イトの過去
暗い瞳のまま、イトは話を続ける。
「魔物の魂を千体、狩らなければならなくても、当時の私はまだ子どもでした。そのため、魔力持ちの孤児が保護される教会へと預けられることになったのです。その教会には私と同じように魔物によって家族を失った子ども達がいました。……そこで、小さい頃のリアンと出会ったのです」
「リアンと……」
イトとリアンが会話をする際に、内容の節々からお互いに小さい頃を見知っているような話をしていたことを思い出し、アイリスは頷いた。
「リアンは黒髪に黒目の私が珍しかったのでしょう。いつも笑顔で話しかけてはしつこく構ってきました。私が一人にならないように常に傍にいるので、かなり面倒でしたが」
「……」
どうやら、イトとリアンの関係は昔からあまり変わっていないらしい。何となく、彼らが小さい頃の様子が目に浮かんで、アイリスは小さく微笑みそうになってしまった。
「短い間でしたが、私は教会で他の子ども達と一緒に、シスターによって育てられました。そこで読み書きを習ったりすることはありましたが、魔物を討伐する技術を学ぶことはありませんでした。……それでも、穏やかに平和な日々が過ぎていく教会での生活は、私にとって安らぎと焦りを生み出すものでもありました」
しかし、イトの声色が重いものへと変わっていく。
「ですが、とある日の夜……。その教会に犬型の魔物が襲って来たんです」
ぼそりと呟くイトの表情には翳りが浮かんでいた。当時のことを思い出してしまったのかもしれない。
「魔力持ちの子ども達を預かっているとは言え、子ども達の全てが魔法を扱えるわけではありません。シスター達が教団から派遣される討伐隊が来るまで、教会全体に結界を張って魔物の攻撃を抑えていましたが、魔法に関しては素人である私にでさえ結界が破かれるのに時間はかからないだろうと察していました」
よほど、力の強い魔物だったのだろう。
シスターとは言え、元は教団の修道課から派遣されている団員のはずだ。その結界を破ろうとしていたならば、かなり強力な魔物だったに違いない。
「……その時、私は気付いたんです。教会を襲っている魔物をおびき寄せているのは……私の身体が原因だって」
「っ……」
イトは自分自身の身体を腕で抱きつつ、どこか悔しげに呟く。
「このまま、教会にいれば他の人達の迷惑になってしまう……。それならばと思って、私は囮になることを決意しました。……リアンも私の様子から何かを察したのでしょう、すぐに腕を掴んで『いかないで』と言って縋って来たんです」
くすっと小さく笑ってから、イトはリアンが寝ている二段ベッドの上部分へと視線を向ける。
リアンは安眠しているようで、安らかな寝息が閉められたカーテン越しに聞こえていた。
「……あの時の彼の瞳は今も瞼の裏に焼き付いたままです。孤独な心を抱いたまま過ごしていた時、優しさと温かさをリアンはいつも私に与えてくれました。けれど、私には返すものがなかった。返し方さえ分からなかった。……ならば、教えてくれた温かさを守るために、私はこの細い腕を振りほどかなければならないと思ったのです」
そして、イトはリアンの腕を振りほどき、父親の形見である剣や荷物を抱いて、教会の窓から外へと飛び出して、走り去ったのだという。
「後ろから、魔物が迫ってくる音には気付いていました。そして、私と魔物、どちらが強いのかも……」
薄っすらと自嘲するような笑みを浮かべてから彼女はふっと真顔に戻った。
「追いつかれると思った私は咄嗟に剣を鞘から抜いて、魔物と対峙することを選びました。このまま後ろから襲われるよりも、真正面で立ち向かって死んだ方がましだと思ったからです。……父の剣は思っていた以上に重くて、けれど私にとっては自分の身を守るための唯一の盾でした」
迫りくる魔物に向けて、小さかったイトは必死に剣を振り下ろしては魔物を自分から遠ざけたという。
「それでも人には限界が来るものです。すっかり魔物に囲まれた私は、父に例の魔物を討ち取れなかった無念さを詫びつつ、その時を覚悟しました」
ですが、とイトは言葉を続けた。
「私を囲っていた魔物を一瞬にして、薙ぎ倒して下さったのは救援としてやってきた魔物討伐課の討伐隊でした。……私はぎりぎりのところで、彼らによって助けられたのです」
イトの言葉にアイリスは思わず、安堵の息を吐いた。イトがこうやって目の前にいる時点で無事だったと分かっているがそれでも緊張しないわけではない。
「私は彼らに、魔物が教会を襲っているから助けて欲しいと頼み込みました。……でも、私自身は教会には戻りませんでした。魔物討伐に来てくれたチームの隊長に自分の体質は魔物をおびき寄せてしまうから、誰の迷惑にもならないところに行きたいと告げるとその人は私を保護してくれたんです」
「そうだったの……」
アイリスもイトの言葉に思わず安堵の溜息が漏れてしまう。
「その人は自宅から教団へ通っている人だったので、私はそのチームの隊長の家にお世話になることが決まりました。もちろん、私の体質は教団の上層部に報告されることになったらしいですが、特に干渉されることはありませんでした。ただ、魔物をおびき寄せないようにと、魔除けの魔具を与えられることになったので、肌身離さず着けるようになりました」
イトは目をすっと細めて行く。当時のことを思い出しているのかもしれない。
「それからは数年程、保護してもらった人の家で世話になりつつ、剣術を極めて行きました。魔法についてもその人から教わり、無事に入団試験に合格して、魔物討伐課に入ることが出来たのです。……いまだに抱き続けていた、『復讐』を確かに遂げるために私は魔物を千体、狩ることを選びました」
小さい頃の彼女は強く決意したのだろう。
逃げて、目を背けて、忘れて、そして穏やかに日々が過ぎるのを待つわけではなく。
自らの手で、全てを終わらせるために彼女は決意したのだ。




