夜汽車
初めて乗った夜汽車は想像以上に静かなものだった。
車両は扉に鍵が付いた個室にはなっているものの、深夜であるため起きている人間の方が少なく、汽車が動く音以外に物音さえも聞こえなかった。
同じ個室を一部屋、取ったアイリス達は交代で見張りを立てながら、夜汽車でマタン地方のジャサントという町へと向かっていた。
恐らく、自分達とは別動隊の者達もジャサントでの話し合いの場に向けて移動を始めているに違いない。
すれ違うことはなかったが、集合場所は同じであるため、あとで顔を合わせることになるのだろう。
「……」
椅子に座って、見張りをしているアイリスは夜の中を走る汽車の窓の外へと視線を向ける。
窓の外は真っ黒なままで、風景などは全く見えない。たまに灯りがぽつりと見えるが、それだけだ。
そんな空間の中を永遠と走り続けている気がして、一度だけ窓から目を逸らした。
一つ溜息を吐けば、狭い空間に微かに響いていく。しかし、それ以上に響いているのは同じ車両の個室で眠っている同行者の寝息だ。
アイリス達は名目上、イリシオスの警護だが、その正体は姿を隠しているイトだ。念のために幻影魔法で、他者から見た際にイリシオスに見えるようにと施されている。
そして同じく、同行しているのはクロイドとイトの相棒であるリアンだ。
この個室は四人分の簡易ベッドが上下二段になって備わっており、しかもカーテン付きである。
他人と一緒に寝ることに慣れているのか、早々と眠ったのはリアンだった。
ジャサントに着くまでまだ時間はある。交代しながらでは十分な睡眠は取れないかもしれないが、どうか休める時に休んでおいて欲しい。
すると、背後から布が微かに擦れる音が響いた。
「……随分、静かですね」
「イト……」
アイリスが見張りとして、いつでも剣が抜けるようにと息を詰めていると、交代の時間だったのか、イトから声がかけられた。
声色は確かにイトだが、その姿はイリシオスそのものだ。
一番上のベッドで寝ていたイトは彼女の愛用の剣を持ってから、ゆっくりと梯子を下りて来る。
窓付近の椅子に腰かけていたアイリスはすぐに立ち上がってから頷き返し、場所を譲った。
「眠れたかしら?」
「程々には。……汽車の中で眠るなんて初めてだったので寝付くまでに時間はかかりましたが、思っていたよりも狭い空間の居心地が良かったです」
「それなら良かったわ」
アイリスとイトは眠っているクロイドとリアンを起こさないように注意しながら、小さな声で言葉を交わした。
「……イリシオス総帥はこんなお姿をしているのですね」
イトは窓付近の椅子に腰かけつつ、汽車の窓に自分の姿を映しながら、ぽつりと呟いた。
「普段は団員の前には姿を現さない方なので、初めて見ました。……想像以上に姿が少女ですね」
そこには「不老不死」という言葉が密かに含められている気がした。
「確か、アイリスさんとクロイドさんはイリシオス総帥にお会いしたことがあるんですよね?」
「ええ」
「総帥って、どんな方なんですか? 関わりがないので、総帥のふりをしろと言われても、仕草や立ち振る舞い方が分からないんですよね」
イトは低く唸るように呟いた。どうやら、彼女はこの道中、本気でイリシオスになりきるつもりらしい。
「確かに他人を真似るって難しいことよね。……でも、イリシオス総帥は普段から人前には出ないお方だから、立ち振る舞いを知っている人の方が少ないんじゃないかしら」
「……なるほど」
アイリスの言葉に少しだけ肩の荷が下りたのか、イトは安堵したような表情を見せる。念のための替え玉役を引き受けているだけあって、よほど緊張していたらしい。
「……眠らなくていいのですか?」
ベッドに腰かけたものの、中々、横にならないアイリスに対して気遣うような声色でイトは話しかけてくる。
「……眠らなきゃいけないのは分かっているのだけれど、あまり寝付ける気がしなくて」
「そうですか……。ならば、他の二人を起こさないように、少しの間だけでも、お喋りしますか?」
「いいの?」
「ええ。話の途中で眠くなったら、遠慮せずに横になって下さい。アイリスさんが眠くなるまで、お付き合いしますよ」
何せ夜は長いので、とイトは微かな声で呟いた。
「それなら、少しだけイトの厚意に甘えようかしら」
アイリスはベッドに腰かけたまま、椅子に座っているイトへと向きなおった。
「……こうやって、二人で面と向かって話すのはオスクリダ島に行った以来ね」
「そうですね。……あの、ライカの様子はいかがでしょうか。最近は任務で忙しかったので、あまり顔を見に行けなくて」
「元気にしているわ。……魔具調査課の先輩達が毎日のように構っているから、そのおかげもあって前よりも笑うことが多くなったの」
「そうでしたか……。それなら良かったです」
イトもアイリス達と同様にずっとライカのことを気にかけているのだろう。それはきっと、彼女もライカと同じで孤独を知っているからかもしれない。
「……ねえ、イト」
「はい」
「イトはどうして教団に入ろうと思ったの?」
「……」
アイリスの質問にイトは少しだけ目を瞬かせる。姿はイリシオスだが、その仕草はそのままイトが前面に出ていたように見えた。
「あ……。他人に話しにくい事情もあるわよね。……急に訊ねてごめんなさい」
アイリスがすぐに苦い顔をしてから慌てて謝ると、イトはすぐに首を横に振り返した。
「いえ、別に秘密にしているわけではありませんよ。話す人がいなかったので、周囲に話していなかっただけですし。……まあ、課長や副課長、リアン以外にも数人程しか、私が教団に入団した理由は知らないでしょうから」
「……」
イトは特に気にしてはいないようだ。
それでも瞳は細められ、彼女は右手を胸辺りに添えていた。
まるで、胸元に何かがあるように。




