待ち合わせ
イグノラント王国、首都ロディアートには観光する際に名物とされる建物や場所がたくさん存在している。
ミストルト公園のすぐ傍に建っているロディアート時計台もその一つで、料金を払えば一番上の階まで上ることも出来るのだ。
また、この街の象徴の一つでもあるので、誰かと待ち合わせをする際の目印としてよく使われていた。
アイリスは時計台を見上げて、10時までに20分程、時間があるのを確認してから、噴水の傍に立った。
任務の際と同じ格好で来るわけにも行かず、一度部屋に戻って着替えたのだが、おかしいところは無いだろうかと、くるりと回って自分の姿を再度、確認してみる。
今日の服装は白いブラウスで、肩にはクリーム色のストールを羽織り、落ち着いた水色で丈が長めのスカートである。
さすがに走り回る予定はないので靴も普通の靴だ。そして、珍しく髪を頭の後ろで一つに丸くまとめるように結い上げて、細目の水色のリボンで飾っている。
おかしいところはないはずだ。
ただ、何か気合を入れているように思われたらどうしようかと、悩んでしまう自分が憎たらしい。
それだったら、いつもと変わらない格好をすればいいのだが、それは少し違う気がしたのだ。
「……」
いつもと違う格好をした自分を見て、クロイドは何か言うだろうか。
いや、別に褒めてほしいわけではないし、嬉しい言葉をかけて欲しいわけでもないのに、一人で勝手に期待してしまい、恥ずかしく思ってしまう。
周りには家族連れや恋人達が手を繋いで歩いている。それを見て、アイリスは目を細めた。
……眩しい光景だわ。
自分もそこで楽しそうに弁当を広げて食べている家族のような温かい日常がずっと続くと思っていた。
だが、子どもの頃に家族を失ってからは、自分はずっと復讐だけのために生きている。
今だって、家族を食い殺した魔犬の事は恨んでいるし、いつか絶対に仇をとるつもりだ。
だが、その後はどうすればいいのだろうか。
もし、仮に魔犬を倒すことが出来たならば、自分の望みは叶ってしまう。
それだけのために今まで剣術を鍛えてきたが、その後は何を目標にして生きていけばいいのか、分からないのだ。
しかし、考え事をしている途中で、こちらに向かって近づいてくる足音が聞こえため、アイリスははっと顔を上げた。
そこには普段のシャツに黒いズボンで、黒色の薄手の上着を羽織っているいつもと変わらないクロイドの姿があった。
しかし、彼は一瞬、動きを止めてアイリスをじっと見ている。
「クロイド?」
首を傾げてアイリスがクロイドに近づくと、はっとしたように彼は目を瞬きした。
「あ、あぁ。すまない。遅れたか?」
「まだ、時間前よ。早いのね」
クロイドは少し慌てたように時計台で時間を確認するために顔を見上げて、まだ待ち合わせの時間前だと知ると、安堵したのか小さく笑った。
「君だってそうだろう」
「自分で指定しておいて、待ち合わせに遅れるわけにはいかないわ」
行きましょうとアイリスが促すとクロイドは少しだけぎこちなく首を動かした。様子がおかしい気もする。
「……最初は遠くから見て、君がアイリスだと分からなかった」
少しだけ早口に彼は呟く。
ゆっくりと隣を歩きながらアイリスが聞き返した。
「え?」
「いや、君だとは分かっていたんだが、いつもと違う雰囲気に感じられたからな」
普段とは違う服装はお気に召さなかっただろうか。
顔をこちらに向けずにそう言うので、表情から何を思っているのかは掴めない。
「……この格好が苦手なら、いつも通りに髪を下ろすけれど?」
「いやっ、そうじゃなくて……。何と言ったらいいんだろうな。苦手とか、嫌いとかじゃないんだ」
言葉を選んでいるのか、口の中でもごもごと何か喋っているようだ。
だが、普段とは違う自分の今の格好を彼は嫌いではないらしい。アイリスはそれが聞けただけで十分、嬉しかった。
「あぁ、そうだ。……いつもと違う格好も似合っていると言いたかったんだ」
「っ……」
クロイドは自分の探していた言葉が見つかったのか、真顔で満足そうに何度も頷く。
一方で、そんな風に褒められるとは微塵も思っていなかったアイリスは身体の内側から熱を出すように火照ってしまう。
褒められることが、ここまで嬉しいとは。
「そ、そう……。それは、どうも……」
素直にありがとうと言えないのが、何とも悔しい。
だが、隣で真面目に褒められて、恥ずかしくないわけがない。
どんな顔をすればいいのか分からず、アイリスもクロイドから視線を逸らす。逸らした先に視界に入ってきたのは仲の良さそうな恋人達が、笑いあっている姿だ。
別にクロイドとそういう仲になりたいと思っているわけではない。
ただ、彼らのように恋情というものがどういうものか自分でも分からないだけなのだ。
クロイドに対するこの気持ちが、信頼からくるものだと知っていても、どこからそれが恋情になるのかが分からない。
「アイリス?」
彼がいつの間にか立ち止まっていたアイリスの顔を窺ってくる。心配そうに見つめてくる黒い瞳は、自分だけを映していた。
心臓が脈打つのは、ただ初めてのことに緊張しているからだ。
それは、恋ではない。
「……ううん、なんでもないわ。ただ、今から行くお店は凄く人気で、お昼前にはアップルパイが売り切れちゃうから、少し早く歩いた方がいいかも」
「そんなに美味しいのか」
楽しみだと彼が呟く。
それを見て、アイリスは見えないように微笑を浮かべた。
「ええ。……そうだわ。ブレアさんにお土産を買って帰りましょうか。あの人も気に入っている味だったから」
「そういえば、今日はブレアさん、休みじゃないんだな。最近忙しそうだが」
ここ最近、ブレアはかなり忙しそうだった。
あちらこちらに行ったり来たりで慌ただしく仕事をしていた。
課長くらいになると外回りの仕事は少ないはずだが、普段お世話になっているし、お土産に甘いものを持って帰れば喜んでくれるかもしれない。
「次の休みが重なったなら、今度は三人でコーヒーが美味しい喫茶店に行きましょう」
「色んな所を知っているんだな」
クロイドは公園にも来たことがなかったのか、周りで楽しそうに過ごす人々を眩しそうに見ていた。
「色々と連れて行ってあげるわ」
自分だってこの街以外は何も知らない。自分が生まれ、育った場所さえもう遠い記憶の端へと置いてきた。
それでも、いつか見つかるだろうか。
大切な相棒と友人、関わった人達と過ごし、自分自身を成長させていけば、いつかは自分の夢のその先を新しく見つけることが出来るかもしれない。
だから、今は目の前の人と楽しく過ごそう。
せっかくの休日なのだから。




