魔具調査課
「はぁ……」
今年は本当に運が無いと今日、溜息を吐くのはこれで何回目だろうか。
アイリスは箱に詰め込んだ重い荷物を不安定ながらも何とか持って運んでいた。隣には親友のミレット・ケミロンが腹を抱えて笑っている。
「あははっ……。ま、また異動とか……。あはははっ……」
「ちょっと! 笑う暇があるなら、荷物を運ぶの、手伝ってよ!」
二人は長い廊下を歩いていくが、すれ違う人から奇妙なものを見る様な視線が時折、送られてくる。
仕方ない事だが、これで二回目の部課異動だと思うと正直虚しくなってくる。
自分達が住んでいるイグノラント王国にはとある秘密組織がある。一応、国のお抱えだが一般人に対しては秘密裏に動いており、国の霊的治安を守るための組織で、「嘆きの夜明け団」と呼ばれていた。
教団には魔力を持った満十五歳以上が試験を受けて合格すれば入団出来るようになっているが、もちろん一般に公募しているものではない。
公募の時期になると町には魔力がある人間だけが見える「求人広告」が張り出されたり、もしくはすでに教団に所属している魔法使いの推薦を貰って、試験を受ける場合もある。
そして、この教団の主な仕事と言うのは、世間的に言われる「魔法」「悪魔」「魔物」などまるで物語の中でしか語られないようなものを取り扱い、規制しているのである。
表向きには聖職者などを育てる「サン・リオール教会本部」として有名だが、その教会の裏手にある数々の大きい建物にはそれぞれの部課が入っており、大図書館、訓練場、研究所、寮、食堂など全ての生活において、入団者に不自由が無いようにされている。
教団の建物全てが大きな塀で囲まれている上に、塀の内側が見えないように魔法が施されているので、一般人からは寮付きの大きな教会としか認識されていないのである。
その中でアイリスが所属していたのは「魔的審査課」と呼ばれる部課だったのだが、問題ばかりを起こしてきたアイリスはついに、他の部課へと異動を命じられたのである。
「一年前が魔物討伐課で、半年前が魔的審査課、そして今度が魔具調査課ねぇ……。あんたみたいにころころと異動出来る奴、そうはいないわよ~」
「それ、羨ましがっているのか、馬鹿にしているのか分からないんだけど?」
そんなミレットは集めた情報をそれぞれの部課に提供をする「情報課」に勤めている。所属して一年になるが、仕事ぶりも中々なもので、周りからの信頼も厚いらしい。
それに比べて自分はまた異動である。しかも今度は問題がある者が集まると言われている「魔具調査課」だ。良い噂をあまり聞いた事が無い。
「いやいや、さすがは『真紅の破壊者』様々だなぁと、感心してるのよ」
『真紅の破壊者』――それはアイリスの異名である。いや、異名と言うよりもどちらかと言えば忌み名みたいなもので、ただ恐れられているか、蔑まれているだけだろう。
誰が付けたのか知らないが、この教団でアイリスの存在を知らない者は居ない。もちろん、良い意味では無いが。
「やっぱり、あの件じゃない? ハーリヴィヒ公爵の銅像を壊しちゃったのが不味かったんじゃない?」
「それ以前にテズロー橋を半壊してるわ。あ、それと何所かの貴族の屋敷の壁に穴も開けちゃったし……」
思い出すときりが無い程、色々と壊してきてしまっている。それが自分が『真紅の破壊者』と呼ばれる所以の一つでもあるが。
別に壊したくてやっている訳ではない。だが、どんな仕事も真面目にやっていたとしても、任務の時には必ず何か壊してしまうというのだから、アイリスの上司達は気が気では無かった。
何故なら、その修繕費は自分が所属している課へと要求され、その年の予算から引かれるのだ。一時とは言え、アイリスのせいで予算が尽きそうになった課もあったくらいだ。
