無意味
「ねえ、伯爵。あなたはその拳銃で本当に僕を殺せると思っているの?」
ふっとか弱げな笑みを浮かべながら、セリフィアは伯爵へと訊ねる。
「……殺さなければならない。ここで、力を削いでおかなければ、ローレンス家はますます新たな力を得てしまうだろう。そうなってしまえば、更に大きな犠牲が出るに決まっている。だからこそ、ここで絶対にお前を討つ……!」
「そう、そうだね……。うん、あなたの言う通りだ」
セリフィアは伯爵の言葉に納得するように頷いてから、口元を緩ませる。
「でもね、伯爵。あなたがこの石一つを僕達に寄越しておけば、屋敷に住まう人や雇った魔法使い達は誰一人として死なずに済んだよ」
乾いた声で、セリフィアは透明な一滴を瞳から流していく。それを訝しがることなく伯爵は反抗するように叫んだ。
「俺がお前を討つつもりだったことは、屋敷にいる誰しもが覚悟していたことだ。その上での結果だ」
「……犠牲を承知で、僕に──ローレンス家に喧嘩を挑んだということ? 勝てやしないのに」
セリフィアの呟きはただ単純に疑問に思ったことを呟いただけだ。だが、相手にとっては怒りと苛立ちを募らせる要因となった。
「勝つか、勝てないかの問題ではない。お前達、ローレンス家とブリティオンの魔法使い達はすでに決裂している。これは、戦争だ」
「……」
「我々は、反抗するという意思表示をした。それはお前達の道具や人形には成り下がらないという拒絶だ。例え、この場で俺がお前を討つことが叶わなくなったとしても、それは無意味ではない」
「無意味では、ない……?」
伯爵の言葉が理解出来ないと言わんばかりにセリフィアは首を傾げる。
だって、無意味ではないか。
エレディテルを超えることなど、誰も出来ない。
そうと分かっているのに、自分達に牙を見せるなんて、いかにも殺して下さいと頼んでいるようではないか。
「無意味……」
たった一つの言葉が身体中を反芻していく。
その間に伯爵が拳銃の引き金を引いた。
……ああ、そうだ。僕は。
飛び出すようにこちらに向かってくるのは銃弾だ。それが途轍もなく、ゆっくりと見えた。
銃弾が動かないまま呆けているセリフィアの心臓へと辿り着こうとした時だった。放たれた銃弾はぴたりと、空中で停止した。
「なっ……」
目の前で起こった「ありえないこと」を目撃した伯爵は瞳を見開く。
セリフィアは右手を伸ばし、そして指先で弾くように銃弾を伯爵へと撃ち返した。その銃弾は伯爵の右胸辺りに食い込み、血飛沫が空中へと飛び散った。
「ぐはぁっ!?」
銃弾が身体に食い込んだことで数歩、伯爵は後ろへと下がった。すでに満身創痍であるにも関わらず、更なる攻撃を受けたことで伯爵の身体は重たいものとなっていく。
重々しい空気の中、軽やかな声がその場に響いた。
「僕、伯爵の言葉に感動しちゃった」
まるで素晴らしい演劇でも観たような軽い口調で、セリフィアは泣きそうな程に笑みを浮かべる。
「あなたや他の魔法使い達がローレンス家に反旗を翻したとしても、無意味ではないということでしょう? 僕達からしてみれば、明らかに無意味なのに」
つまり、とセリフィアは言葉を続ける。
「他人にとって無意味だったり、無価値だったりしても……自分の心の中では好きなように思っていて、構わないということだよね?」
それが、自分が求めていた答えだと言わんばかりの晴れやかな表情でセリフィアは言い切った。
それならば、自分の存在も決して、無意味なものではないという答えに辿り着ける。
ただ、エレディテルに命令されて、遂行するだけの存在だとしても、自分は心の中だけでは価値がある人間だと思ってもいいのだと、深くそう思えた。
「ありがとう、伯爵。あなたのおかげで、僕はまた一歩、人間らしくなれたよ」
「何、を……」
セリフィアに向けられる銃口は左右に動いては、定まることはない。
どうやら伯爵は魔法を使って、痛みを抑えようとしているらしい。だが、そんな必要はもうないのだ。
「だからもう、死んでもいいよ、安らかに」
にっこりと笑ってから、セリフィアは右手から魔法を放った。すると、書斎の壁にかけられていた豪奢な飾りが装飾された剣がゆっくりと空中に浮かび始めていく。
「っ!?」
誰かが抜き身したと思えるほどに、白銀の刃が鞘から放たれ、その剣先は伯爵へと向けられていった。
「ぁ……」
自分に、向かって来る。
そう感じたのか、伯爵は持っていた拳銃で白銀の剣を狙って、銃弾を放ち始める。しかし、掠れるだけで傷一つ付けることは出来ない。
「おやすみ、伯爵」
ぱちん、とセリフィアが指を鳴らした瞬間、その場に生々しい音と絶叫が響いた。
しかし、その叫びのあと、屋敷内は恐ろしいほどの静けさに包まれていく。
セリフィアは床上に仰向けで転がっている伯爵へと視線を向ける。彼の心臓には白銀の刃が真っすぐに刺さっていた。
「……これでまた一つ、魔法使いの名家が消えたんだね」
たとえ、どんな犠牲が出ることになったとしてもエレディテルは気にすることはない。ただ、使おうと思っていた道具の期限が切れただけだ、という認識しかないだろう。
「今日の分の仕事はこれで、終わり。あとは……」
セリフィアは深い息を吐いてから、回収出来た赤い石を胸元へと添える。
「あとは、誰を殺せばいいのだろう……」
エレディテルの命令を口にしただけだというのに、セリフィアの瞳からは何故か雫が零れていた。その理由が分からないまま、セリフィアは目を閉じる。
……大丈夫。今回の仕事だって、途中は失敗したけれど、ちゃんと遂行出来た。兄様は僕を無価値だなんて、言わない。
求められたい。認められたい。
だから、どうか──失敗作だなんて、言わないで。
ぎりっとセリフィアは強く歯を噛んだ。
自分の心の中で、何を思うかは自由だ。
自由、なのだ。
それだけを胸に秘めて、セリフィアは涙を静かに拭った。




