために。


「どうして、どうして……! どうして、君が……僕が、人を殺す瞬間を、見てしまうの……!」


 セリフィアは両手で顔を覆いつつ、叫んだ。その場に見えない魔力が漂っているのか、アイリスは生温い風を直に感じていた。


「……以前、あなたは言っていたわよね。本当は人を殺すことを恐ろしいと思っているって。……ブリティオンの魔法使い達をあの場で殺したのはエレディテル・ローレンスの命令によるものなの?」


 感情的なセリフィアに対して、アイリスは出来るだけ冷静に言葉を選びつつ訊ねる。


 本当はセリフィアの今の姿を見て、以前と何も状況が変わっていないことは察していた。むしろ、数ヵ月前よりもセリフィアを取り巻く状況が悪化しているのではとさえ思える。


 だが、彼女の口から答えを聞きたかったのだ。他人を手にかけたことは、決して彼女の意思によるものではないのだと。

 それはアイリスの中にある甘い部分だったのかもしれない。


「……そうだよ。全て兄様のためだよ」


 セリフィアは歪んだ表情のまま、どこか嬉しそうに笑う。その姿はあまりにも歪に感じられたが、アイリスは温かな言葉をかけることは出来ずにいた。


 それはセリフィアがエレディテルの命令を遂行することにどこか喜びのようなものを感じているからかもしれないと思ったからだ。


「何もかもが、兄様のためだ。それ以外に理由なんてない。僕が、誰を殺そうともそこに僕の意思なんてない」


「セリフィア……」


「同情なんてしないで、アイリス。……僕は君といるとおかしくなってしまう」


 右手で頭を押さえつつ、セリフィアは苦々しい表情でそう言い放った。


「君が僕のことを友達だと思って、こうやって近づいてきているのは知っている。けれど、僕にとっては、君は……」


 だが、セリフィアはそれ以上の言葉を身体の奥底へと飲み込んでいるようだった。


「……あなたが……以前、私に言った言葉は全て嘘だったの? 全て、あなたの言葉ではなく、エレディテル・ローレンスの意思による言葉だったというの……?」


 数ヵ月前の出来事が頭の中を巡っていく。初めての出会いは決して良いものではなかったが、どこか普通の人からは、ずれているセリフィアとはそれなりに親しくしていたように感じていた。


 美味しいものを食べて、楽しいことをして、そして笑い合う。


 それだけで、どこにでもいるような友人関係を築けていると勝手に思っていた。勝手に思っていただけで、それは間違いだったのだ。


「……っ」


 アイリスの言葉にセリフィアは言葉を詰まらせて、そして顔を俯かせていく。


 やがて、彼女の肩は大きく揺れていき、それまでの表情からは想像出来ないような笑いを見せ始めた。


「──あはははっ……! アイリス・ローレンス! 君は本当に馬鹿か!? 愚か者にも程がある!」


 おかしくて、おかしくて堪らないと言わんばかりにセリフィアは突如として大きな声で笑い始めたのである。

 まるで、操られていた糸が断ち切れて、壊れてしまった人形のように。


「全部、全部、嘘に決まっているだろう! 全てがローレンス家の君に近づくための口実だよ! 交わした言葉も抱いた感情も、過ごした時間も! 何もかもが全て嘘なんだよ!!」


 そこに怒りの感情は含まれてはいなかった。その叫びが何故か嘆きに聞こえたからだ。


 目の前でセリフィアが嘆いている。

 それでも、アイリスは突き刺さる言葉を受け止めることに精一杯で、彼女に声をかけることさえも出来ずにいた。


「最初から! 僕達の関係は最初から決まっていたんだよ! 君と僕は敵なんだ! 僕達が友達同士だなんて、笑わせないでくれ!」


 その叫びはまるでセリフィア自身を傷付けているようにも聞こえた。

 だが、それ以上にきっと自分はセリフィアを傷付けてしまっていたのだろう、知らないうちに。


「だって! だって、僕は兄様の道具だもの! そして、君もだ、アイリス! 兄様にとって、全てが都合の良い道具にしか過ぎないんだよ! 兄様の存在は絶対だ! 僕は……僕は、兄様に使われるために、生まれてきたのだから……!」


 捲し立てられる言葉にアイリスは絶句していた。それはもしかすると、自分自身に絶望していたからかもしれない。


 自分ではセリフィアを救うことは出来ないと、そんなことを願うことさえ烏滸(おこ)がましいと気付いたからだろう。


 アイリスはいつの間にか、左目から涙を流していた。ただ、静かに流すことしか出来なかったからだ。


 そんなアイリスの顔を見て、セリフィアは更に表情を辛そうに歪めて行く。


「ねえ、お願いだよ、アイリス。……これ以上、僕を苦しめないで」


 セリフィアは両手で胸を鷲掴みにしながら、苦しそうに呟く。そこにはアイリスに対する拒絶が含まれていた。


「セリフィ──」


 ぶわりとセリフィアから強い風が吹きつけてきたことで、アイリスの身体がぐらりと後ろへ揺れて、尻餅をついてしまう。


 その間にもセリフィアの足元からは緑色に光る魔法陣が出現していた。

 この緑色の魔法陣は以前、悪魔「混沌を望む者(ハオスペランサ)」が使っていたものだと気付く。つまり、転移魔法陣だ。


 セリフィアはこの魔法陣を使って、別の場所へと転移するつもりだとアイリスはすぐさま気付いた。


 だが、吹き荒れる強風によって、セリフィアには一歩も近づくことが出来ずにいた。その風の強さに、まるで自分には近づいて欲しくはないと訴えているようにも感じられた。


「きっと、君は僕を憎むだろう。これから僕達が成すことを君は許さないだろう。……それでいい。だって、僕達は最初から──君の敵なのだから」


「待って、セリフィアっ……!」


「さよなら、アイリス。次に会う時は、僕のことは敵として見てね。同情なんて、いらないから」


 そう言って、彼女は左目から涙を流しながら、小さく微笑み──光り出した魔法陣の中へと消えていった。


「セリフィア──っ!」


 反響するアイリスの声に応える者はいない。風を操る主が突如として消えたことで強風は止んで、穏やかな風が空気の中へと溶けて行く。


 地面に座り込んでいたアイリスは呆然とした表情のまま、何もない空間を見つめる。


「……」


 自分は、何も知らなかった。


 セリフィアが置かれている状況も、立場も、抱いている感情も何もかもを。それがきっと自分の罪なのだろう。


 セリフィアはどこか憎めない少女だった。天真爛漫としていて、善悪の区別が付かなくて、それでもこちらが見守りたくなる程に純粋だった。


 アイリスは片手で頭を抱え始める。

 どうすれば良かったのか、分からなかった。


 手を伸ばすことも出来なかった。

 受け止めることも優しい言葉をかけることさえも。


 会って、話をすれば止められると思っていた自分がいかに愚かしい考えを持っていたのか、やっと実感したのだ。

 それらはただの傲慢で、自己満足だ。

 自分の愚かな行為がセリフィアを傷付けたのだ。


 気付けば、自分はセリフィアを理解することは出来ないという現実だけが残っていた。


 柔らかな風と共に、森と潮の匂いが混じっていく。


 顔を見上げても、そこには何もなかった。まるで初めから存在していないように、何もなかったのだ。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