死霊使い
給水塔からアイリス達は姿を隠したまま、まだこちらに気付いていないラザリーの動向を窺った。彼女は静かに歌を歌っているように見える。
だが、ただ歌うだけなら、通常は立ち入りが制限されている屋上へとわざわざ来る必要はないし、しかも今は夜だ。
普通の生徒ならば、とっくに帰宅しなければいけない時間となっている。
「っ……。カインさん!?」
ミレットが小声だが驚いたような声を突然上げたため、急いで振り向くとハルージャの結界の中で頭を抱えて震えるカインがいた。
「どうしましたか!?」
「……だ」
「え?」
「あの、声だ……。間違いない。あの声で、皆……ああ……!」
自身に起きたことを思い出しているのか、カインは身体を大きく震わせながら、その先の言葉を飲み込んでいた。よほど、恐怖に感じることがその身に起きたのだろう。
「カインさん、間違いないんですね? 今、そこで歌っている彼女の声によって、他の霊達が悪霊になったんですわね?」
カインの隣に控えているハルージャが珍しく険しい表情で訊ねると彼は何度も強く頷いて、ハルージャの言葉を肯定した。
「……スティルに情報を流したのに、何故ラザリー・アゲイルが来るんだ」
顔を顰めたクロイドの言葉にアイリスも同意するように頷き返す。
「確かにおかしいわね。……裏で繋がっているのかしら」
「そうかもしれないけど、彼らに共通点があるなんて想定外だったわ……」
こちらの話を聞いていたミレットが手帳を素早く捲りながら答える。ラザリーとスティルの共通点を探そうと「千里眼」を使って調べ直しているのだろう。
「……この件はもう一度、最初から見直した方がいいかもしれないな」
「ええ。でも、その前にやる事があるわ」
アイリスは立ち上がり、屋上の入口に立っているラザリーを見据える。
「ハルージャ、カインさんを頼んだわよ。クロイド、いざとなったら、援護をお願いね」
「任せろ」
アイリスは腰に下げている純白の飛剣を鞘から抜くと、給水塔から飛び降りて、軽やかな音を立てつつ着地した。
「――あら」
ふと歌が止み、数十メートル先のラザリーが嬉しそうな声で笑う。こちらの姿に気付いたのか、ラザリーは夜が似合うような笑みを浮かべた。
「また会えて嬉しいわ。アイリス・ローレンスさん」
黒い外套を纏ったラザリーは口元に手を当てて艶やかな笑みを浮かべるが、まるで夜の世界へと誘っているように思えてしまう。
「こんばんは。このような場所に何のご用ですか、ラザリーさん?」
「それ、本物の剣? まぁ、怖い。……今は別にあなたに用はないのよ。ただ、零れ忘れを回収しに来ただけですもの」
「……」
零れ忘れ、と彼女は何気なく言っただろうが、アイリスにとっては不快な言葉に感じられたため、思わず顔を顰め返した。
「そこにいるのでしょう? 何度も呼んでいるのに、来てくれないんだもの」
恐らく、カインのことを暗に告げているのだとは分かっていたが、アイリスは肯定するための首を振らなかった。
ラザリーの言葉に対して、アイリスの脳内にふと思い浮かんだのは一つの魔法だった。
「死霊使い……」
アイリスの呟きを肯定するかのようにラザリーは口元を緩める。
死霊使いと言っても様々だ。
死霊を呼び出して、占いをするものや、死体に別人の魂を入れる術、死体を自由に操る術などがあり、ひとくくりに出来ない数の術が存在している。
死霊を扱う魔法は禁忌とされているわけではないが、その魔法自体が人の魂を操るため、難しい魔法として知られていた。
教団でもこの魔法を扱う者は祓魔課の一部の人間だけのはずだ。それをラザリーは教団に属していないにも関わらず、簡単にやってのけたというのか。
「私はね、声と歌で操る事が出来るのよ。どんな魔法も、霊もね」
だけど、と彼女は言葉を切って拳を握る。
「初めてだわ。私の声が効かなかったんですもの」
本当に惜しいと言わんばかりにラザリーは溜息を吐きつつ、左手で自身の頬をそっと添える。その表情は自分の望みが叶わなかったのが残念だと告げているように見えた。
