ハーブティー
アイリスは改めて、初めて入ったイリシオスの部屋を不躾にならないように気を付けながら、軽く見渡してみた。
今、アイリス達がいる部屋はイリシオスが普段を過ごす場所なのだろう。部屋の端には恐らく寝室と浴室などの部屋に通じると思われる扉が二枚並んでいた。
……思っていたよりも、普通の家の中にいるような空気が流れているわ。
鼻を掠めるのは古い書物と微かな植物の匂い。思わず安堵の溜息が出るほどに落ち着ける場所となっている。
壁の色は決してくすんでおらず、定期的に掃除されているのか、汚れなどは一切付着していなかった。
足元に広がる絨毯も踏み固められているようだが、華美なものではなく、一般家庭のどこにでも敷いてありそうな絨毯である。
カーテンの色は臙脂色で、そこに華やかさはなく、どちらかと言えば大人が過ごす書斎のような落ち着いた空間となっていた。
魔女の部屋と言えば、薬草や魔具と言ったものが一面に並べられているのではと先入観を持っていたため、イリシオスの部屋が質素で趣深い空間だったとはかなり意外であった。
それでも、室内に置かれているソファと長い台、執務用の机と椅子、食器が入っている棚などは全て年代物の一級品だということは見ただけで分かった。
……わっ。あの戸棚の花模様の彫刻って、確か百年程前に活躍していた家具職人でもあり、優秀な魔法使いでもあったキャルベス・ロラータの作品!? 向こうの蔦模様の中に紫水晶が埋め込まれている執務机はラルベール・アントリオの晩年の作品だわ!
こう見えて、アイリスは美術品や工芸品などの意匠を見るのが好きだ。
また、魔具調査課に所属する際に、魔具を作った人が作品に宿す特徴とも言える部分を頭の中に叩き込んでいるため、一目見ただけで誰の作品なのか分かるようになっていた。
もはや価値ある美術品とも言うべき家具が並んでいる光景に口を開けそうになっていたが、その間にもイリシオスはてきぱきとお茶の準備を進めていた。
イリシオスの部屋には小さい調理台が作られており、そこでお湯を沸かしたり、簡単な料理を作ることが出来るらしい。
恐らく、この部屋には魔力が必要とされる魔具は置いてはいないのだろう。あったとしても、魔力無しである一般人が使える魔具だけが置いてあるに違いない。
ふわりと鼻を掠めたハーブティーの匂いにつられて、アイリスはお茶を淹れてくれているイリシオスの方へと視線を向き直した。
「いい香りですね」
クロイドがふっと表情を緩めながら告げると、カップにお茶を注いでいたイリシオスは穏やかな笑みを浮かべてから頷き直した。
「実はこのハーブティーにはとある薬草が調合されていてな。……ほれ、そこの窓の向こう側の露台に、植木鉢が置いてあるのが見えるかのぅ?」
「はい」
イリシオスの言葉が向けられる先に、アイリス達は自然と視線を移していた。
露台に広げるように置かれている植木鉢によって育てられている植物は様々で、その空間はまるで小さな庭園のようになっている。
緑の中に鮮やかな色が混じって見えたので、季節の花々も咲いているようだ。
「あの場所で薬草を育てておってな。このハーブティーに使っているハーブはわしが育てたものなんじゃよ」
「え……」
驚いた表情を浮かべるアイリス達を見て、イリシオスはにやりと笑ってから、ハーブティーを淹れたばかりのカップをそれぞれの目の前へと置いた。
「ありがとうございます」
「うむ。菓子もあるから、遠慮せずに食べるといい」
白い皿の上に置かれたのはクッキーだ。もしや、イリシオスが作ったのかと思って、ちらりと彼女の方に視線を向けるとその通りと言わんばかりにイリシオスは胸を張って頷き返した。
「ふぉっふぉっふぉ。わしがあまりにも姿を見せぬ故、団員達からは部屋に籠りっきりだと思われているが、こう見えて料理や薬草の調合は得意でな」
イリシオス曰く、料理の材料は普段、世話をしてくれる者がこの部屋まで運んで来てくれるらしく時折、自分で料理やお菓子を作っているのだという。
アイリスとクロイドは頂きます、と一言告げてからイリシオスが淹れてくれたハーブティーに口を付けた。
口に広がっていくのは爽やかな風味で、飲んだ瞬間、まるで森の木陰にいるような感覚に囚われる。
どうやら、ただのハーブティーではないようだ。喉の奥に流し込んだだけなのに、何故か身体の疲れが落とされていくような、すっきりとした気持ちになる。
「美味しいです」
アイリスがふっと零すように告げると、イリシオスは目を細めながら嬉しそうに笑みを浮かべ返した。
「口に合ったようで何よりじゃ。……ああ、懐かしいな。あやつらもこのお茶を好んでおったのぅ」
イリシオスの最後の一言はここには居ない誰かに向けられた呟きに聞こえた。懐かしむような表情で彼女は自らが淹れたハーブティーを口に含める。
千年近く生きていると言われているイリシオスの中には様々な人間との思い出や感情が詰まっているのだろう。
その中の一つを思い出させてくれるのが、このハーブティーなのかもしれない。
ならば自分もイリシオスと初めてお茶を飲んだ思い出として、このハーブティーの味をしっかりと覚えておこうと、アイリスはもう一口、お茶を口に含めていた。