それらの事もあってなのか、先日行われた異動審査会でアイリスの「魔具調査課」への異動が決まってしまったのである。簡単に言うと、お払い箱にされたと言っても良いくらいだが。
「はぁ……。もう、いつになったら魔物討伐課の方に戻れるのかしら……」
「別に魔物討伐課に所属してなくても、アイリスは勝手に動くじゃない」
ミレットはそう言って笑うが、否定はしなかった。だが、魔物討伐課に所属していた方が魔物に関する情報が手に入れやすく、動きやすいのだ。
「あ、そうそう。新しい情報が手に入ったから教えてあげようと思っていたの」
本当に彼女の情報網は何所まで張ってあるのか不思議でならない。
敵には回したくない人物である。
「実はね、アイリス以外にも、もう一人魔具調査課に入ってくる奴がいるの!」
「へぇ……それは物好きな……。あ、もしかして私みたいに異動させられたの?」
しかし、ミレットは周りを気にしながらアイリスだけに聞こえるようにそっと囁いた。聞こえた単語は耳を疑うものであった。
「はぁ? 呪われた男?」
「そう呼ばれていたの。元々は田舎の教会に預けられていたらしいんだけど、問題を起こしちゃったせいで、こっちの監視下に置く事にしたんだって。魔力はそれなりに高いそうだから、力だけ利用しようって、魂胆なんでしょうね。あ、この情報を流したのが私だって他の人には言わないでね」
まだ見ぬ相手の事をここまで調べているとは恐るべし。探偵顔負けの収集力である。すると、ミレットは急に深刻そうな表情をする。
「……アイリス、私がここまで調べているのはね……あんたが一番そいつと接点があるからよ。どんな奴か分からないんだから、十分に気をつけてよね?」
「……了解」
どうやら自分を心配して、相手の事を調べてくれていたらしい。やはり、持つべきものは友という事か。
しかし、その感動は次の言葉で全て砕け散った。
「それじゃあ、私は情報課の方に戻るけど、そいつの新しい情報が少しでも入ったら教えてね!」
ミレットは右手を上げて笑顔で颯爽と階段を駆け上がっていった。
なるほど、そういう事か。つまり、自分が情報収集源になれ、という事である。
「前言……撤回だわ……」
ぼそっと呟き、暫く呆気に取られていると後ろから声をかけられた。
出来れば関わりたくないと思っている知り合いの声にアイリスは気付かれないように、そっと苦い表情をする。
「──あら、アイリスさんじゃありませんの。階段の踊り場でそんな大荷物を抱えて、一体何をなさっているんです?」
ゆっくりとアイリスが後ろを振り返ると、そこには取り巻きを二人連れたハルージャ・エルベートが居た。自慢だと言っていた金色のブロンドをこれ程かと言わんばかりに、手でなびかせている癖も相変わらずである。
同い年で、魔法使いとして優秀な者を輩出する家の出身であるハルージャの言葉にアイリスはしかめっ面をする。彼女はわざと言っているのだ。その言い方は遠まわしだが、また異動かと言っているようなものだろう。
「どこからどう見ても荷物を運んでいるようにしか見えないでしょうが」
「まぁ。それは一人で大変ですわね」
彼女はいつも何故か面倒くさいほど自分に絡んでくる上に、嫌味をたっぷり投げつけてくるのだ。恐らく、向こうが勝手にアイリスのことを敵視しているだけで、こっちはかなり迷惑しているのだが。
ハルージャの後ろに居る二人の取り巻きもくすくすと笑っている。おそらく、二度目の異動のことを馬鹿にしにきたのだろう。
この「嘆きの夜明け団」に入団した者で、自分の意思に関係なく、二回も異動を命じられる者はそれ程いないらしい。
何故かと言うと、自分の力が最も適している課に所属されるか、もしくは自分から希望の課を異動審査会の者に報告しておけば、滅多なことが無い限り、自分の希望とは違う課に異動になる事は無いからである。
