構う
それからもライカはアイリス達や魔具調査課の先輩達、魔物討伐課のイト達だけでなく、エリックからも魔法や魔力操作、体術を学んでいた。
エリックとの関係は良好で、まだ彼女の前ではローブを脱ぐことは出来ていないが、誰よりも彼女と一緒に魔法についての勉強をしているようだった。
「よーし、腹筋、終わり! それじゃあライカ。次は腕立て伏せだ。今から数を数えるぞー」
「無理しなくていいからね、疲れたらすぐ休むのよ」
そう言って、教団の屋上でライカを指導しているのはレイクとユアンだ。
今日は二人がライカに体力を付けようと鍛えていた。今の時期は夏場だが、今日は空が雲で覆われており、さらに風が吹いているので涼しいくらいだ。
「はい。宜しくお願いいたします」
今は不可視の結界がその場に張られているため、結界内にいる自分達は外からは姿が見えない状態になっている。
そのため、ライカはローブを脱いで、動きやすい軽装となっていた。
腕まくりをしたライカはレイクの指示に従うように、コンクリートの床に両手を付いてから、腕立て伏せを始める。
「はい、いーち。はい、にぃー……」
レイクは新しい後輩を直接、師事出来るのが嬉しいのか、先輩風を吹かせているようだ。
その隣で、ライカ用の飲み物を準備しているユアンも心配そうな表情でライカを見つめている。
「……今日は俺達の出番はなさそうだな」
「そうね……」
クロイドの囁きにアイリスはぼそりと呟き返す。
ライカの後ろ盾となっているのは魔具調査課だが、そこに属する先輩達は任務が入っていない時間を見つけるやいなや、ライカと接しようと必死である。
素直で真面目、そして学び、鍛えることに対して貪欲であるライカを先輩達は構いたくて仕方がないらしい。
それだけでなく、任務先で立ち寄った店でお土産を買って来てはライカに食べさせているのだ。
ライカも最初は先輩達の積極的な接触に驚いていたようだが、子どもだからか順応が早く、慣れているようだった。
今日も任務の合間に、アイリスとクロイドが教団の屋上でライカに師事しようとしていたところ、レイク達が今日は非番だからとやってきて、ライカの筋肉作りを手伝ってくれているのだ。
「はい、そこまで」
レイクはぱんっと手を叩いてから、腕立て伏せをしていたライカの動きを止める。
「うん、前に比べたら、腕立て伏せの数がこなせるようになってきたな。少しずつだが、腕に筋肉が付いて来ているようだ」
「本当ですか」
「もしかして、こっそりと自室で鍛錬しているのか?」
レイクが訊ねるとライカはどこか気恥ずかしそうにこくりと頷き返した。
「なるほどな。自分で鍛錬しているのはいいことだが、一定の数をこなすだけにしておけよ? 無理に鍛えても筋肉を痛める場合があるからな」
「はい」
すると、様子を窺っていたユアンがカップに飲み物を注いでから、ライカへと渡した。どうやら水筒に飲み物を入れてきていたらしい。
「はい、ライカ君。冷たいレモン水よ」
「ありがとうございます、ユアン先輩」
「ユアン、俺の分は……」
「あるわけないでしょう~。これはライカ君専用のレモン水だもの。飲みたければ、自分で魔法を使って作った水でも飲んでおけば?」
「このっ……」
いつも通りの二人のやりとりにも慣れたのか、ライカもレモン水を飲みながら、小さく笑みを零している。
すると、屋上の入り口となっている場所の扉が開き、新しい人影がやって来た。
「あ、ナシル先輩とミカ先輩」
二人の影に気付いたクロイドはすぐに不可視の結界を解いた。
「ああ、やっぱり、ここに居たんだね」
結界が解かれたことで、こちらの姿が見えるようになり、ナシルがにやりと笑みを漏らす。
「皆、お疲れさま。出先でアップルパイを買ってきたんだけれど、食べる人、挙手」
ミカが人数分のアップルパイが入っているであろう紙袋を上へと掲げながらやってくる。このように、先輩達は時間を見つけてはライカに構うのが日常となっていた。
