夢魂結び
深い息を吐き出しつつ、イリシオスは言葉を続けた。
「アイリス、クロイドよ。お主達が仇である魔犬を討ちたいと思っていることは理解しておる。だが、奴は簡単には倒せない未知なる生き物じゃ。決して、二人だけで挑もうなどと思ってはならぬ」
真っすぐと向けられる視線は、幼い姿には似合わない程に据わっていた。
それは警告というよりも、むしろ心配する気持ちから来る助言のようにも聞こえた。
「今はとにかく、魔犬に関する情報を集めよ。見知らぬ敵の情報を得ることは武器になる。そして、事を優位に運ぶためには魔犬に対して何が効果的なのかを考えるのじゃ。……特徴を一つずつ見極め、奴には何が出来て、何が出来ないのかを見つけよ」
「……」
魔犬には何が出来て、何が出来ないのか──。
……そういえば、深くは考えたことがなかったかも。
いつも魔犬を倒すためだけに自身が強くなることを目指していたが、魔犬の弱点などを改めて考えたことはなかったかもしれない。
伝説級と言われる魔犬には果たして弱点などあるのかと首を傾げたくなるが、何気ない情報が有益に繋がることがあるかもしれない。
アイリスとクロイドがそれぞれ難しい顔をしながら、魔犬について思い返しつつ、小さく唸っているとイリシオスは息を漏らすようにふっと笑みを溢した。
「お主達の周囲には頼れる者が大勢いる。そのことを忘れなければ、きっと望みは果たされるだろう」
慈愛とも言うべき表情の中には、憐みなど含まれてはいなかった。イリシオスもいつか必ず魔犬を討つことが出来ると信じてくれているのかもしれない。
……それならば、私達も自分達のことを信じてくれる人達のために、止まることなく進み続けなきゃ。
アイリスとクロイドは意思が繋がっているように、同時にイリシオスへと頷き返した。
きっとまた、イリシオスに頼ることがあるかもしれない。それまでにもう一歩だけ、前に進んでおきたいと思えた。
「さて、魔犬の話はこれくらいにしておこうかの」
イリシオスは他にも話したいことがあるようで、自身が作ったクッキーを口の中へと放り投げるように食べつつ、ハーブティーで喉を潤した。
「アイリス、お主にも聞きたいことがあるのじゃ」
「私に、ですか……?」
「うむ。……『夢魂結び』というものを知っておるか?」
イリシオスから訊ねられた言葉に聞き覚えがないアイリスは首を横に振り返した。その反応を受けたイリシオスは一瞬だけ、険しい顔をしたように見えた。
「ふぅむ……。どうやら先代のローレンス家当主は、まだアイリスには教えてはいなかったようじゃな」
イリシオスは細い腕を組みつつ、少し悩むように唸る。自ら、アイリスへとその情報を伝えるべきか、もしくは否か、悩んでいるのかもしれない。
それでも、「ローレンス家当主」という言葉が出た以上、自分は知るべき内容だと思ったアイリスは思い切って訊ねてみることにした。
「あの……。その『夢魂結び』とは一体、どのようなものなのでしょうか」
「……本来ならば、ローレンス家当主が代々、自らの子どもに伝えているローレンス家特有の力の話じゃ。それ故に、家の者以外に話すことは禁じられておる。……悪意を持った者にこの力を狙われる可能性があるからじゃ」
「特有の力、ですか」
しかし、記憶を思い返してもアイリスは自分の母親から、「夢魂結び」などといった言葉を聞いたことは無かった。
両親は魔法を使える魔力持ちの人間だったが、必要以上に魔法を使用することはなく、普通の人間と同じように生活していたことを覚えている。
「この力は、ローレンス家に生まれた人間全てが持っているわけではないだろう。エイレーンはこの力を持っておったが、子孫の中には持っていない者もいた。……いや、もしかするとその者が必要と思った時に生じる力なのかもしれぬな」
「……それは、どのような力なのですか」
アイリスは魔力を持っていないため、特有の力と言われても思い当るものは浮かばなかった。
アイリスが促すように訊ねれば、イリシオスは何度か口を開けては閉じて、そして開いた。
「……夢の中で、他者と魂を交えることが出来る力じゃ」
「夢の中で?」
首を傾げるアイリスに対して、イリシオスは真剣な表情で首を縦に振った。
「正確に言えば、夢の中だけにおいて、過去と未来、現在の魂と己の魂を交えることが出来るのじゃ。他者の魂と会話をすることも、その姿を視ることも出来るし、他者から自分に向けられた内なる声を受け取ることも出来る。……故に己の魂を使って、過去に起きた出来事に逆行することも出来るし、これから起こりうる出来事を感覚として受け取る『未来視』の力でもあるのじゃ」
「……」
初めて告げられるローレンス家の力についての内容に、アイリスは息を飲みこんでいた。
過去と未来、そして魂を交える。
聞き覚えはない力であるはずなのに、何故かこの身体の奥底はイリシオスの話に反応しているのか、自らの心臓が大きく脈打っているように思えたのだ。




