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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
裏の教団編
62/782

望む先

   

 アイリス達が訪れたパイ専門店では、そのままパイと一緒にお茶を楽しむことが出来るため、若い人に人気があった。


 店の屋上の席が空いていたため、アイリスとクロイドは小分けされた大きいアップルパイと、二つのカップ、そしてブレアへのお土産として買ったアップルパイが入った袋を持って、一番眺めの良さそうな席へと着いた。


「ここから、ロディアート時計台も見えるんだな」


「そうよ。こっちの方角がサン・リオール教会で、あっちが博物館、そして向こうが王宮よ」


 そうは言っても店の周りの建物の方が高さが高いので、時計台と教会の鐘しか見えないが。


「さて、温かいうちに食べましょう。この店は紅茶も美味しいんだから」


 アイリスはさっそくフォークを持って、アップルパイの端の方を少し切ってから口へと運ぶ。


 林檎の優しい酸味と甘さが口いっぱいに広がり、パイのきめ細やかな生地が層となって、それを崩す食感が楽しい。


「ん~。やっぱり、この店のアップルパイは最高ねっ」


 うっとりと味の余韻を楽しんでいると、目の前にいるクロイドが小さく笑う。


 少し間抜けな顔をしていただろうかと、咎めるようにクロイドに視線を向けると紅茶を一口だけ口に含めてから、楽しそうな表情で口元を緩めて来た。


「……君がそれほどまでに柔らかい表情をするのは久しぶりに見た」


「そうかしら?」


 確かに最近、肩が凝るようなことばかりだった。誰かに見られているような視線も感じていたが、今はそのような視線は全くないため、肩の荷が下りたように軽い。

 相棒であるクロイドと二人きりなので、かなり気が楽なのだ。


「あ、美味しい」


 クロイドもアップルパイを口に運んだ瞬間に、一瞬だけ顔が緩んだ。

 ほら、やはり同じではないか。


「こういう場所にはミレットとよく来るのか?」


「ええ。と言っても、大体が甘いものを食べに来るだけよ。街並みは見慣れているから、今更、観光する気分にもなれないし」


 もともと、アイリスは田舎の方に住んでいた。

 ブレアに連れられて首都であるロディアートに来た時は人の多さと建物の多さと高さを見て、最初は驚いて口をぽっかりと開けたままだったことを今でも覚えている。


「そういえば、まだ魔具調査課の先輩に会ったことがないな」


「外回りで忙しい課だもの。でも、もうすぐ先輩達が帰って来るってブレアさんが言っていたから、その時、紹介してもらえると思うわ」


 自分達と同じように二人一組のチームを組んでいる先輩が魔具調査課には何組かいるらしい。ほとんどが外回りで、一番遠い場所だと隣国まで足を運んでいる場合があると聞いた。


「私達ももっと鍛えて、頼られるくらいにならないとね」


「そうだな」


 すると、クロイドがふっと遠くを見つめていた。その瞳は少しだけ細められ、どのような感情を抱いているのか、問わなければ分からない。


 クロイドはもし、魔犬(まけん)の呪いが解けたら、その先はどうするのだろうか。

 その先も――自分の相棒として隣に居てくれるだろうか。


 アイリスがクロイドをじっと見つめていることに気付いたのか、ゆっくりとお互いの視線が交わった。


「何だ?」


 自分達の周りには客はいない。端の方に座っている男女や、少女達は自分達の話に夢中なようで、聞き耳を立てている人は誰もいない。


「ねぇ……。クロイドは魔犬の呪いを解きたいのよね?」


 普段、あまり口に出していなかった魔犬の話題が出たことで、クロイドは一瞬だけ目を丸くして、それから困ったように小さく笑ったのだ。自嘲するように。


「藪から棒だな。……出来るなら、俺は呪いを解きたいと思っている。前に悪魔メフィストが言っていただろう。――この呪いはかけられてから、156回目の満月で完成するって。……それは13年の年月がかかるという意味と同時に、自分に時間の猶予がないことも意味している」


