斬れないもの
アイリスの不敵な笑みに対して、ラザリーもつられるように笑った。やはり、彼女はこの戦いを心底楽しんでいるようだ。
ラザリーが右足を思いっきり床を蹴るように鳴らす。ばんっと響く音とともに描いた円から次々と浄化されきれていない霊体となった魔物達が這い出て来た。
魔物というものは、倒された後に必ず浄化の炎でその身体を燃やさなければならない。そうでなければ、その死体により瘴気が深くなり、新たな魔物を生み出すか、他の魔物を呼んでしまうからだ。
そして、浄化されるとともに魔物の魂は普通ならそこで消える存在なのだ。
だが、今ここにいる霊体の魔物達はちゃんと浄化されることなく、魂が地へと染み込み、ただ彷徨うだけの存在になってしまったのだろう。
……こんな状況になるなら、事前に霊的関係の本で色々と勉強しておけば良かったわ。
魔犬をいつか倒すためにこれまでは魔物や魔法に関することを中心に調べていたため、霊的関係はほとんど手を出していなかったのだ。
だが、ミレットのおかげで今の状態はアイリスが魔物と対峙している状況と同じだ。数が増えたところでどうと言うことはない。
それに今は背中を預けられる相棒も傍に居るためかなり心強い。
間合いを計っていた蛇型の魔物が一瞬の隙を狙って、アイリスに向けて飛びついてくる。
その攻撃をアイリスは疾風の靴を使い、床を思いっきり蹴り上げて、空中に身体を浮かせたまま綺麗に攻撃を避けていく。
そして、そのまま短剣を両手で持ち直し、蛇の脳天目掛けて力強く刺し込んだ。
アイリスの身体自体は魔物を透き通り、短剣だけが上から下まで蛇の身体を突き破っていく。低く呻くような声が魔物から漏れ出た。
……二度も死ななければならないなんて。
だが、情をかけることは出来ない。これらの類の魔物は放って置けば人を襲うからだ。
アイリスは今度は短剣を横に倒すように持ち、まるで魚を下ろすように一線を薙いで行く。
手応えはあったが、刃には魔物の血は全く付いていない。
振り返り、蛇の魔物を姿を改めて見た。その身体は斬られた部分から光を帯び始め、やがて小さな粒となって、宙に舞い上がっていく。
なるほど、これが「清浄なる牙」の力による浄化らしい。ただ単に魔法で鍛えられているだけではない霊剣のようだ。
ふと、視線をラザリーの方へ向けると、とても嫌そうに顔を歪めていた。それもそうだろう。自分の手駒があっけなく消されたのだから。
足元を見ると虫型の魔物がその姿で床を埋め尽くすように溢れ出ていた。
「うわっ……。気持ち悪っ」
さすがのアイリスも一歩、後ろへと下がる。小型は狙いが定めにくいので厄介だ。
しかも、この虫型は足が通常の虫よりも異様に多いため、正直に言って気が滅入る敵である。
しかし、ここで下がっていたは剣士の名折れだ。一度深呼吸して、短剣の刃先を下に向け、下から掬い上げるように薙いで行く。
小物だからか、刃先に触れただけでそれらの魔物は一瞬で消えていった。
消えていく姿は淡い粒子となって消えていくため、それなりに綺麗な光景だと思うが、元の姿を知っている方としては、単純に綺麗だとは思えなかった。
「……本当、嫌になっちゃうわ」
ラザリーが低く呟いた声とともに、上空に待機していた鳥の魔物がアイリス目掛けて急降下してきたのだ。
「わっ……」
それを前転しながら綺麗にかわし、短剣を構える。
鳥の魔物がふっと息を吐くと炎に似たものが口から漏れ出ていた。どうやら「炎を司るもの」という魔物の霊体のようだ。
「ちょっと、待ちなさいよ。ここは校舎の屋上よ? 下手に攻撃して壊れたらどうするのよ」
間合いを取りながら、呆れたようにアイリスは溜息を吐く。そうは言っても相手は魔物だ。聞く耳はないだろう。
それならば、早いところ倒してしまうに限る。
アイリスは靴を思い切り鳴らして、魔物よりも高く飛ぶ。
上空戦では、上を取った者の方が有利な事が多いがその分だけ動きも制限される。
だが、それを活かした動きをすればいいだけだ。
空中で短剣を両手で持つように真下に向けて握りしめる。そして、そのまま身体が下に落ちる感覚に逆らわずに魔物の頭に向かってぶっ刺した。
