会議終了
「……他に意見がある者がいないようならば、この会議はこれにて終了とする」
アレクシアの最後の言葉に反応する者はいないようだ。そのことを確認してから、アレクシアは黒杖を右手に携えて、椅子から立ち上がる。それに続くようにハロルドもゆっくりと立ち上がった。
黒杖司の二人が出て行くまで、室内のこの静けさは保たれたままになるのだろう。
アイリス達はアレクシア達が後ろを通っていくのを待っていた。だが、もう少しで通り抜けていくと思った瞬間、アレクシアから一つ、言葉が零される。
「……ご苦労だったな」
アイリスとその周辺にしか聞こえない声量でアレクシアは確かにそう呟いたのだ。振り返ることは出来ないまま、彼女が通り過ぎるのを待ち、そして会議室の扉が開け放たれていく。
こつり、こつりと黒杖が床を叩く音が少しずつ遠くなる。
やがて、黒杖司の二人が会議室から出て行ったのが確認出来るやいなや、その場には張り詰めていた空気の糸が断たれたように、一気に抜けた雰囲気へと変わっていった。
他の課長達はやっと会議が終わったと言わんばかりに席を立ち、出入り口の扉に向かって歩いていく。
その中にアドルファスやハリスもいたが、彼らは会議室から出る直前、こちらを射殺すような視線を向けて、鼻を鳴らしつつ出て行っていた。
彼らの思い通りにいかなかったことを根に持っているのだろう。
今後も余計な口出しをしてくることもあるかもしれないが、出来るだけ彼らとは鉢合わせしたくはないものだと、二人が出て行った扉を呆れたように眺めていた。
「……とりあえず、終わったようだな」
ブレアが深い溜息を吐きながら、椅子へともたれかかる。
「ブレアさん、お疲れ様です。……それと、ありがとうございました」
アイリスはブレアにお礼の意味を込めて頭を下げる。すると、彼女からは苦笑交じりの声が返って来た。
「何とか、思い通りに事を運べて良かったよ。……それにしても、アイリス。お前はこういう場での発言には慣れていないはずだが、さっきは随分とハリスの奴を言い負かしていたじゃないか。いやぁ、本当に痛快だった。はははっ……!」
そう言って、腕を組みつつブレアは爽快そうに黒い笑みを浮かべて笑っていた。
やはり、腹の底ではアドルファスやハリスに対して嫌悪感──いや、むしろ殺気に似たものを抱いていたのかもしれない。
「──何とか、まとまって良かったぜ」
そう言って、ブレアの隣に座っていたティグスが腕を天井に向けながら背伸びをして、立ち上がった。
「ふふっ……。でも、相変わらず、ハワード課長達とは仲が悪いのねぇ。まあ、喧嘩しているうちが元気で良いとも言うけれど、ほどほどにね?」
ミシェリーは優雅に椅子から立ち上がり、口元を右手で隠しながら小さく笑っている。
「……お二人とも、本当にありがとうございました。おかげで思い通りに事を進めることが出来ましたよ」
ブレアは立ち上がってから、ティグスとミシェリーへと深く頭を下げた。
「ははっ、大したことじゃない。賛成したのは俺の意思だ。……それでもあえて言うならば、俺もライカ・スウェンという少年に同情しているんだろうな」
ふっとティグスの瞳が細められ、どこか遠くを見るようなものへと変わった。だが、それも一瞬だけで、すぐに明るい表情へと戻る。
「また、何か困ったことがあれば遠慮なく頼れよ? ブレアには大きな貸しがいくつもあるからな、少しずつ返さねぇと利子が付いて返しきれなくなるぜ。がはっはっは!」
「別に貸したつもりはないんですけれどね。まあ、ありがたく頼らせて頂きますよ」
「うちの部下達にはちゃんとライカのことは説明しておくから。それじゃあ、俺は課に戻るぜ。何せ、クリキ・カールの記録書と手記をまだ読み終えていないからな」
「読み終わったら貸して下さいね」
「おうっ! よし、それじゃあ……イト、リアン! 帰るぞ!」
