イトの恩人
だが、そこで何かを思い出したのか、イトの表情は困ったような、嬉しいようなものへと変わった。
「私が入団してから数か月後、同じく孤児だったリアンが私を追いかけて教団へと入団してきたんです。最初は彼が教会に居たリアンだとは気づかなくて、無理矢理に相棒を組まされて、かなり面倒だと思っていたのですが……」
「まあ……」
「彼がリアンだと気付いてから、どうして私を追いかけてきたのかと訊ねたことがあるんです。リアンは笑って、何でもなさそうに言いました。……恩返しがしたかった、と」
「恩返し?」
「ええ。……私は驚きました。そのようなことをした覚えなんて、なかったので。そう言い返すとリアンは首を横に振って告げました。教会を襲った魔物達は、私が囮になったことで全てがそちらに気を取られたそうです。それによって、教会に住んでいる孤児達は助かったと言ったのです。皆や自分が生きているのは私のおかげだと。だから、ずっとお礼を言いたかったと──。あまりにも純粋な笑顔でそう言われて、私はどのように反応すればいいのか分かりませんでした」
苦いものを食べているような表情でイトはそう呟き、顔を少しだけ俯かせる。
「リアンは、今度は自分が私を助ける番だと言って……。それからは色々ありましたが二人で協力して、私に宝石を埋め込んだ魔物を何とか討伐することが出来たのです。その日以降、魔物を引き寄せるという体質は私から消えてなくなりました」
「良かったわ……。あなたの呪いは解けたのね……」
アイリスが思わず胸元に手を当てながら安堵するように呟くと、イトは穏やかな表情で頷き返してくれた。
「……口では言いませんけれど、私はリアンに感謝しているんです。誰も巻き込みたくはないからとずっと独りでいることを選んでいた私に根気強く手を伸ばして、寄り添ってくれて……」
「……」
「きっと、リアンに出会っていなければ、私は相討ちになる覚悟で魔物に挑んでいたでしょう。……あの人が、私を変えてくれたんです」
目を細めるイトの視線には眩しいものを見ているような感情が含まれていた。
「だから、私にとってはリアンが恩人なんですよ。……もちろん、かなり癪なので、本人の前では絶対に言いませんが」
最後に一言そう告げて、イトはふんっと鼻を軽く鳴らした。
「……少々、喋り過ぎましたね。私らしくもない話を長々としてしまいました」
「ううん。イトの話を聞くことの方が少ないもの。あなたのことが少なからず知れて良かったわ」
「……そう、ですか」
どこか戸惑うように視線をふいっと動かすイトにアイリスはつい、苦笑の笑みを浮かべてしまう。
「私もアイリスさんに自分の話をすることが出来て、良かったと思っています。……この話を知っている人は少ないですし、私自身もあまり人に話そうとは思っていなかったので」
それでもイトは自分の身の上話をアイリスへと話してくれたのだ。
何故、そのような気になったのだろうかと思っていると、アイリスが考えていることが分かったのか、イトが薄く笑った気配がした。
「勝手な思い込みですが、私とアイリスさんはどこか似ているように感じたんですよ」
「え?」
「かつての私と一年程前のアイリスさんは似ているように思っていたんです。……以前のあなたが纏っていた空気は、全てが刃のように鋭く感じました。まるで、死を恐れていないようにも見えたのです」
「……」
イトの言葉にアイリスは反論出来なかった。彼女の言う通りだと感じたからだ。
「誰かと慣れ合うことなく、あなたはいつも前だけを見ていた。そして、魔物を何よりも憎く思っているようだった──。だからこそ、共感できる部分が多かったのでしょう」
「……よく見ていたのね」
「ええ。私自身は人と接するのは苦手でしたが、それでも人間観察するのは好きだったので」
確かにアイリスも一年前の自分がどのような人間だったのか、はっきりと覚えている。
前だけを見ていると言えば、聞こえはいいが、実際には他のことが見えずに独りよがりに突っ走っていただけである。
それ故に、他の団員に迷惑をかけてしまったのは紛れもない事実だ。
「魔物を憎むように睨み、剣を振り下ろすあなたに共感すると共に、同情もしていました。だからこそ尚更、傷をなめ合いたいとは思えなくて、剣士としてあなたと剣で向き合いたいと思っていたんです」
「……」
「また、教団へと戻って、時間が出来たら私と手合わせをして頂けますか」
お互いに手合わせをする仲をなんと呼ぶのかは知らない。ただ、切磋琢磨し合う関係といえばいいのか、それとも──友人と呼べばいいのか。
だが、イトはその一言を口にすることはなく、アイリスに静かに笑いかけてくる。
「……ええ、何度でも相手になるわ。それに先日の武闘大会の決着もまだ着いていないもの」
「そうでしたね。……では、今度は時間制限なしで、やり合いましょうか」
「楽しみにしているわ」
これから何度もイトと剣の手合わせをしては、お互いに負けないようにと技術を磨き合っていくのだろう。それがアイリスはとても楽しみに思えた。
穏やかに揺れる汽車の個室の中、軽やかで小さな笑い声が重なり合いながら夜闇へと溶けて行った。




