神にされたもの
イリシオスはふっと息を吐いてから、表情を少しだけ曇らせる。
「しかし、エイレーンは移民達に最後に一つだけ、願いを告げられていた。……地下通路と魔物を滅した際に生じた大穴を繋げて欲しいと頼まれたのじゃ」
「それは一体、どんな理由で……」
「『神様』を作るため、じゃよ」
イリシオスから発せられた言葉にアイリス達はぎこちなく首を動かした。神様を作る、その言葉に心臓が一瞬だけ跳ね上がった気がした。
「自分達を助けてくれたエイレーンを祀るための祠を作りたいと願ったのじゃ。大穴はエイレーンの魔法、つまり御業で掘ったものだった故に、その場所に彼女の存在と行いを称え、感謝するための祠を作りたかったらしい。そのため、エイレーンは最初、大穴を塞ごうと思っていたが、塞ぐに塞がれなくなったのじゃ」
「……」
子孫である自分がかなり複雑な心境であるため、きっとエイレーンも同じような気持ちだったに違いないと密かに思った。
自分が誰かに崇められる神様になるなど、考えたくもない。
「エイレーンは明確な『神様』として崇められることを断るつもりじゃった。だが、人とは脆い生き物じゃ。何かに心を寄せなければ、崩れてしまうほどに」
イリシオスは窓の外へと視線を向けて、どこか遠い目をしていた。
移民達にとっては心を寄せて、支えとなる何かが欲しかっただけなのだと、彼女も分かっていたからかもしれない。
「エイレーンが彼らに名前を伝えなかったことで、移民達はますます彼女のことを神様として呼ぶことにした。いくら、エイレーンが神の使いだと言い張っても、彼らにとって目に見えた神様は彼女だけだったからじゃ。それ故に、彼女は移民達のその純粋な気持ちを持て余すことしか出来なかった。人の信仰心に対して、否定することは出来ない性質じゃったからのぅ」
「……だから、オスクリダ島の『神様』には明確な名前が付いていなかったのですね」
「恐らく、そういうことじゃ」
オスクリダ島で伝えられていた「神様」はエイレーンだったのだ。
大穴にも、通路にも、伝えられていた伝承にさえ、エイレーンの存在を知るための欠片は含まれてはいなかった。
それでも、彼女はあの島で確かに移民達を助けるべく、手を伸ばしたのだろう。救いたいと思ったものを救うために。
その想いがあまりにも純粋過ぎたからこそ、移民達は彼女こそは神様だと思い込んでしまったのかもしれない。
「結局、エイレーンは移民達に反する声を上げることが出来ないまま、彼女を祀る場所が大穴の底に祠として作られた。だが、地下通路を通ることは許しても、彼女は決して地上の道から、森の奥へと足を踏み入れないようにと注意したのじゃ。……何せ、地上から大穴に誤って落ちてしまえば、人は死んでしまうからのぅ」
「エイレーンの言葉が、オスクリダ島の人達に伝承として残っていたことで、『迷える森』の話が生まれたということか……」
クロイドの呟きにイリシオスはこくりと頷き返す。
「エイレーン達はその後、たびたび島へと訪れては新たな魔物が生息していないかを見回りすることにした。やがて、オスクリダ島への航海路も決まったことで、島には物資が流通し、人々の生活に潤いが生じ始め、安定した日々を送れるようになったのじゃ」
だがそこで、イリシオスは何故か、ふっと困ったような表情を浮かべた。
「エイレーンはな、オスクリダ島の移民達を気にかけてはおったが、それでも彼らの『神様』になることだけは、どうしても頷くことも受け入れることも出来なかった」
「……」
「それ故に、自分がオスクリダ島で行ったことは決して島の人間以外に伝えてはならないと移民達に言い含めていたらしい。……まあ、魔女である故にその力を使って行ったことを異端審問官に嗅ぎ付けられれば、面倒なことになると思ったのじゃろうな」
イリシオスの話を聞いていると、自分達の知らないところで、知らない出来事がたくさん起きていたことに改めて気付かされる。
今まで起きた何かが積み上がり、そしてあらぬ方向へと変化していったのだろう。それこそ、オスクリダ島に住まう当人達も知らないうちに。
実際に起きた出来事は伝承として伝えられる。
しかし、それは必ずしも正しい情報として次の時代に伝わっていくわけではないのだ。
誰かの思惑や考えが混じり、元々の形だったものは別のものとして、変容してしまうことだってあるのだから。
「わしらもエイレーンがオスクリダ島で行ったことを他言しないように胸に留めておくことにした。……エイレーンが神格化されて、持ち上げられることを本人が望んではいなかったからじゃ」
先日、セド・ウィリアムズにも同じような言葉を言ったことを思い出したアイリスは一瞬だけ、眉を中央へと寄せた。
あの件はもう、過ぎたことだ。思い出しても、特に良い事はないだろう。
「ずっと、秘密にしておった故にエイレーンが移民達を助けたことは徐々に忘れ去られ、オスクリダ島には伝承だけが添えられた確かな『神様』がやがて生まれたのじゃろう。……そして現在となって、その神様と、神様が起こすと言われている神隠しを調べるべく、エディク・サラマンという団員がオスクリダ島に向かったと聞いた。だがそんな時でさえ、わしは──真実を告げることはせずにいた」
「……」
「わしもまた、一つの真実を闇の中へと隠すことにしたのじゃ。……友人の願いのために」
どこか悲しみに満ちた表情でイリシオスは口元を緩める。
もし、彼女がエディク・サラマンに「オスクリダ島の真実」を話していれば、彼は島には訪れず、魔物へと身を堕とすことはなかったかもしれない。
そう、思いながら自分自身を責めているのだ。
……この人も、何も出来なかった自分に悔いているのだわ。
あの時、自分が──。きっと、そう思わずにはいられないのだろう。
アイリスは膝の上に乗せている両手の拳を強く握りしめ直した。
「本当に、あの島は誰かの『闇』で出来ておるのかもしれぬな」
ぼそりと呟かれる言葉は静かに空気中へと溶けていく。
誰かの想いと、願いと、そして祈り。
それらは形を変えて、現代まで繋がっている。誰かの意図によって。
そこに存在しているのは決して悪いだけのものではない。良い事も悪い事も全てを含めて、形成されているのだろう。
大変申し訳ないのですが、こちらの章、当初は「昏き慟哭編」だったのですが、「塔の茶会編」に変更したいと思います。
「昏き慟哭編」は次章からになります。どうか、ご了承のほど、よろしくお願い致します。