「はい。……リアン、今度は迷子にならないで下さいね。ほら、グラディウス課長に手を握ってもらってはいかがでしょうか」
「だから、手は握らないし、迷子にもならないから! ……アイリス、クロイド。またね! あとで、ライカにも会いに行くから」
イトとリアンがアイリス達へと手を軽く振ってきたので、二人へと手を振り返す。
ティグスの後ろに付いて行くようにイト達は会議室から出て行った。
「さて、私も修道課の皆に会議内容を報告しないと。……あ、魔力に慣れていない子が魔法を使えば、魔力酔いが起きることがあるから、その時は早めに医務室へ連れて来るのよ?」
「分かりました。お気遣い、ありがとうございます」
「では、またね」
ふんわりとした雰囲気を纏いながら、ミシェリーもその場から去っていく。
会議室から次々と出て行った課長達は自分の課へと戻るのだろう。
「私達も帰るか」
ブレアが身体の向きを会議室の出入り口の方へと向けようとした時だ。真後ろから、一つの声が投げかけられる。
「お疲れ様でした」
柔らかい声に、アイリス達三人は同時に振り返った。そこには記録紙を片手に持ったまま、にこやかな笑顔を浮かべているウェルクエントがいた。
「……お前の思惑通りに進んだようで、何よりだよ」
「ええ、本当に。……アイリスさんの演技も大変上手かったですね。女優さんみたいでしたよ」
「……それはどうも」
褒められているのか分からないが、とりあえず返事は返しておくことにした。
「これでライカ・スウェンの入団は無事に受理されました。あとで、彼の寮の部屋を手配しておきますね」
「ああ、そこまでやってくれるのか」
「ええ。……そういえば、クロイドさんのお部屋の隣が空いていますよね」
「どうしてそれを……」
ウェルクエントが言っていることは本当なのか、クロイドが引き気味に反応する。
「これでも団員の誰が、どこの部屋に住んでいるのか全て覚えているんです。……お隣が空いているならば、そこをライカ・スウェンの部屋にしましょう」
「分かった。……それで、お前はこれからライカの元へと訪ねてくるつもりなのか?」
ブレアが腕を組みつつ訊ねるとウェルクエントは小さく首を横に振った。
「いいえ。今日は彼も疲れていると思うので、ゆっくりと休ませてあげて下さい。……僕が後日、魔具調査課へと直接お伺いしましょう」
「伝えておこう。だが、ライカがお前のことを拒否したならば、無理矢理に近づこうとしないでくれ。……いいな?」
「心得ておきましょう。……それでは皆さん、今日はお疲れ様でした」
丁寧な物腰で、ウェルクエントは軽く頭を下げてから会議室を出て行った。
その場にアイリスとクロイド、ブレアだけが取り残される。
「はぁー……。やっと終わった」
「……ブレアさんが課長会議の後、やけに疲れて戻ってくる理由が分かりました」
クロイドもどこか疲れ切った表情で溜息を吐いている。
「そうだろう? あの嫌味が毎回、飛んでくるんだぞ。奴らの精神は一体、どうなっているんだって疑いたくなるさ」
「むしろ、嫌味を言うことで快感を得る人間もいるので、その類の人間なのかもしれませんね」
アイリスが遠い目をしながらそう言うと、ブレアは嫌だと言わんばかりに顔を顰めていた。
「……それじゃあ、魔具調査課に帰るか」
「はい」
時間としては一時間くらいしか経っていないはずなのに、数時間以上経ったような感覚がまだ身体には残っている。
身体を動かした時とは別の妙な疲れ方だが、心地が良いわけではなかった。
……とりあえず、ここからやっと始まるのだから、しっかりしなきゃ。
ライカは無事に入団することが出来る。
後見人も後ろ盾も決まった。
あとは、ライカが宿している魔力を彼自身が制御出来るように自分達が手ほどきをする番だ。
アイリスは短い息を吐き出しつつ、会議室の出入り口に向かって歩き始めたブレアの後ろを付いて行った。




