選び取ったこと
「この手で、殺しました」
自分の声以外は、音一つ聞こえない。いや、この静寂さを作っているのは自分なのだろう。
ただ、重いものが身体中に圧し掛かってきていた。
「魔物と化した人間を元に戻す方法は存じ上げていません。島の人達は魔法によって、姿が変化したわけではないため、もちろん解呪の魔法は効くことはなかったでしょう」
手に残っている感触をアイリス以外の三人も知っているはずだ。
目の前で見た真っ赤な光景と、鼻の奥底に残る鋭い匂い。
叩き斬る瞬間の叫び声と、自分を真っすぐに狙ってくる獣の瞳。
全てを脳裏に刻んだまま、自分ははっきりと覚えている。
「数えきれない魔物達は私達を敵として認識し、その牙を向けてきました。恐らく、人間だった頃の意識はすでに保たれていなかったのでしょう。その場にいた私達はどのように対処するかを迷いました」
冷静に、慎重に、言葉を選びつつも、アイリスは自分自身の心臓を抉るように話を続けていた。
「魔物は通常の魔物と同じように、聖なる炎によって浄化されていました。……彼らは人間でしたが、その身は完全に魔物となっていたんです」
告げることを辛いと思わないわけがない。それでもそれが真実だ。
人間が魔物になった。そして、それらをこの手で全て殺した。──これが、真実だ。
「人間が、魔物になったものを……討伐しました」
いつのまにか、握りしめていた拳に爪を立てるようにアイリスはわざと痛みを作った。
どの選択が正しかったのかは分からない。それでも、自分が──自分達が血の匂いが漂うあの場で選んだ選択はたった一つだ。そして、それこそが紛れもない事実だ。
誰しもが無言を貫くように黙っていた。もしくは、言葉を失っていたのかもしれない。
この場にいる者達の中には魔物を多く討伐してきた者はいても、「人間」だった魔物を討伐した者はそれほどいないだろう。
それゆえに、アイリス達が心では望んでいない選択を選んだことに対する責任について、どのように言葉を発すればいいのか分からないのだ。
黒杖司も、黒筆司も、誰もが無言を続けている中、一つだけ嘲笑するような声がその場に響き渡った。
「何だ、ただの人殺しじゃないか」
それはアイリスにとって、とどめとも言うべき言葉だった。
どくん、と心臓が大きく跳ね上がる。アイリスに矢のごとき言葉を発したのは、黒い笑みを浮かべているアドルファスだった。
「……アドルファス・ハワード。言葉を慎みなさい」
すぐにアレクシアが注意をしたが、アドルファスは鼻で笑うだけだ。
「いえ、そういうわけにはいきません。……皆さんもお分かりでしょう? 目の前に居る四人は人を殺した犯罪者ですよ。これが黙っておけますか」
「……」
まるでアドルファス自身が被害者だと言わんばかりに困ったような表情を浮かべながら、彼は肩を盛大に竦めていた。
気付けば、目の前の席に座っているブレアとティグスからは冷たい空気が流れ始めてきていた。
こちらからでは表情を窺うことは出来ないが、恐らくかなり冷めた瞳でアドルファスを見据えているに違いない。
彼らにとって自分達は部下だ。その部下達のことをアドルファスは人殺しだと言い放ったため、そのことについて怒りを燃やしているのだろう。
「いくら魔物になった人間を元の姿に戻す方法がないからと言って、全員を殺す必要はあったか? せめて、数人だけでも生かして……いや、生け捕りにしておけば、お前達の状況ももう少し変わっていたかもしれないな」
「……それはどういう意味でしょうか」
それまで黙っていたクロイドがアドルファスを睨むように見つめながら、低い声で訊ねた。
「教団にとって利益になりえる情報源をお前達はみすみす殺したと言うことだ」
「っ……!」
「アドルファス、口が過ぎるぞ!」
他の課の課長からも非難するような声がすぐさま上がったが、アドルファスは聴く耳を持っていないようだ。
視界の端に映る黒杖司のアレクシアは顔を顰めており、同じ役職のハロルドは呆れたような溜息を吐いている。
「ふんっ、そういうお前達こそ、本当は心の中で思っているんじゃないのか? ……魔力の無い人間に魔力を宿す──それがどれほど有益で、恐ろしいことなのかを」
「っ、それは……」
アドルファスの言葉に一理あると思っているのか、声を上げていた課長の一人は舌打ちをしながら視線を逸らした。
「それにその者達は状況を自分達で勝手に判断して、魔物化した人間達を殺したんだぞ。……彼らがそれまで人間だったと知っていた上で」
「それならば、お前がその場に居た場合、どのように対処するつもりなんだ、アドルファス?」
地の底から這い出るような声色で訊ね返したのは魔物討伐課のティグスだ。
怒りの感情は心の内側に収めているようだが、それでも彼の内面を知っている人間ならば、ティグスが今、怒りに満ちていることが読み取れるだろう。
「無論、全ての魔物に眠りの魔法をかけて、一時的に結界内に捕らえておくさ。そして、状況が好転するのを待つ。自分の命が危ないからと言って見境なく、その場を血の海にする趣味はないからな」
その言葉はアイリスに向けられたものだったのだろうか。心臓を鷲掴みしてくるような言葉に、アイリスは呼吸が上手く出来なくなってしまいそうだった。
「──うーん、でもその方法が絶対的に上手くいくなんて保障はないですよね? 魔法を持続させるには相当な魔力と体力、精神力が必要となりますから」
そこに場違いなほどに、快活な声が響き渡った。アイリスが視線を動かすと、リアンが首を不思議そうに傾げつつ、アドルファスに対して言葉を発する。
「あの場で結界の魔法を上手く使用出来たのはクロイドだけでした。俺もイトもあまり細かい魔法が得意な方ではありませんからね。眠りの魔法なんて、もってのほかです。それ故に、クロイド一人に負担をかけ続けるわけにはいきませんでした」
リアンにしては珍しく、敬語による発言だが、彼も真剣な状況の場合に身を置く際には真面目になるらしい。
……普段が天然で真っすぐな性格をしているから、余計に真面目に見えるわね。
リアンの隣に立っているイトは彼が的外れなことを言わないか、どこか気を揉んでいるような表情で見守っている。
「魔物と化した島の人達と対峙しましたが、全てが魔物そのものでした。言語も通用しませんし、人間としての意識は完全に失われていました。攻撃性としては普段、俺達が相手にしている魔物よりも少し強かったように思えましたね」
つまり、とリアンは言葉を続ける。
「俺達は自分達が生き残るためには、選び取らなければならなかったんです。……斬り捨ててでも、生き残るために。そして、守るために。結果を全て背負うための覚悟をその場で決めなければならなかったんです」
リアンの言葉は深い含みがないほどに真っすぐだ。彼の言葉からは悲観となるものも後悔と感じられるものも読み取れない。ただ、真っすぐに前だけを向いている言葉だった。