なので度々、異動を命じられる方が稀なのだ。
「女性一人でそんな大荷物を二階の魔具調査課まで運ぶのは大変でしょうから、手伝って差し上げましょうか?」
その言葉にアイリスの胸の内側がかっと燃えた気がした。上から目線の、しかも魔具調査課がある二階へと異動している、ということを主張するような言い方に、つい腹が立ってしまう。
もし今、自分の両手が片手でも空いていたならハルージャの胸倉を掴んでいたかもしれない。
自分は結構、短気な方だと自覚しているが、怒っては駄目だ。あくまで冷静に大人な態度で対処するべきだ。でなければ、彼女の思うつぼであろう。
「そう。でも言葉だけ、ありがたく貰っておくわ」
アイリスは怒りを全力で抑えつつ、冷めた表情で答える。これでも我慢出来た自分を褒めてやりたいくらいだ。
「あら、残念」
そんな思ってもいない事を述べているハルージャを無視するように、アイリスは踵を返して階段へと足を進ませようとした。
しかし、後ろから聞こえた言葉によってその歩みは止まった。
「ハルージャさんがそんな事をして差し上げる必要なんてないですよ」
「そうです。こんな子のために手を傷めなくても宜しいんです」
取り巻き達に言葉を返すふりをしつつ、自分へと向けられた、その言葉に。
アイリスは無視をすることが出来なかった。
「まぁ、確かにそれもそうね。……そうでしょう? 落ちこぼれの破壊者さん」
今、「落ちこぼれ」と言ったのだろうか。いや、言った。はっきりと聞こえた。
その瞬間、頭の中の何かがぶちり、と切れた音がした。
「……何が言いたいのか分からないけれど、まともな用件が無いなら話しかけないでくれる? 二位しか取れない聖女さん」
すると、ハルージャは先ほどの意地が悪そうな表情から一気に顔を紅潮させた。アイリスは追い討ちをかけるように更に続ける。
手は出せなくても、口なら出せる。むしろ、持っている文句の全てを吐き出してしまいたいくらいに今の自分は怒りで満ちていた。
「セントリア学園の入学試験で、私に勝てなくて次席だったんだっけ? 去年のミスコンも裏で投票者に賄賂を贈るって手を使ったのに、同じく二位だなんて情けないやら、恥ずかしいやら……。堪ったもんじゃないわね」
ミスコンとは毎年、十二月二十四日に教団内で行われている「偉大なる聖女コンテスト」のことである。
その内容は教団内の年齢十五歳から二十歳までの女性の中から誰が一番、理想の聖女にふさわしいかを選んで一位を決めるというこの教団だけの内輪向けのコンテストである。
ちなみに選ばれる基準としては聖母のように優しく、美しく、清らかであるということが重要とされている。
優勝した女性には特製ティアラとブローチ、そして「偉大なる聖女」の称号が贈られ、一年中憧れの目で見られるらしい。
その投票は不参加者と男性陣からの純粋な投票で成り立つのだが、それをハルージャは、予約していなければ絶対に買えない程に美味しいと噂のマフィンを投票者に送って買収したらしい。
もちろん、この話も全部ミレットからコンテスト後に聞いたのだが。
もし、これが選挙などの投票だったならば、ハルージャはとっくに選挙違反として捕まっているだろう。
「なっ……んですってぇっ~⁉」
「あら? 本当の事でしょ。まあ、私はもちろん、クラリスさんに投票したけど」
クラリスとは一位を二年連続で取っている「医務室の天使」こと、クラリス・ナハスである。誰にでも分け隔てなく優しい彼女にはこの教団内に多くの支持者がいる。
それに比べて、賄賂さえ貰わなければ絶対に投票する事は無いハルージャは、家の血筋が良い事と金持ちである事を鼻にかける、我侭放題のお嬢様である。
魔力も実力もそれなりにあるらしいが、その意地の悪い性格さえ直す事が出来るなら純粋な票も入るだろう。性格を知らない者は顔で判断して入れるかもしれないが。