「あれ、もしかしてもう任務が終わったんですか?」
ユアンがミカからアップルパイが入った紙袋を受け取りつつ、首を傾げるとナシル達は同時に首を縦に振り返した。
「うん、即行で終わらせてきた。あとは報告書を書くだけだから、その前に休憩しようと思ってな。でも、魔具調査課には誰もいなかったから、屋上だろうと思って来てみたんだ」
「あとで、セルディとロサリアも来ると思うよ。簡易式湯沸かし瓶と人数分のカップを用意して、屋上まで持ってくる気でいたから」
よくあんなに重たいものが持てるよね、とミカは遠い目をしながら言っている。
確かに魔具である簡易式湯沸かし瓶があれば、どこに居てもお茶が飲めるだろう。だが、人数分のカップまでわざわざ屋上まで持ってくるなんて、少しだけ重労働ではないだろうか。
「──何だか、お茶会みたいだな」
そう言って、次に屋上へと足を踏み入れてきたのは意外にもブレアだった。
「ブレアさん……」
まさかブレアまで屋上に来るとは思っていなかったので、アイリスは思わず驚きの声を上げてしまう。
「書類仕事が一息ついたから、私もお茶を飲もうと思ってね。だが、セルディに聞けば、全員が屋上に行っていると言うじゃないか」
彼女の言葉にその場に居る全員がお互いに苦笑し合いながら肩を竦める。ブレアも同様に笑っているだけだ。
「せっかくだから、私もこっちで皆と一緒に休憩を取ろうと思って来たんだ。……と、言うわけで席に入れてくれ」
席、と言ってもこの場所には椅子はなく、ブレアはコンクリートの床の上へと胡坐をかいて座った。
その周囲にそれぞれが腰を下ろし始めたため、アイリスとクロイドも同じようにその場に座ることにした。
そう言えば、各々で紅茶を淹れて飲むことはあるが、全員が揃ってお茶を飲むのは珍しいかもしれない。
そこへ全員分のカップと簡易式湯沸かし瓶を持って、セルディとロサリアが屋上へとやってくる。
「やあ、お揃いかな」
「……追加のお菓子、持って来た」
にこやかな笑顔を浮かべつつセルディは10人分のカップを揺らさないように気を付けながら持ってきている。
ロサリアは片手で簡易式湯沸かし瓶を持ちながら、もう片手にはクッキーが入っている大きな缶を抱いていた。
どうやら本格的にこの場所でお茶会が始まるようだ。
「ほら、ライカ。アップルパイだぞ。お前の分は多めに買ってきたから、たくさん食べてくれ」
「ライカ、クッキーもあるよ。凄く、美味しい。おすすめ」
「くっ……。先輩達にライカ君を取られる……! ライカ君、レモンの蜂蜜漬けがあるわよ! 運動の後にはこれが一番よ!」
何故か、女性陣がライカの隣に陣取り、お菓子を食べさせようと攻防戦を繰り広げている。
「いっぱい、食べないと大きくなれないからねぇ」
もぐもぐとすでにアップルパイを口にしているのはミカだ。
その隣で、レイクとブレアも呆れたような表情を浮かべながら、セルディが淹れた紅茶を飲んでいる。
「もう、無理矢理にライカに食べさせないで下さいっ! 栄養が偏ったらどうするんですか!」
そう言って怒るのはセルディだ。まるでライカの母のような叱り方である。
アイリスはちらりとライカへと視線を移す。
明るい声が飛び交う中、中心であるライカは、最初は戸惑っていたがどこかくすぐったそうな笑みを浮かべていた。
……ああ、本当に優しい先輩達だわ。
ライカが常に一人でいないように、そして暗い顔をしなくて済むように。彼らは共同戦線を張っているように、寄り添って見えた。
きっとライカが一人でも大丈夫だと確信出来たならば、今度はそっと離れて遠くから見守るのだろう。
それでも、しばらくの間は後輩でもあり、弟のような存在であるライカを先輩達は構いまくるに違いないと、アイリスはセルディに淹れてもらった紅茶を飲みつつ、笑みを隠していた。




