茶会の終わり
「……今後、ブリティオンの組織と話し合いの場を設けるとのことですが、そちらの話は進んでいるのでしょうか」
アイリスは引き締めた表情のままで訊ねた。
「うむ、ゆっくりとだが進んでいるようじゃ。……しかし、イグノラントとブリティオン──。お互いの組織が創られてから、正式な話し合いの場が設けられることなど、片手で足りる程しかなかったからのぅ。それほどまでにイグノラント側はブリティオンに干渉されることを嫌っておったゆえ……」
「……オスクリダ島の件の首謀者、出て来ると思いますか」
更なる言葉に対して、イリシオスは押し黙った。恐らく、アイリスの考えと同じことを浮かべているに違いない。
「一筋縄ではいかぬだろう。……それでも、許すわけにはいかぬのじゃ」
ふつり、とイリシオスの瞳には怒りの炎が宿ったように見えた。表情に表していなくても、彼女は心底怒りを抱いているのだ。
その怒りは、アイリス達とて同じように抱いている。救えなかった無力さを胸の奥へと押し込めて、自分は前を見続けなければならないのだ。
あのような惨劇が二度と起きることがないように、手を尽くさなければならない。
「また、何かしらの情報が得られたのならば、ブレアに繋いでお主達にも伝えよう。今は時流の変わり目かもしれぬ。お互いに慎重に動くのじゃ」
「はい」
すると、話のきりがいいところで、イリシオスの部屋の扉を叩く音が響く。
「おや、もうブレアが迎えにきたのか? まだ話し足りぬというのに、時間が経つのは早いものじゃ」
イリシオスが入室の許可を出すと、扉はすぐに開き、廊下からブレアが苦笑するように顔を出した。
「アイリス達の迎えに来ました」
「早すぎるぞ、ブレアよ。まだ、話したいことの半分も喋ってはおらぬ」
そう言って、頬を膨らませて、訴える姿は年相応の少女のようだ。
「まあ、また時間が出来た時に二人を呼べばいいではありませんか。……二人も次の誘いがあれば、応じるだろう?」
圧力らしき笑みがブレアから漏れているため、アイリス達はすぐに首をぶんぶんと振り返した。
「イリシオス様がお望みでしたら、また伺います。その際にはぜひ、私が紅茶をお淹れしたいですね」
「では、俺もお茶菓子を作ってきます」
「何とっ! それは真かっ!」
それまで拗ねた子どものようだったが、イリシオスの機嫌は一瞬で直り、にこにこと嬉しそうな笑みを浮かべ始める。
「一度、アイリスが淹れた紅茶を飲んでみたいと思っておったのじゃ。それにクロイドは料理だけでなく菓子作りも上手いと聞く。……ふふっ。次の茶会が楽しみじゃ」
子どもが楽しみを待っているようにイリシオスは期待に満ちた表情で笑っている。何も知らなければ、本当に小さな子どもにしか見えない。
「では、イリシオス様。今日はたくさんのお話を聞かせていただき、ありがとうございました」
アイリスとクロイドは隣に並んでから、イリシオスへと頭を下げる。
「うむ。わしもお主らと深く話すことが出来て楽しかったのじゃ。また、共に茶を飲もうぞ」
「はい。それでは、失礼致します」
アイリス達はブレアの後に続くようにイリシオスの部屋から出て行く。
扉が閉まる瞬間まで、イリシオスはこちらを優しげな表情を浮かべつつ見つめていた。
「……くっ」
扉を閉めた瞬間に、ブレアの笑い声がその場に響いた。
何故、突然笑ったのだろうかとアイリス達が彼女の顔を窺うと、ブレアは口元を右手で押さえつつ、楽しげな声で理由を話した。
「いやぁ、先生が駄々をこねるような物言いをするなんて、珍しいと思ってな。よほど、お前達とお茶会をするのが楽しかったようだ」
「……また、誘われればお伺いしますけれど、次は準備する時間が欲しいですね。おすすめの茶葉を持って行きたいので」
「ああ、次は数日前に連絡することにするよ。それじゃあ、魔具調査課へ戻ろうか」
くすくすとブレアは楽しそうに笑ったままだ。彼女にとってはかなり珍しい光景を見ることが出来たのかもしれない。
……イリシオス様はどんな紅茶がお好きなのかしら。
イリシオスはアイリス達のことをよく知っているようだが、自分達は彼女のことを深くは知らない。
だから、少しずつお互いに知っていくことが出来たらいいなと思っている。
今日はお茶とお茶菓子をご馳走してもらったが、次は自分達がイリシオスにおもてなしをしたいと思いつつ、アイリスは小さな笑みを零していた。
・・・・・・・・・・
誰もいなくなった部屋で一人、イリシオスは自分自身に注ぎ足したハーブティーを口に含める。
「……知らぬうちに、子どもというものは大きくなるものじゃな」
その呟きは誰かに対して発したものではない。
アイリスとクロイド──つまり、ローレンス家と王家の子がそれぞれ生まれた時、その情報は毎回、イリシオスのもとへと入ってくる。
だが、自ら会いに行くことは出来ないため、この塔から静かに彼らの健やかな成長と幸せを祈るだけだ。
それゆえに、アイリスとクロイドが教団へ入団することになった時は驚いたものだ。
──彼らの血筋が、帰って来た。
そう思ってしまうほどに、アイリスとクロイドはかつての友人達に容姿も性質もよく似ていた。思わず、脳裏に思い出してしまう程度に。
「……グロアリュス、ミリシャ、クシフォス、エイレーン。わしは……お主らとの約束をまだ、果たせそうにはない。何せ、いつの時代も、お主らの血が継がれた者達はひたすらに可愛いばかりじゃ。見守っていて、飽きることなんてない」
くっと低く笑っては、脳裏に浮かぶ四人の姿を想い出の中へと仕舞っていく。
「ああ、死にたいと望んでいた頃が懐かしいのぅ。……いつまでも、幸せの先を見続けたいと望むとは、わしも随分と丸くなったものじゃ」
過去の事情により不老不死となったことで、簡単に死は望めない身体となっていた。それ故に絶望し、魔力を失った。
しかし、得られたものは多くあった。死にたいと望んでいた頃には見えなかったものだ。
「愛しいものが増えるばかりで仕方がないのじゃ。……そっちに逝くのはまだ先じゃろう」
細く囁くような声でイリシオスは呟く。
新しい命が生まれ、そして輝くように生きていた者を穏やかに見送る。その繰り返しだとしても、自分はいつだって見守る者でいたいと願ってしまう。
彼らの──ローレンス家と王家の者達の幸せを願って、生きたいと望んでしまう。
「友よ……」
イリシオスは静かに目を瞑る。
自分が見送った者達はいつだって、瞼の裏に浮かんでは消えていく。それでいい。全ては想い出となっただけだ。
愛おしい者達はいつだって、自分の心の中で生きている。
懐かしさに囚われているわけではない。
ただ、時折思い出すだけだ。彼らが、確かに生きていたことを。
静かに、密やかに、溺れることなく。
イリシオスはアイリス達の姿をかつての友に重ねては、嬉しいような寂しいような気持ちで、穏やかに苦笑していた。
塔の茶会編 完




