島の過去
ひとしきり、楽しげな声を上げて笑ったあと、イリシオスはハーブティーを口に含めてから、何か思い出したように顔を上げた。
「そういえば、お主達は先日、オスクリダ島へと足を踏み入れたらしいな」
先程までの表情とは一変して、イリシオスの顔は少しだけ曇ったものとなっている。恐らく、オスクリダ島で起きたことを全て聞かされているに違いない。
アイリス達はこくり、と首を縦に振り返した。
「……イグノラントの国民に手を出したのはブリティオンの組織か、もしくは──ローレンス家か。どちらだとしてもわしはあの件を許してはおらぬ」
「……」
剣呑な瞳でイリシオスは右手に持っているカップに視線を向け続ける。そこには幼い姿であっても、イグノラント王国の魔法使い達の頂点に立つ「総帥」としての姿があった。
「彼らには必ずや、己がしでかしたことの罪を償ってもらわねばならぬな」
低い声で呟き、イリシオスはハーブティーで何かを飲み込むように一気に喉の奥へと流した。
「しかし、お主達がオスクリダ島へ向かうことになるとは……」
「……?」
一体、何の話だろうかとアイリスが小さく首を傾げると、イリシオスは少しだけ困ったような表情で話を続けてくれた。
「実はな……。あの島には、エイレーンも赴いたことがあるのじゃ」
「えっ……」
初耳である衝撃的な発言にアイリスとクロイドは本日、何度目か分からない硬直に陥る。
「教団が国の裏組織としてそれなりに機能し始め、人も増えた頃だった。……田舎の港町にとある人間が海から流れ着いていた」
「とある人間ですか?」
「流れ着いていた者は黒髪に黒目を持つ、遠い異国の者だった。遥か海の先にある東方の国を生まれとする人間じゃった」
その話にどこか聞き覚えがあるアイリス達はお互いに瞳を交えてから、イリシオスへと視線を戻した。
「その際、ちょうど港町に視察に来ていた初代国王、グロアリュスが移民とも言うべき者を保護したのじゃ。異国の様々な言葉を習得していた彼は流れ着いた者の話を途切れ途切れだが聞き取ることが出来た」
グロアリュス国王のことを思い出したのか、イリシオスの瞳は一瞬だけ、懐かしいものを思い出すように細められた。
「移民の者曰く、彼は東方の国から移住してきた者達と共に船に乗ってやってきたらしい。そして、当時はまだイグノラント領には入っていなかった現オスクリダ島へと流れ着いたのだという」
懐かしげに細められていた瞳は次第に険しいものへと変わっていく。どうやらこの話は生易しい思い出話などではないとアイリス達はすぐに察した。
「当時のオスクリダ島は無人島であった。しかし……凶悪な魔物が住まう島でもあったのじゃ」
「……!?」
「ですが現在は、魔物は一体も……」
「うむ。エイレーンが根絶やしにしたからのぅ。……だが、当時の移民達にとって魔物は未知なる生き物だった。母なる国を出て、移住を決めたというのに、彼らにとっては地獄とも言うべき土地だったのじゃ。それ故に……昼間は外で活動することが出来ても、夜になれば魔物が襲ってくるため、移民達は自らの身を守るためにその土地に穴を掘って隠れることにしたらしい」
「それは……」
もしかして、オスクリダ島の地下通路はそのようにして生まれたのではないだろうかとアイリスが目を見開くと、イリシオスはそれが答えだと言わんばかりに頷き返した。
「もちろん、人間の手で掘れる穴なんて、限度が見えている。あの長い、長い通路は……エイレーンが魔法で掘ったものだ」
「……」
オスクリダ島の地下通路は人間の手にしては、あまりにも綺麗に掘られていると思っていたが、まさかエイレーンが掘っていたとは予想外だ。
アイリスはそのまま、食い入るようにイリシオスの話に耳を傾け続けた。
「グロアリュスが保護した移民の男は魔物が住まう島から逃げようと、他の者達と共に渡ってきた船を使って別の土地を探すことにしたが……オスクリダ島周辺の海にも魔物は生息していたらしく、襲われたらしい。すぐに船は壊されてしまい、彼だけが波によって港町へと流されてきたのじゃ」
島だけでなく、海にも魔物が潜んでいるなど、討伐する術を知らない者からすれば、ただの恐怖だろう。
アイリスはいつの間にか苦いものを食べているような表情で唾を飲み込んでいた。
「移民にとっては化け物という認識だったらしいが、海に住まう魔物によって島の外へと出られなくなった者がいるかもしれないと移民の男が話したことで、エイレーンは夫であるクシフォスと共にオスクリダ島へと向かうことにした」
「向かうことにしたって……。ですが、当時はオスクリダ島への航海路も見つかっていなかったのでは?」
クロイドの言葉にイリシオスは肯定の意を込めて、頷いた。
「その通り。そして、海を渡る技術を持っている者は限られておる故に、エイレーン個人に手を貸してくれる船などなかった」
「では、一体……」
するとそこでイリシオスはにやり、と面白いことを思いついたような表情を浮かべてから答えた。
「人が寝静まった深夜にエイレーンは魔法を使って、海を凍らせたのじゃ」
「えっ!?」
「な……」
海を凍らせる。それがどれ程の魔力が必要で、凄まじいものなのかは想像しなくても理解出来た。エイレーンは自然の力さえも凌駕する魔力を持っていたということが話を聞いただけで分かる。
「海を凍らせた後、エイレーン達は乗って来ていた馬に乗って、海の上を走らせてオスクリダ島へと向かった。もちろん、自分達が通った場所は何事もなかったように時間差で氷が溶ける解除の魔法もかけて」
「……凄い」
素直にその言葉しか出なかった。さすが、イグノラントのローレンス家の始祖とされる女性だ。
「半日がかりで辿り着いたオスクリダ島は、それはもう悲惨な状態だったらしい。グロアリュスに保護された移民の男が危惧していた通り、船を壊された者達は島へと戻るしかなかった。しかし、海にも島にも魔物は潜んでおる。……どこにも逃げ場がないまま、肉食動物の檻に入れられたような状態がずっと続いていたのじゃ。誰しもが外に出ることに怯え、唯一の守りである地下の中へと身を隠したまま出て来なかった。そこで、エイレーンは移民達の状況を救うべく、すぐに行動に移すことにした」
当時の悲惨さをアイリスはすぐに思い浮かべることが出来た。きっと、魔物に襲われた者は大勢いたのだろう。
それでも、彼らには戦う術も逃げる方法もなかったに違いない。
周囲に敵しかいない状況下で生きていくことがどれ程、恐ろしいものなのか、アイリスには感じ取れていた。