もちろん、霊体の魔物に直接的に受け止められるのは短剣だけであるため、アイリスの身体は宙に浮いている状態と変わらない。短剣を魔物に刺したまま、アイリスは先に床の上へと着地した。
魔物の絶叫が響いたと同時に身体の内側から輝きを放ち、先ほどの魔物と同じように光の粒となって空へと舞うように消えていく。
そして、刺す対象が消えた短剣だけが頭上から、アイリスが着地している場所へと落下してきた。アイリスはそれを見ることなく、片手で簡単に短剣の柄を掴み、鞘へと収め直す。
「――さて、あなたの手駒はもう全部消えちゃったけれど? 諦めて封魂器を渡してくれない?」
もう交戦する意味はないとアイリスはその場で掌を見せるが、ラザリーは不機嫌さを隠さないまま顔を顰めている。
「思っていたよりも、手際がいいのね。体力もありそうだし、これなら耐えられるかも」
だが、ラザリーはまたもや独り言を呟き、納得したように頷く。
「何? まだやろうって気なの? そっちがいくら霊体の魔物を出しても結局は同じことだって分からない?」
「そうね……。捕まえるのは難しそうだけれど、この際だから入れる練習としてやってみようかしら」
話が噛み合っていない上に何を言っているのかが分からない。
そして、ラザリーは先ほどから、アイリスを見ているようでその向こう側を見ているように思えた。
すっと、ラザリーが外套の下から迷いなく取り出したのは「封魂器」と思われる小さな壺だった。まさか、観念して渡すのかと思っていたが案の定、予想は外れていた。
両手で封魂器を持つと、その蓋を開けたのだ。
ラザリーの動作がやけにゆっくりに見えた。
「――彷徨える者、意を放つ者、今解きてここに姿を現さん」
その一つ一つの言葉さえ、歌のように聞こえる。それが呪文だと分からなければ、美しい旋律だと思い耳を傾けてしまうかもしれない。
だが、その歌声とは裏腹に壺の中から出てきたものにアイリスは唇を噛み締めた。
ひゅるり、ひゅるりと透明な服が舞うように、小さな壺から次々と出てきたのは悪霊となった幽霊達であった。
カインの証言通り、この壺の中に吸い込まれるように封印されていたのだろう。
姿は若者もいれば、老人もいる。年代層もばらばらだが一つ言えることは、皆が瞳の光を失っているように見える。
一人ひとりが元々は生きた人間だった人達のはずだが、今は何かを喚きただそこにいるだけの存在になっていた。
……厄介だわ。
アイリスは一瞬だけ腰に差した短剣に手を触れさせるが、すぐに下ろした。
「私は自分の声と歌だけで、霊を操れるって言ったわよね? 特に悪霊は自分の意思を手放しているようなものだから、とても扱いやすいの」
まるで便利な道具を使っていると言っているかのようにラザリーは笑顔で話す。そして、アイリスに向けて指の方向を示した。
「この中の一人でも、数人でも誰でもいいわ。あの子の中に『入りなさい』」
「っ!」
ラザリーの指示に従う犬のように、悪霊達は一斉にアイリスに向かって突撃してくる。瞬間的に靴を鳴らして、宙へと逃げるためにアイリスは高く跳んだ。
もちろん、彼らは霊体なので、浮くことが出来るのは分かっているが、空中に逃げるしかなかった。
それを追いかけてくる者もいれば、アイリスが逃げる先へとあらかじめ先回りして立ちふさがり、行く手を阻む者もいた。
「くっ……」
いつもなら、簡単に斬り伏せることが出来るが、今は出来なかった。
「――透き通る盾!」
アイリスの異変に気づいたクロイドがすぐさま魔法で見えない壁を築き、アイリスを襲おうとする悪霊から守るための盾を作ってくれる。
それを器用に蹴り上げて、アイリスは追っ手の悪霊達よりも速い速度で逃げ延び、再び床の上に着地した。
「あらあら、どうしたの? さっきみたいに斬ってみせればいいじゃない」
アイリスが何故、悪霊達を斬らないのか理由が分かっているらしく、ラザリーが意地悪そうな笑みを浮かべる。
自分だって、迷いなく斬ることが出来ればいいと思っている。
だが今、ここで迷うことこそが、自分の弱点の一つなのかもしれない。
……斬らなきゃ、いけない。
分かっているのに、そうしなければならないのに、アイリスはそこから動くことは出来なかった。




