暗闇の道
闇の中にいる。それは分かる。
そして、これが夢の中だということも。
……空気も身体も重い。まるで、見えないものに圧されているようだわ。
アイリスはゆっくりと一歩、一歩を進んで行く。視線を向けても底は見えない。
ただ、暗闇と呼べる空間が広がっているだけで何もなかった。それ故に、足元はしっかりと歩けるようになっているのに、それらしい道は見えずに暗いままだ。
……でも、歩けば進むことが出来る。足元に底なし沼があるわけではないわ。
少しの不安を抱きながらもアイリスは進み続ける。この夢の終わりがいつになればやってくるのかは分からない。それでも、歩き続けなければならないと思ったのだ。
一筋の光さえも見えないのに、どうして歩くことが出来るのだろうと考えた時、自分自身が淡く光っていることに気付いた。
自分が灯りの代わりとなっているから、歩きやすかったのだろう。それでも、自分以外に光を持つものは他には見られなかった。
ここは一体どこだろうか。この夢は覚めるのだろうか。
何も分からない。分からないけれど──。
「──っ」
今、何か言葉のようなものが聞こえた気がしたアイリスはぱっと顔を上げてから周囲を見渡していく。
「誰か、いるの?」
声が確かに聞こえたのだ。その声はどこかで聞いたことがあるような声色にも聞こえて、アイリスは更に耳を澄ましてみる。
「……──だ。──お……だ」
意識を集中させていけば、その声の持ち主が少女であることが分かった。
それでも少女の声は何かを必死に訴えるようにも、泣き叫ぶようにも聞こえる。
「ねえ、どうしたの? どうして、あなたは悲しんでいるの?」
アイリスは迷うことなく、泣き叫ぶ少女へと声を上げた。
「……愚かだ」
「え?」
はっきりと聞こえた言葉にアイリスは眉を中央へと寄せる。
「一番、愚かなのは……僕なのに」
知っている声が、告げる言葉。
「ごめん、ごめんね……アイリス」
名前を呼ばれた瞬間、アイリスはその声がした方へと手を伸ばしていた。
伸ばさなければならないとすぐに思ったからだ。暗闇の中を駆け抜けながら、もがくようにひたすら手を伸ばす。
「君を……傷付けて、ごめん……。ごめん、アイリス……」
うわあぁっ、と少女が慟哭しては、胸の奥に轟くような痛みが駆け巡っていく。
知っている。自分は泣いている少女が誰なのかを知っている。
だから、手を伸ばさなければ──。
「……──セリフィア!」
闇を割くようにアイリスは右手を払った。瞬間、それまで覆っていた闇の霧が手を薙ぎ払った部分だけ晴れて行く。
闇が晴れた場所に座り込んでいた少女の身体は血で濡れており、そして何故か──白く、光っているように見えた。
・・・・・・・・・・
「──アイリス!」
「っ……」
名前を呼ばれたアイリスはぱっと瞳を開ける。最初に視界に映ったのは、二段ベッドの底となる部分だった。
そう言えば、自分は夜汽車の個室のベッドで眠っていたのだと思い出し、アイリスはすぐに着崩れしていた服を手早く直していった。
「大丈夫か? 少し、うなされていたみたいだったが……」
カーテンの向こう側からはアイリスを気にかけるクロイドの声が降ってくる。身支度を簡単に整えてから、閉めていたベッドのカーテンを開いて返事をした。
「ごめんなさい。熟睡していたみたい」
立ち上がれば、団服に身を包んでいるクロイドが心配そうな表情で覗き込んできた。
「そうか……。何か、夢を見ていたのか?」
「え? ……うーん。あまり、覚えていないのよね」
アイリスが曖昧に答えるとクロイドはそれ以上を追究しようとはせずに、納得するように頷き返した。
恐らく以前、イリシオスから聞かされたローレンス家に伝わる「夢魂結び」の力が発揮されたのではと思っているのだろう。
だが、自分は夢を見ていたはずなのに、どのような夢を見ていたのか、一切覚えていなかった。
「アイリスさん、おはようございます」
「おはよう、イト」
イトも早起きしていたようで、すでに準備は出来ているようだった。汽車の窓の外を見てみると、外は明るくなっており、緑の景色が広がっていた。
「あと十数分程でジャサントに到着するそうです」
「そうなの」
「ええ、なので──」
くるりとイトは身体の向きを二段ベッドの一番上へと向けて、声を荒げる。
「リアン! いい加減に起きなさいっ!」
「ひゃわっ!?」
「朝ですよ! 早く起きないと剣で突きますよ!」
「あわわっ、起きているってば!」
だが、慌てていたのか、リアンは個室の天井へと頭を打ってしまったらしい。すぐに呻くような声がその場に響いた。
「あの、そんなに慌てさせなくても……」
「リアンは時間を気にしない性質なので、急かさないと動かないんですよ」
溜息を吐きながら腕を組むイトにアイリス達は何とも言えない表情をするしかない。
その間にも、アイリスは夢で「何か」を視ていたことはすっかり忘れてしまっていた。




