怒りの拳
「では、遠慮なく発言させて頂きます」
にこりとハリスは笑みを浮かべるが、その笑みはまるで蛇が獲物を定めたような薄ら笑いにも見えた。
「そこの四人がオスクリダ島から連れて来た少年は歳が十二歳の元魔力無しの子どもだと聞きました。つまり、こちら側の世界を何も知らない人間ということですよね?」
笑みを浮かべつつも、ハリスの目の奥は笑っていない。一体、何が彼にとって気に食わないことだったのだろうかとアイリスは見定めるために様子を窺うことにした。
「まず、教団に入団することが許される年齢は満十五歳からだと定められています。しかし、ライカ・スウェンという少年はその年齢にさえ達していない。そして、入団する者は試験を受けなければならないが、魔法の知識も持っていない。──おっと、中には試験を受けずに特別に入団した者もいるみたいですけれどねぇ」
「……」
最後の一文は恐らく、直接的にクロイドに向けられたものなのだろう。
課長の中にはクロイドの正体までは知らなくても、彼が試験を受けずに入団したことを知っている者はそれなりにいるらしい。
ハリスに嫌味を降りかけられてもクロイドは表情を変えることなく、真っすぐと前を向いていた。
「ただ魔力を違法な方法で宿しただけの無知なる少年をこの教団に入団させても、上手いこと生きていけるとは到底思えませんけれどね」
「だからこそ、私がライカ・スウェンの後見人になるつもりだ」
ハリスの言葉に対抗するようにすぐさま言葉を発したのはブレアだった。彼女は姿勢を正したまま、更に言葉を続ける。
「特例で入団するためには後見人が必要だ。その後見人を私が引き受ける。……また、ライカ・スウェンが入団し、所属する課は魔具調査課だ。そのため、魔具調査課が彼の後ろ盾となることを宣言しておこう」
「ほう、またスティアート課長が後見人になられると? あなた、確かそこにいるアイリス・ローレンスとクロイド・ソルモンドの後見人にもなっていましたよね?」
「そうだが、何か文句でも? ……ちなみにライカ・スウェン本人にはすでに了承は得ている。何も問題はない」
ハリスがどのような人間なのか、ブレアは理解しているようで、彼女は遠慮なく使える手札を切っているように見えた。
「ふっ……。あなたは面倒事を引き受けるのが趣味なのかな」
「私は彼らのことを面倒だと思ったことは一度もない。全て、自分の意思で彼らの後見人になることを選んだだけだ」
「……そう言って、本当はライカ・スウェンが持っている『魔力を宿す方法』について、他者に知られないように囲いたいだけなのでは?」
楽しげな様子でハリスははっきりとそう言い切った。
やはり、ウェルクエントのように、魔力を魔力無しへと宿す方法をその身に刻むように宿しているライカのことを貴重な情報源として見ている者もいるのだろう。
他の課長からもハリスの言葉に同意している者もいるのか、どこか羨むような瞳を向ける者もいれば、嫌悪する視線を注いでくる課長もいた。
魔力無しが魔力を宿すということについて、それぞれの考えを持っているらしい。
それでも、我らが課長であるブレアが言葉や視線で揺れ動くことはなかった。
「私はそのようなことに興味はない。もし仮に、魔力無しが魔力を宿す方法を手に入れることが出来たとしても、使う機会などないからな」
拒絶の言葉をはっきりとブレアは告げるがそれでもハリスは食い下がってくる。
「だが、ライカ・スウェンが持つ情報は我々にとってはあまりにも未知なるものです。それは有益でもあり、そして──危険性を孕んでいる」
「……何が言いたい」
「彼の存在と、そしてセプス・アヴァールが手掛けていた研究はこれまでの世界を大きく揺るがすものです。つまり、我々が身を置く世界と魔力無しが住まう両者の世界において、混沌を招きかねないでしょう」
ハリスはまるでこの場に居る全員に語り掛けるようにそう告げてから、一度目を伏せた。
「私としては、セプス・アヴァールの研究結果を記した記録書を全て廃棄するべきだと思っています。でなければ、この世の秩序が乱されかねませんからね」
「……教団で厳重に保管するのではなく、過度な保守に走るということか」
「ええ。……そして、ライカ・スウェンも同様に、危険な存在になりえますからね。教団は彼を守るよりも、その身に宿っている情報が他者に渡らないように対処した方がいいのではないでしょうか。……でなければ、彼一人が生きているだけで、教団の存在が揺らぐことだってあり得ますよ」
「っ……」
ハリスからその言葉が発せられた瞬間、アイリスの身体は一瞬にして熱いものへと変わっていく。
──ダンッ。
その場に響いた鈍い音に、会議に参加している全員が振り返った。
「──それは」
静寂を作るために、机の上に置かれたのはアイリスの右手の拳だった。堪え切れなくなった感情を全てその拳ひとつに込めていた。
沸き上がったのは怒り。
ハリス・エルベートが放った言葉に含まれたものに対する確かな憤りだった。
「それは、彼に……ライカ・スウェンに生きるな、と仰っているのでしょうか」
机を殴った拳からは鈍い痛みがじわりと生まれてくる。だが、その痛みを無視したまま、アイリスは怒気を含んだ瞳でハリスを睨んだ。
小娘から怒りを向けられるとは思っていなかったのか、ハリスは少しだけ仰け反っているようだ。どうやら、先程の発言内容からアイリスが「怒る原因」を理解出来ないでいるのだろう。
「エルベート課長。今の発言は、ライカ・スウェンの存在が教団だけでなく、この世界の秩序において危険となりえるため、彼を……この世から抹消せよ、と聞こえたのですが、聞き間違いでしょうか」
地の奥底から這い上がってくるような声色は自分のものだと分かっている。怒りを安易に表すことは相手の掌の上で転がされる要因の一つになりえることだって承知済みだ。
それでも、ハリスがライカの存在を危惧し、生きることを無理矢理に奪おうとする発言をどうしても許すことが出来なかったのだ。




