動揺
「おっと、そう簡単にお帰り頂けるとお思いですか?」
逃がしはしないと言わんばかりにウェルクエントは笑いながら、魔具の羽根ペンをエレディテルへと向ける。
「……エレディテル・ローレンスさん。そろそろ、我々に教えて頂いてもいいのでは? あなたが──いえ、あなた方が一体何を行おうとしているのかを」
「……君達に教える義理はない」
「それはどうでしょうか。あなた方の身勝手な行動によって、イグノラント側には多大な被害が出ているのですよ。魔法使い同士の戦闘行為ならばまだ対処の仕方が変わってきますが、あなた方が手を出したのは力を持たない一般人だ」
気付けば、イグノラント側の魔法使い達はいつでも魔法が放てるようにとそれぞれの武器をエレディテルの方へと向けていた。
教団の規則によって、魔法による対人の殺生は禁止されている。ただし、自己防衛の際には少なからず容認される場合があった。
……あれ程の威力を持つ、エレディテル・ローレンスを生け捕りにするなんて、無理だわ。
こちらも本気で相手をしなければ、死んでしまうだろう。そんな緊張感が漂っているにも関わらず、エレディテルはどこか余裕がある雰囲気を纏っているように見えた。
「あなた方が行っている行為はただの人殺しだ。それがたとえ高尚な理由のためだったとしても、我々はあなた方がこれまでに行ってきたことを許しはしない。それ相応の報いを受けてもらうことになるでしょう」
「……別に許されたいなんて、思っていない」
意外にも、ウェルクエントの言葉にエレディテルは激しく反論した。
それまでは「無」しか宿っていなかったというのに、いま初めて感情を宿したように見えたのだ。
「君達には分からないだろう。分かるはずがない。理解してもらおうなんて、思っていない──!」
ぶわりと冷たい風がエレディテルの方から強く駆け抜けていったと同時に、アイリスの身体はぐらりと揺れた。
その瞬間の弾みで、深く被っていたフードが風に飛ばされたように脱げてしまう。
……しまった!
アイリスの薄い金色の髪がさらりと零れた。
「っ……」
誰かが、引き攣ったように息を吸い込んだ音が聞こえた。
アイリスの近くからではない。
真正面に立っているエレディテル・ローレンスの方から漏れ出たように聞こえたのだ。
「……なんで」
震えた声で、エレディテルが呟く。
「嘘だ……。そんな……」
それは怯えたように、そして何かに悔いるように。
「どうして、君がここに居るんだ、アイリス・ローレンス……!」
悲痛とも言える叫びをエレディテルはアイリスに向かって発していた。
「え……?」
何故、エレディテルはアイリスを一目見ただけで「アイリス・ローレンス」だと分かったのだろうか。
もしかすると以前、自分と会ったことがあるセリフィアから何か特徴を聞かされていたのかもしれない。
アイリスはエレディテルを真っすぐに見つめたまま、挑むような視線を向け続けた。
「何で……。何で、君がここにいるんだ……どうして……」
混乱しているのか、エレディテルは子どものように頭を抱え始める。
その様子に何かおかしさを感じたのか、イグノラント側の魔法使い達の間にも困惑した空気が流れ始めた。
「見ないで……。嫌だ、君には……こんな、僕を見られたくはなかったのに……!」
まるで、知り合いに運悪く会ってしまったような発言がエレディテルから零れ、その言葉の対象となっているアイリスも思わず眉を顰める。
「あなたは……」
アイリスが問いかけようとした時だった。
「──束縛せよ」
静かな声がその場に響き、エレディテルの身体は突然、石像になってしまったように動かないものとなる。
唱えられた呪文は対人、対物の動きを停止させる魔法だ。
「ふぅ、やっと捕らえられました」
そう告げるのは安堵の表情を浮かべるウェルクエントだ。
彼の羽根ペンは真っすぐとエレディテルに向けられており、魔法が解除されないようにひたすら魔力を注ぎ込んでいるらしい。
「ぐっ……」
「アイリスさんを見ただけで、動揺するなんて、ローレンス家の当主は意外と甘いんですねぇ。……まあ、そのためにアイリスさんにはこの話し合いに参加してもらったようなものですが」
「……おい、ウェルク。つまり、アイリスを囮に使ったということか」
ブレアから鋭い声が響くと、ウェルクエントは小さく肩を竦めていた。
「勝手に利用したことに関しては申し訳ないとは思っていますが、これまでに数度、接触があるアイリスさんを目の前にすれば、ローレンス家が何かしらの反応を向けて来ることは予想していましたので。……思っていたよりも、簡単に捕縛出来て良かったですよ。ちゃんとこの件については埋め合わせをしますので、お許しを」
「はぁ……。本当に、お前と言う奴は……」
ブレアの深い溜息を無視するようにウェルクエントは言葉を続ける。
「それよりも、他の皆さんで束縛魔法をエレディテル・ローレンスにかけて頂けませんかねぇ。僕一人だと、心許ないんですよ。彼の魔力が強力過ぎて、すぐに魔法が相殺されていくので」
「私がやろう」
アレクシアがすぐに杖をエレディテルへと向けて、ウェルクエントと同じように束縛魔法の呪文を唱える。
「さて、無駄な抵抗はしない方がいいですよ。我々もあなたに危害を加えたくて、このようなことをしているわけではありませんからね。……ただ、あなたが持っている情報を少しだけ頂きたいとは思いますが」
「っ!」
エレディテルはぎりっと奥歯を噛み締めているようだ。自分がこれから、何をされるのか瞬時に理解しているのだろう。
「本当は相手から無理矢理に情報を得るのは好きではないのですが……。あなたが抵抗するようならば、仕方ありません。我々にもたくさんの守るべきものがあるので」
ウェルクエントが今から、どのような魔法を使うのかアイリスも気付いていた。
彼はやろうと思えば、相手が心の内に秘めている情報を簡単に抜き出すことが出来る魔法を持っている。
それをエレディテルへとかけようとしているのだ。




