攻防
「……」
ローブのフードを深く被ったエレディテル・ローレンスはこちらに向けて、右手をかざしたまま動くことはない。
微動していないというのに、こちら側に向けて放たれる魔法の威力はずっと安定したままだ。
彼には魔力が尽きるという考えがないのかもしれない。それほどまでに、魔力の塊が結界を大きく揺らしているように感じた。
「くそっ、たった一人の魔力とは思えない……! 何なんだ、この魔力は……!?」
魔具である手袋を装着しているエリオスは、両手から魔力を結界に注ぎ続けるがそれでもエレディテルに力負けしてしまいそうになっているのか、その声色には焦りが混じっていた。
「俺が次の結界を張る!」
声を上げたのは、アーシー・トルフィードだ。エリオスの結界が保てなかった場合に備えて、すぐに内側に結界を張り巡らせていく。
多重に結界が張られているというのに、軋む音が止むことは無い。
まるで暴風雨の中にいるようだ。
「っ、この……!」
エリオスはローブの下から魔符を十枚ほど取り出して、一気に叩き込むように結界へと張った。
元々、エリオスの魔力が注がれていたのか、その魔符のおかげで、一時的に結界を揺らす振動は小さいものへと変わっていく。
だが、安心するにはまだ早かったようで、エレディテルの攻撃は少しずつ結界を蝕む音を作っていった。
「はぁ、まさか自分の仲間を殺して、その上、こちら側の命まで狙うなんて、何と横暴な方でしょう。ブリティオンの魔法使いは意味が分からないことばかりやりますねぇ。……それにこの屋敷、一時的に借りているだけなのに、床も壁も汚してくれちゃって。これ、掃除代を組織側に請求してもいいですよね?」
「ウェルク、そのようなことは後回しにして、今は援護に集中しなさい」
「分かっていますよ、ハワード黒杖司」
緊迫した状況下とは思えない程にのんびりとしたウェルクエントの声が響く。いつのまにかウェルクエント達は椅子から立ち上がっていた。
彼の右手には魔具の羽根ペンが握られており、結界を維持しているエリオスとアーシーの身体強化を魔法で施しているようだ。
同じようにアレクシアも杖で結界の強度を保つために魔法で援護しているらしい。
どの魔法使い達も襲撃を予測していたため、思っていたよりも落ち着いて対処出来ているのだろう。
その間にも、戦闘を専門とする魔法使い達と一緒にアイリスは魔具を構え直していた。
こちらには手練れの魔法使いや剣士が揃っているというのに、エレディテルとの力はかなり拮抗していた。
いや、どちらかと言えば、一段ほどエレディテルの方が上手かもしれない。
もし、彼相手に一人で挑まなければならないならば、アイリスは即死していただろう。
そう思える程に、彼の魔力の多さと魔法の威力の凄まじさに、アイリスはもう何度目か分からない唾を飲み込んでいた。
「……不老不死の魔女、その血を……貰うよ」
低い声で、エレディテルが呟く。表情は見えないが、それでもその声はどこか曇ったように聞こえた。
……今の声は、本当にエレディテル・ローレンスのものだった?
アイリスはエレディテルの声を聞いたことはない。だが今、彼から発せられた声色は以前、聞いたことがある声と似ていた気がしたのだ。
「──衝撃、来るぞ!」
エリオスの声にアイリスははっと意識を現状へと戻した。
瞬間、エリオスが形成していた結界は窓ガラスのように砕け散っていき、その際の衝撃が結界内にいる全員に及んだ。
見えない空圧に圧されたような気分だ。
「う、おっ……」
「くっ……」
アイリスの身体もぐらり、と揺れる。だが、すぐに両足で踏ん張ることで、膝を付かずに済んだ。
エリオスの結界は破壊されてしまったが、アーシーが次の結界を張ってくれていたおかげで、エレディテルからの攻撃は一先ず防がれることになった。
しかし、安堵するのも束の間、アーシーが苦い表情をする。
「っ、まずい……!」
苦しげにも聞こえる声でアーシーは呟き、そして、はっとしたように顔を上げた。
「──真下、だ!」
「っ!?」
次の瞬間、それは起こった。
今まで、エレディテル・ローレンスの攻撃は真正面からの風魔法の連弾だった。単純な攻撃に見えるが、一発一発に込められた威力を生身で受けてしまえば即死する程のものだろう。
そのため、防御力を特化する部分を真正面のみに集中させて、魔力を注いでいたに違いない。
アイリス達が立っている床が一瞬だけ震えたと思えば、風を纏った鋭い刃が槍の如く突き上がってきたのである。
それはまるで針山のようで、アイリスは攻撃を避けるために後ろへと飛び下がりつつ、戒めの聖剣を薙ぐことで追撃を免れた。
だが、その一瞬でアイリスは忘れてしまっていたことを思い出す。
今の攻撃は、自分達に不注意を招くものだと気付いたからだ。
「しまっ……」
エレディテルの真の狙いに気付いていたのに、自分への攻撃によって反応が一歩遅れてしまったアイリスは、思わずイリシオスの方へと視線を向けた。
深く被っていたはずのフードがふわりと脱げて、イリシオスの金色の髪が零れ落ちた。
揺れた身体の持ち主が、虚ろな青い瞳をアイリスへと向けて来たことで、視線がゆっくりと交差する。
「っ──」
叫びにはならない声がアイリスから漏れ出る。
どうすることも出来ない状況が、目の前で起こったからだ。
イリシオスの身体は床下から突き上げられるように侵入してきた風を纏った槍によって、磔にされたように串刺しになっていた。