「……そう。でも、どうしてそれほどまでに一人の霊にこだわる必要があるの? 教団だって、暇じゃないのよ。それを課を使って捜索させるなんて、あなた一体何者なの?」
「私? ふふっ。それは秘密よ。言ったら、面白くないじゃない。それに本当は私、こんなまどろっこしい事、苦手なのよね。たかが何でもないような霊一人に時間をかけ過ぎなのよ。もっと、名のある霊とかだったら気合も入るんだけれど」
追っ手であるラザリーによって苦しめられていたカインの事を何でもないような霊と、彼女ははっきりとそう言った。
「ふざけないで……。人の魂を弄ぶなんて……!」
ふつりと湧き上がる怒りに身を任せるように、アイリスは右手の剣を強く握り締める。
ラザリーは、ただ楽しんでいるのだ。
霊を操ることを。
「あなたが霊を使って何をしようとしているのかは分からないけれど、でもきっと、それは私には納得出来ないことだわ」
霊は死んだ人の姿の一つだ。今、生きている人間と魂の姿が違うだけで、同じの人間なのだ。
それを彼女は自分の勝手にしたいだけなのではないだろうか。
「ラザリー・アゲイル。今から、あなたに『奇跡狩り』を行います。あなたが持つ『封魂器』をこちらに渡してくれれば、怪我をすることはないと保証するわ」
「ふふっ。それじゃあ、渡さないと言ったら?」
きっと、答えは一つなのだとアイリスは分かっていた。
こうなることも。
「その時は強行手段で、封魂器を頂くわ」
剣を目の前に掲げて、アイリスは真っ直ぐとラザリーを見据える。脅しでも何でもない本気の表情でアイリスが告げているにも関わらず、ラザリーは余裕の笑みを浮かべたままだ。
「あらあら。……でも、残念だわ。これがないと困るのはあなたの方なのよ、アイリス・ローレンス」
ラザリーは我儘を言っている子どもを咎めるような瞳でアイリスを眺めつつ、封魂器が入っているのか外套の上からぽんぽんと軽く自身の身体を叩いていた。
「……何ですって?」
「あ、これも秘密なのに。私ってば、うっかりしていたわ」
ラザリーはわざと残念がるように肩をすくめて、今度は不気味な笑みを浮かべ始める。だが、彼女がどのような笑みを浮かべても、アイリスにはそれが美しいとは思えなかった。
「でも、これはこれでいいのかもしれないわ。あなたを手に入れられる良い機会だもの」
「だから、何を……」
先程から、ラザリーが言っている言葉の意味が全く分からない。
何を隠しているのか、何をしようとしているのか、そして「自分」が何故関わってくるのか。
「そういえば、あなたは元魔物討伐課だったわよね? それなら、これは……丁度良い相手になるかしら?」
ラザリーはスカートのポケットから小瓶を取り出して、栓を抜き、中に入っている液体をその場に垂らして円を大きく描く。
「……来たれ、来たれ、来たれ。我こそは、その魂を握るもの。我が名のもとに、その姿を示せ」
歌うようにラザリーが呪文を唱える。
そして、空となった小瓶を描いた円の中心へと放り投げた。ぱりん、と乾いた音とともにアイリスの足元が少しずつ振動しはじめる。
「何をっ……」
「初めてかしら? ……魔物の魂を操る方法があるのよ? 肉体を燃やしても、魂まで消滅しない奴もいるの。だから、そういうものは、こんな風に呼び出すことが出来るのよ。――死霊としてね」
ラザリーの足元から這いずる様に姿を現したのは大型の鳥の形をした魔物だった。
直接、戦ったことはないが魔物の図鑑や資料などで見たことがある。
確か色々な種類を持つ魔物で、火を吐くものもいたはずだ。そんな魔物が校舎の屋上で暴れたら半壊どころではないだろう。
だが、ラザリーはそのような事、お構いなしに右手を水平に下ろす。
「ちょっと、荒っぽいけど、仕方ないわね。……あの子を捕まえて」
静かにそう告げるラザリーの表情は魔物の霊体越しに、歪んで見えていた。