「今年はちゃんと公平にやりなさいよね」
「はっ? 何の事かしら? さっぱり身に覚えが無いもの」
「そう。別に私には関係無いからいいんだけどね。じゃあ、もう行くけど特に用が無い時は話しかけて来ないで。迷惑だから」
アイリスはそれだけを最後に告げて、その場から立ち去ろうとした時だ。
「ちょ……ちょっと、待ちなさいよっ!」
ハルージャに突然、肩を掴まれて力ずくで身体の動きを止められたのだ。
だが、足の方は間に合わなかった。アイリスは右足を一段踏み外してしまい、身体はハルージャの手から離れて、抱えていた荷物と共に前方へと倒れていく。
全ての景色がゆっくりと動いたように見えた。階段の踊り場から下の踊り場までの高さは一階分ある。丸腰のまま、ただ重力に逆らうことなく落ちれば、どうなるのか瞬時に想像出来た。
その瞬間、柄にもなく自分は死ぬのだろうかなんて事を思ってしまう。
鈍くて大きい音と共に箱の中身が散らばる音が重なる。誰かの小さな悲鳴も聞こえた気がした。きっと、ハルージャの取り巻きの声だろう。
もう、天国へと逝ってしまったのだろうか。
しかし、自分が思っていたよりも、身体に痛みは感じない。それどころか、階段の踊り場に落ちたはずなのに、明らかに床ではない柔らかな感触がした。
――もしかしたら、自分は死んではいないのかもしれない。
アイリスが恐る恐る目を開けると、目の前には白いシャツのボタンが見えた。
そのまま視線をゆっくりと上げていくと今度は知らない顔があった。この国では比較的に珍しい艶やかな黒髪、そして吸い込まれそうなくらいに深く黒い瞳。
現状として、自分は生きていたようだ。しかも、この目の前にいる少年の上に見事に落ちてしまったため、無事だったということだろう。
ただ、不思議だと思ったのは、その少年が無表情だった事だ。荷物をばら撒いた上に、落ちてきたアイリスを受け止めてくれたのにも関わらず、その表情に色は無い。
アイリスが何か言おうと口を開きかけたが、少年は上の踊り場に居るハルージャを見据えていた。どうやら、睨んでいるらしい。
「わっ……私のせいでは、ありませんわっ……!」
ハルージャは顔を真っ青にして、取り巻きを連れてその場から、急いで逃げ去った。
これで暫く大人しくなってくれると助かるのだが。
溜息を吐きつつ、尻尾を巻いて逃げるハルージャ達を見ていたアイリスは少年にお礼を言おうと視線を戻した。
しかし、黒髪の少年はアイリスの両肩を掴むとそのまま身体を自分の上から床の上へと移動させるように下ろして、自分だけさっさと立ち上がる。
そこには言葉を入れる隙さえも無い。少年の一連の動作にアイリスは驚いてしまった。
「えっと……あの……?」
だが、少年はアイリスの声を無視して散乱している荷物を箱の中へと素早く入れていき、箱を二つ重ねるとひょいっと軽々と持ち上げ、そのまま階段を下りていってしまう。
その行動にアイリスは呆然としていたが、すぐに我に返った。
「ちょ……。それ、私の荷物よ! どこに持って……」
立ち上がろうと右手を床に着いた時だ。
「痛っ……」
手首から急に激痛が走った。袖を捲り上げてみると、手首辺りが赤く腫れている。恐らく、落ちた弾みで手を着いた時に捻挫したのかもしれない。
右足も同じように捻ってしまったのか、少しだけ痛い。それを知っていた上で、敢えてあの少年は荷物を運んでくれたのだろうか。
「まさか、ね」
今度は左手で支えながら立ち上がり、少年のあとを追うように歩いた。
しかし、一体どういう事だろうか。アイリスが「魔具調査課」に新しく異動した事を知っているかのように少年が歩く道順はぴったり合っているのだ。
もう一度、声をかけてみようとしたが、少年の歩幅が大きすぎて中々距離を縮める事が出来ず、とうとう彼は目的地の「魔具調査課」へと入って行ってしまった。
