決定
「……相反魔法を作るならば、今から取り掛かれば良いものを。そう簡単に作れるものでも、必ず魔法が成功するものでもないというのに……」
課長の誰かが呆れ気味に呟いた言葉に対して、ウェルクエントはすぐに反応する。
「仰る通り、備えておくに越したことはないでしょう。ですが、備えすぎは禁物ですよ。余計な力を持てば持つほど、それを取り囲む思惑や感情、考えは複雑になっていきますからね。そして、新しい力を望む他者から狙われる頻度も高くなるでしょう」
魔法使いの世界において、魔法は知と技術の結晶だ。そして、その結晶となるものは日々、誰かの研究や努力によって進化していっている。
つまり、新しい魔法が生み出されたならば、その知識を得ようと狙う者が増えるということをウェルクエントは言いたいのだろう。
……今はまだ、教団に来たばかりのライカが穏やかに過ごせるように、彼なりに気遣っているのかしら。
気遣いという言葉が似合わない程に、人や物事に対して合理的な考えを持っていそうなウェルクエントだが、自分達が察することが出来ないだけで、彼も心の中で色々と思うところはあるのかもしれない。
「私としましては出来るならば、相反魔法を作るような事態は避けたいと思っています。もしかすると作る機会など、一生来ないかもしれない。それならば今、作る必要はありませんからね」
でも、とウェルクエントは言葉を続ける。
「最初からライカ・スウェンがその身を使って相反魔法を作り、その魔法を受けたいと望むのであれば、話は別となってきますが」
細く、早く呟かれた言葉はどれほどの課長の耳に入っていただろうか。
少なくとも、ブレアの耳には入っていたようで、彼女は難しいことを考えているようなそんな溜息を一つ吐いていた。
「さて、話を整えましょうか。……議長、私が話をまとめても宜しいでしょうか?」
ぱんっとウェルクエントは手を叩いてから、アレクシアの方へと視線を向ける。
アレクシアはこのような場合に手慣れているらしく、すぐに頷き返していた。
「まず、ライカ・スウェンが特例で教団に入団することに賛成である者は挙手を」
ウェルクエントの声に、ライカが入団することに賛成の意思を持っている者達が次々と手を挙げる。ざっと見たところ、三分の二以上の課長達が賛成の意思を示してくれているようだ。
そして、アイリスは逆に手を挙げていない者達を見渡した。数人程、手を挙げていない者がいたが、その中にはアドルファスとハリスも含まれていた。
二人は自分達と同じ考えを持っている者が少ないとすぐに察したようで、苦々しいもの見るような瞳をウェルクエントへと向けていた。
だが、ウェルクエントは涼やかにその視線を受け流し、万年筆を握った右手で挙手をした人数を何か記録紙のようなものに書き込んでいた。
書記でもある彼は、この会議で話し合ったことを全て、目に見える記録として残さなければならないのだろう。
「次に魔具調査課課長、ブレア・ラミナ・スティアートがライカ・スウェンの後見人となり、魔具調査課と黒筆司であるこの私が後ろ盾となることに異議がない方は挙手を」
すっと上がっていく手は先程と変わらない数で、その数を数えてから、ウェルクエントはふっと顔をアレクシアの方へと向けた。
「議長」
「うむ。……色々と腹の底では己の考えを持っている者もいるだろうが、このように目に見えた結果が出ている」
アレクシアは視線を端から端まで見渡して、そして告げた。
「この場を以て、特例によりライカ・スウェンの教団への入団を受理する。また、後見人はブレア・ラミナ・スティアート。そして後ろ盾の一人であるウェルクエント・リブロ・ラクーザによって、ライカ・スウェンが持っている情報は他者の手に渡らぬように封印の魔法を施すことにする」
宣言とも言うべき決定は、そう簡単には覆せないものとなったのだ。
「なお、この件に関することを記載した正式な書面を各課へと送るので、ライカ・スウェンが特例により入団したことを団員達に通達するように」
アレクシアの宣言のような言葉に対して、気鬱そうな表情を浮かべる課長もいたが、恐らく各課に書面が通達されなくても、教団のあらゆる場所には重要事項を記しておくための掲示板があるので、そこに書面が張り出されることになるのだろう。
「……では最後に、オスクリダ島の件にブリティオン王国の組織、『永遠の黄昏』が関与しているのかについて話し合いたいと思う」
次なる議題へと移ると、課長達の中には表情を顰める者もいれば、恨みがましいものを見ているような表情をする者もいた。
アレクシアはふっと、アイリス達の方へと視線の向きを変えた。
「……そこの四人に訊ねる。セプス・アヴァールは『永遠の黄昏』が彼の研究を後援しているのではなく、ブリティオンのローレンス家が背後にいる、と言った発言をしたんだったな?」
確認するような問いかけにアイリス達は同時に頷き返した。
「ですが、セプスの言葉に絶対的な信用性があるとは思えません」
島人達を騙して、己の好き勝手にしてきたセプスの卑下するような表情が脳裏に一瞬だけ浮かんだが、それもすぐさまぼやけていく。
「セプスの実験に何故、ブリティオンのローレンス家が手を貸していたのか、そして実験において魔物へと堕ちた者達を回収し、彼らを使って何を起こそうとしているのか……。ローレンス家が主体となってやっているのか、それとも『永遠の黄昏』が企んでいることの一部なのか──。何も、分からないままなのです」
アイリスは訴えるように言葉を吐きつつも、両拳に再び力を込める。
自分達は何も知らないままだ。分からないまま、何かが来る日に備えて、進むしかないのだ。
それでも、その「何かが来る日」がこちら側にとって「最悪」と呼べる日ではないようにと祈ることしか出来ないのかもしれない。
章タイトルを「昏き慟哭編」から「知湖の取引編」に変更致しました。
「昏き慟哭編」の章タイトルは次章に続きます。ご了承のほど、どうぞよろしくお願いいたします。




