慣れない感情
様々な視線を受けながらもアイリスは声が会議室全体に響くように意識しながら話し始めた。
「まず、セプス・アヴァールという人間について話したいと思います。彼は……魔力無しで、そしてクリキ・カールさんの後任の医師と自称していました。つまり、教団の関係者ではなかったのです。それでもセプスは島の人達から特に不審がられることなく、彼らから得られる信用を一年で築いていました」
本来ならば、クリキ・カールがオスクリダ島に駐在していたはずだ。
その確認をしていたのはイトで、現状を疑問に思った彼女の発言がなかったならば、セプス・アヴァールを疑う要素は更に減っていたかもしれない。
「しかし、オスクリダ島ではセプス・アヴァールによって、とある実験が秘密裏に行われていました。……魔物の血と魔力を用いて、魔力を体内に宿すための薬を精製し、そして島の人達に栄養剤と偽って、投与していたのです」
ざわりと課長達の中から、どよめきのようなものが生まれて行く。この話を知っているのはまだ、一部の人間だけなので知らなくても当然だろう。
もしかすると、アイリスが話している話自体を疑っている者もいるかもしれない。
魔力無しが魔力を宿すことは、それまで有り得ないこととして認識されていたからだ。それでもアイリスは話をそのまま続けた。
「彼は作り上げた薬を最初に……クリキ・カールさんとその家族に投与したと証言していました。……その薬の効果により、彼らは……正気を失くした魔物へと姿を変えたと聞いています」
「なっ……」
小さな叫びのような声がどこかから漏れたが、すぐに静まった。アイリスの話の続きを待っているのか、その場に居る者は静かな瞳でこちらを見ている。
「そして、クリキ・カールさんとその家族はそのまま亡くなったそうです。……それにより、セプスは後任を装い、オスクリダ島の医者として収まったのです」
冷静に言葉を綴っていても、腹の中では熱い感情が零れてしまいそうだった。それを抑えつつ、更に言葉を続けて行く。
「この時すでに、セプスはブリティオンのローレンス家と繋がりを持っていたようでした。ローレンス家の人間から後方支援を受けつつ、表向きには島の人達の信用を得るための善良な医師として振舞っていたのです」
するとそこで、情報課の課長であるフェルスト・ラドニールが挙手をした。アレクシアに発言の許可を求めているようだ。
「発言を許可する、フェルスト・ラドニール」
「ありがとうございます。……今の話の中に、ブリティオンのローレンス家の名が出てきていましたが何故、彼らがセプス・アヴァールという魔力無しの手助けをしていたのでしょうか。我々、教団の人間よりもブリティオンの組織『永遠の黄昏』に属している人間の方が、魔力無しに対する侮蔑は酷いと聞いていますが」
四十代半ばのフェルストは首を小さく傾げながらアイリスへと訊ねて来る。アイリスの方が年下であるというのに、彼の言葉遣いは丁寧だった。
「私達もどのようなやり取りがあって、セプスとブリティオンのローレンス家が手を組むようなことがあったのかは分かりません。ですが、ローレンス家はセプスが実験の過程で……失敗したものを引き取ることで、お互いの利益を一致させていたようです。……ただ、彼らの関係が保たれていた理由はそれが全てではないと思いますが」
恐らく、アイリス達が知らない理由がセプスとブリティオンのローレンス家の間に交わされていたのだろう。
彼を生きたままここへと連れて来ることが出来たならば、それを問うことが出来たかもしれないが、今となっては何もかもが遅すぎる話だ。
フェルストはアイリスの答えに満足したのか一度、了承の意味を込めて、首を縦に振ってくれた。
「セプスの実験は己の体内に魔力を宿したいが故の高慢なものでした。……その欲望のために、島の人達を実験台にして、薬の経過状況や魔力反応などを記録として書き留めていたようです。彼が実際に書いた実験に関する記録書を読みましたが、約一年前からこの実験は密かに行われていました」
静かに声を張っていても、気が抜けた瞬間に震えてしまいそうになる。それでも言葉を続けるしかなかった。
「島内のとある場所に幻覚や幻聴といった作用を起こす植物が群生しており、その植物を一度体内に入れると再び摂取したいという激しい中毒症状が出るのです。匂いを嗅げば、無意識に足を進めてしまう程にその中毒症状は凄まじいものです。セプスはその植物から薬を作って、島の人達に投与し、徐々に例の植物に反応する身体を作り上げ、そして植物の匂いを使っては、夜な夜な自分の実験場へと誘い込んでいたのです」
脳裏には地下通路の中で見た光景が蘇ってくる。全てが真実だというのに、いまだに夢であって欲しいなどと、生温い思考は捨て去らなければならなかった。
「実験場へと連れて来られた島の人達は更に魔力を付与させるための薬を投与され、やがて……セプスにとって失敗例である存在へと身を堕とし──魔物化したのです」
「っ……!」
誰かの引き攣った声が聞こえた。信じてはいないと瞳に意思を宿して、剣呑と光らせる者も居た。
だが、アイリスはそれらを全て無視したまま、重くなってしまいそうな口を開いた。
「ですが、セプスが作った薬をエディク・サラマンさんも今から三週間ほど前に投与されたと聞いています。彼は……元々持っている魔力と魔物の魔力が体内でせり合ったことで、通常の魔物よりも身体の構造が変わったことで巨体となっており、さらに自我を失っていると……」
「エディクが魔物になったというのか!?」
そう言って、声を上げたのは呪術課の課長であるセリアン・ソワールという三十代半ばくらいの女性だ。
彼女の表情は困惑と驚愕、そして悲愴が含まれているものとなっていた。恐らく、エディクと知り合いだったのだろう。
「……そのように伺っております」
「彼は……! エディクが魔物になったというならば、彼は……エディクは、生きてはいないということなのか!?」
「ソワール、静かに」
アレクシアに止められたセリアンは唇を強く噛みながら、アイリスに返事が欲しいという表情を向けて来る。
「……黒い獣となったエディク・サラマンは、ブリティオンのローレンス家が自国へと連れて行ったようです。他にもセプスの薬によって、失敗作として位置づけられた島の人達……魔物も同様に、連れて行かれたそうです。……目的は分かりませんが、恐らく何かに使用するために回収していたのかと」
「……っ」
エディクの行方を訊ねてきたセリアンは何とも言えないような表情をしていた。
自分にとっては親しくはなくても、誰かにとって親しい人が己の前から消える瞬間を目撃してしまう時ほど、心苦しいものはない。
真実を伝える役目を担っていても、心臓を握り潰すように締め付けて来る感情には慣れることはなかった。