「誰なのかしら、あの人……」
一瞬、ミレットが言っていた「呪われた男」という言葉が浮かんだ。
だが、さっきの彼はどちらかと言うと「無感情男」と言う方が合っているかもしれない。
魔具調査課の部屋の前に立ったアイリスは深呼吸をしてから扉を三回叩いた。
「失礼します」
返事は無かったので、恐る恐る扉を開け、部屋全体を見渡したが誰も居ない。部屋の広さは魔的審査課の部屋の半分くらいの広さである。
向かい合う様に並べられている机の数からして、魔具調査課に所属している人数がいかに少ないのか分かってしまう。
その中の一角の机の上に、ダンボール箱が二つ置かれていた。どうやら、ここが自分の席らしい。
「どうして、ここが分かったのかしら……」
それにしても、さっきの少年はどこへ行ったのだろうかと、視線を移すと奥に二つの扉があり、左の扉には「課長室」と書かれたプレートが貼られていた。
その扉を今度は躊躇わずに三回叩くと、すぐに明るい声が中から返って来る。
「失礼しま……」
扉を開けた途端に目に入ってきたのは、手を振って笑顔で自分を迎えてくれる魔具調査課の課長である女性とさっきの少年だった。
「あーっ! さっきの人っ⁉」
黒髪の少年の姿に驚いたアイリスは失礼な行為だと忘れたまま、彼に右手の人差し指を向ける。
「やあ、アイリス。久しぶりだな」
若き課長である女性──ブレア・ラミナ・スティアートは陽気な声でそう告げる。
アイリスとブレアはお互いに知り合いであり、それなりに親しい間柄であるため、堅い挨拶は必要ないのだが今はそれどころではない。
「お久しぶりです、ブレアさん。……って、そうじゃなくて、どうしてさっきの人がここに居るの⁉ 何で私の所属がここだって分かったのっ⁉」
息する暇さえ無いようにアイリスが質問攻めするが、少年は何も答えない。瞳を伏し目がちにしており、こちらを全く見ないようにしているようだった。
「まあ、落ち着けアイリス」
ブレアは苦笑いしながら、アイリスを宥めた。彼女はゆっくりとした仕草で眼鏡を上へと上げつつ、ふっと笑う。
「こいつはな、クロイドって言うんだ」
「クロイド……」
アイリスは紹介されたクロイドと呼ばれる少年の黒い瞳をじっと見つめるも、すぐに目を逸らされてしまう。
……見た目と性格が反比例しているみたいね。
正直、好みの顔立ちであるが、その無表情がかなり気になる。
「お前も多分、ミレット経由で知っていると思うが新しくここへ配属された奴だ。それで、お前がまだ魔的審査課の方に居るかもしれないから、挨拶がてらに荷物を運ぶのを手伝ってやれって言っておいたんだ。アイリスがどんな容姿か伝えてな」
すれ違わなくて良かったなとブレアは笑ったが、問題はそこでは無い。
「でも……どうしてわざわざ、そんな事させたんですか? 私だってここの場所くらい知っていますし、荷物だって一人で運べましたよ」
正直、かなり重かったが一人でも運べる量だった。
ハルージャが絡んでこなければ、更に楽に運べたと思う。
「なぁに、親睦だよ、親睦。ついでに他の課がどこにあるのか見て来いって言ってたんだ。まだ、こいつは教団に来たばかりだからな」
「はぁ……親睦、ですか」
そこでブレアは眼鏡をぐいっと上に上げて、にやりと愉快そうに笑った。
「アイリス・ローレンス、クロイド・ソルモンド。お前達二人には今日から仕事上の相棒として働いてもらう」
一瞬、言われた意味が理解できなかった。
長い間を空けた後にアイリスは驚きの声を上げる。
「はぁ⁉ ちょっ……一体どういう事なんですかっ⁉」
「言葉通りだ。この課では二人一組で行動する事が原則となっている。『奇跡狩り』は一人で行う方が難しいからな。二人でなら安全だし、効率がいい」
