慈愛の瞳
アイリスとクロイドはイリシオスに勧められるがまま、クッキーにも手を出した。
クッキーの見た目は素朴な感じに見えるが、生地の中にはハーブの欠片のようなものが練り込まれているらしい。
口に含めれば、さくっとした歯ごたえを感じたと同時にどこか懐かしさを思い起こす味が広がっていく気がした。
……何だか、祖母の家に遊びに来ている気分だわ。
イリシオスの見た目は十二歳くらいの少女だが、その中身は老齢だと分かっている。そのため、奇妙な気分が心の中に浮かんでいた。
それでも今の時間を心地よく感じるのは確かだ。
「さて、せっかくのお茶会じゃ。何か話でもしようかの」
あまりにもハーブティーとクッキーが美味しかったので、無心になりかけていたアイリス達ははっと我に返ってから姿勢を正す。
その様子が可笑しかったのか、イリシオスはくっと笑っていた。
「アイリス、クロイド。お主達は本当にあの頃のあやつらに似ておるな」
どこか懐かしそうに目を細めながら、イリシオスはぼそりと呟いた。
「それは……エイレーン・ローレンス達のことですか?」
「うむ。……魔女狩り、異端審問といった惨劇により、混沌が混沌を呼び、極めていく時代……。あの時代に生まれて来たというのに、エイレーン達はどこまでも高潔で、清らかな魂を持っていた。……眩しい子らじゃったよ」
「……」
イリシオスはエイレーンと会話をしたことがあると分かっているのに、現実味がないような気がしてしまうのは何故だろうか。
「……エイレーン達は」
アイリスは両手を握りしめて、視線を真っすぐとイリシオスへと向ける。
「エイレーン達は、幸せだったでしょうか」
「……」
「彼女は生きていた場所を追われ、異端審問官に責められ、心を傷付けられたと聞いています。それでも彼女は生きることを選んだ。他者を蹴落とし、蔑み、傷付けることなく、むしろ──守ることを選んだ」
黎明の魔女と呼ばれているエイレーン・ローレンス。しかし、彼女が仲間達と教団を建てるまでは息苦しい人生を送っていたと聞いている。
エイレーンは信じたのだ、自分以外の人間を。魔女である自分の存在を認めてくれる他者が居る限り、生きていてもいいと思えるようになったからこそ、彼女は前を向くことを選んだ。
魔力持ちを蔑み、傷付ける魔力無し。
それは力を持っていない魔力無しだからこそ、大きな恐れを抱いた結果だ。
不安をぶつける対象を魔力持ちに向けて、自分達は「普通」だという枠組みに当てはめることで、微かな安堵を得ることが出来た。
それは自分以外の他者を敵だと認識し、信じる心を失ったからだ。
誰かが敵でなければ、「普通」である自分達の心を保つことが出来なかったのだろう。「魔女狩り」が多発した時代はそうやって作られたのだ。
それでも混沌と呼ばれた時代に、エイレーンは信じ続けた。
エイレーンのことを魔女だと知っても寄り添ってくれる者達がいたからだ。
幼馴染であり、エイレーンのために異端審問官となり、影ながら彼女を守っていたクシフォス。
教団の教会の持ち主であり、エイレーンに手を差し伸べてくれたミリシャ・ハイゼン。
イグノラント王国の初代国王であり、魔力を持つ者を守るために表立って、橋渡し役をしてくれたグロアリュス・ソル・フォルモンド。
そして、グロアリュスの師であり、「太陽と生ける愚者」の名を持つ不老不死の魔女、ウィータ・ナル・アウロア・イリシオス。
この四人が傍に居たからこそ、エイレーンは人間というものを信じることが出来たのだ。でなければ、この世界に絶望して自らの手で死んでいたに違いない。
彼らがいなければ、魔力無しと魔力持ちが共存する世界を創ろうなどと思わなかっただろう。
彼女は元々、森の奥でひっそりと一人で暮らしていたのだから。
エイレーンは信じていた。
その時はまだ、魔力無しと魔力持ちが共生出来る世界ではないと分かっていた。だが、きっと変われると信じ続けていた。
それぞれが抱いた深く、拭いようのない嘆きに、いつか夜明けが来ると──。
アイリスの表情が硬いものになっていると気付いたのか、イリシオスはふっと笑みを浮かべてみせた。まるで、幼い孫を慈しむような瞳で。
「──幸せだったそうじゃ」
静かに一言を零してから、イリシオスは窓の外へと視線を向ける。
時代は変わっても、空は変わることはない。
それでも、変わり続けるものを彼女は確かに目にしてきたのだろう。たくさんの親しい人達の死を見送りながら。
「エイレーンも、クシフォスも、ミリシャも、ロアも……。皆が幸せな表情のまま、逝った。後悔など、一つもないと言わんばかりに」
イリシオスはそう言って苦笑しているが、アイリスにはどこか涙を堪えて無理矢理に笑っているように見えた。
「どうか、長生きしてくれ。取り巻く状況がそうはさせてくれないと分かっておる。それでも、わしは……お主達の幸福を願わずにはいられぬのじゃ」
イリシオスが見せた表情は母親とも言うべき、慈愛に満ちたものだった。
心の中からそう願っていると告げる言葉にアイリス達は声を返すことが出来ず、ただ真っすぐと見つめながら首を縦に振るしか出来なかった。