 メフィストが意地汚い笑い声を上げながら、言っていた言葉を思い出し、アイリスは小さく顔を顰める。


 ――「呪いが解けることは奇跡でも起きない限りありえない」と。


 あの言葉は、本当に重くずっしりと圧し掛かる様な言葉だったと今にして思う。

 希望を持つことさえも、許されない。そう感じてしまう程の、深く突き刺さるものだった。


「今、俺は16歳だ。おそらく、俺が『クロイド・ソルモンド』としての意思を持って存在出来るのは精々8年もないだろうな」


 どこか他人事のように彼は呟く。

 その横顔が急に悲しくも、寂しく見えて、かける言葉が見つからなかったアイリスは唇を噛み締めた。


「魔犬が何のために、呪いをばら撒いているのかは分からない。どうしてあの時、まだ子どもだった俺に呪いをかけたのかさえも……」


 魔犬についてはずっと調査しており、情報が入り次第、ミレットが知らせてくれる。

 だが、存在自体がおとぎ話のようなものであるため、遭遇する人はほとんどいないのだ。ここ数年は魔犬の動向は掴めていないという。


 そして、魔犬がどういう存在で、何のために呪いをばら撒くのかも判明していない。


「あと8年であなたは、あなたではなくなってしまうの?」


「おそらくな」


 8年という年月はあっという間だろう。

 その残された時間で、呪いを解かなければ彼は魔犬と化し、クロイドとしての意思はなくなってしまう。それは存在の消滅を意味するのだ。


「ブレアさんにも聞いたんだ。他にも魔犬から呪いをかけられた人はいるらしい。……連絡は取れないけどな」


 彼も彼なりに魔犬について調べているのだ。

 クロイドはまだ諦めていない。


「……魔犬を倒せば、呪いが解ける可能性だってあるかもしれないわ」


「え?」


「よくある話よ。魔法をかけた本人を倒せば、魔法が解けるのと同じってこと」


「魔犬が簡単に倒せる相手とは思えないけどな」


「でも、やらなければあなたは救えないわ」


 アイリスはアップルパイをフォークで切ってから、突き刺す。


「それに魔犬を捕らえて、呪いの解き方を吐かせることだって、出来るはずよ」


「……確かに彼は言葉を話せていたが……」


 その発言にアイリスは素早く反応する。


「魔犬は人間の言葉を話せるの?」


「え? あ、あぁ。俺が最初に呪いをかけられた時、少しだけ会話をしたのを覚えている」


 途端にクロイドの顔色が暗くなる。やはり、思い出したくないことを思い出して、気分を悪くしてしまったか。


「……ごめんなさい。嫌なことを思い出させてしまったわね」


「いや……。逃げるわけにはいかないからな」


 彼は強く意志を持っているのだ。

 自分が知っている中で、彼が屈しそうになっていたのは悪魔の囁きに耳を傾けた時だけだ。心が悪魔寄りに揺らいだのは呪われた自分が嫌いだったため、自分自身を受け入れることが出来なかったからだろう。


 しかし、今は全くそのようなことは思っていないらしく、あの日からずっと表情はさっぱりとしたままだ。話してはいないが、恐らくそれまで抱いていた彼自身の気持ちに整理がついたのかもしれない。


「私もあなたと一緒に戦うって、決めたもの。いつか一緒に夢を果たしましょう」


 自分は魔犬を倒す夢を。

 クロイドは魔犬の呪いを解く夢を。


「……そうだな。まだ見えない敵に今は備えるしかないか」


「そうよ。だから、今は甘いもので栄養を補給しないとね。ほら、食べないなら、私があなたの分まで食べちゃうわよ」


 アイリスがぱくりとアップルパイを頬張る姿を見て、拍子抜けしたようにクロイドは笑って自分の分を食べる。


 今、クロイドと話していて思ったことが一つある。

 もしこの先、魔犬を倒して、彼の呪いを解くことが出来たならば。

 いつか、そんな日が来るならば。


「どうした? 顔がにやけているぞ」


「え? ふふっ……。何でもないわ」


 いつか夢が叶った先も二人で、ずっと相棒として一緒にいたいとアイリスは心の奥でこっそりと願っていた。


     


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