ブレアは律儀に説明してくれたがそれでも、アイリスは納得がいかなかった。
「でもっ……。二人ともまだ、新人なんですよ⁉ ここは普通、任務に慣れた人と一緒なんじゃ……」
「他の奴らはすでに新人時代から組んでいるんだよ」
ブレアは諦めろと言わんばかりに笑っている。一方、クロイドの方はと言うと、相変わらずの無表情だった。
本当は仕方が無いと分かっていた。もう今の自分にはこの課しか居場所が無い。
それに与えられた仕事を全う出来なければ、自分が教団に属している一番の目的さえも果たせなくなってしまうだろう。
小さく溜息を吐き、覚悟した表情でアイリスはクロイドの方へと向き直った。
「私はアイリス・ローレンス。今日からよろしく」
しかし、クロイドはアイリスが差し出した右手を一瞥しただけで、そっぽを向いて呟いた。
「別に……よろしくしなくていい。それに……知っているんだろう。……俺と関わると呪われるぞ」
そう言い放って、扉の方へと向かおうとするクロイドの腕をアイリスはがっしりと掴んだ。
自分でも彼の腕を瞬時に掴んだことに驚いたが、彼のその態度につい苛立ってしまったのだ。
「なっ……」
突然、腕を掴まれたクロイドは案の定、驚いた表情でアイリスを見た。
会ってから初めて、強く気持ちが入った瞳で、お互いに目が合った気がする。
「ちょっと、待ちなさい! 人が挨拶してる時は、ちゃんと相手の目を見て答えなさいよっ!」
「え……ちょっ……。おい、だから……君にも……」
「そんな事、私にはどうでもいいの! 私が言っている意味が分かった? 分かったなら、返事は⁉」
アイリスは腕を掴んだまま離さない。こう見えて、腕力にはそれなりに自信があった。
問い詰めるようにクロイドに迫って、逸らせないように彼の瞳の奥を凝視した。
「……わ、分かった……」
観念したように小さく絞り上げられる声にアイリスは力強く頷く。
「なら、良し」
ようやく、アイリスの手から逃れる事が出来たクロイドはこちらに背を向けて、早足でその部屋から出て行ってしまった。
さすがに初対面でやり過ぎたかもしれないが、挨拶がまともに出来ない人と相棒を組む気にはなれないのが正直に言ったところである。
「ちょっと、ブレアさん。あいつ、礼儀と言うものを知らないんですか? あの態度……本当に腹が立つわ……」
しかし、ブレアは何が可笑しいのか声を上げて笑っていた。
「ははっ……。やはり、お前を選んで正解だったよ」
「はい? どう言う事で?」
笑いのつぼにはまったのかブレアは息する暇さえないくらいに笑っていたが、ゆっくり呼吸を整えて、アイリスを見据えた。
「あいつはお前と一緒なんだよ、アイリス。お前と縛られているものが違うが、クロイドは……『呪い』という言葉に縛られているんだ」
そうだった。そういえば、クロイドは先程も呪いがどうとか言っていたような。
「それにずっと孤独を感じながら生きてきたらしいから、人とどのように接すればいいのか分からないんだろうな……」
「……」
その言葉にアイリスの胸の奥が少しだけ痛む。
孤独というものなら、自分は痛い程に味わってきた。クロイドという少年も自分と同じ思いを知っているのだろうか。
「だから、出来るだけお前から話しかけてやったりしてくれないか? 歳が近い方が意思疎通も取りやすいだろうし。それにほら、アイリスは人の世話をするのが得意だろう?」
「……それ、私がお節介みたいに聞こえるんですが。まぁ、別にいいですよ。彼と親しくなるのは少々骨が折れそうですけれど。……では、明日から出勤します」
ブレアに一礼し、アイリスは背を向ける。
「うむ。それじゃあ、今日から魔具調査課の一員として、よろしく頼むよ」
アイリスが出て行った扉を見つめながら、課長のブレアは不敵に笑いながら小さく呟いていた。
「さて……。これから面白くなりそうだ」