不安定な立場
「さて、ブレア課長がお待ちかねだと思うし、課長室に向かってくれないか。……セルディ、人数分のお茶を先に課長室へ運んでおいてくれ」
「はい」
ナシルの言葉にちょうど、お茶を淹れ終わったセルディはトレイの上に四つ分の紅茶が入ったカップを置いてから、課長室へと向かう。その後ろを皿にお茶菓子を盛ったロサリアが付いていく。
準備が整ったのか、課長室からは両手を空にした先輩二人が戻ってきた。
「……ライカ、今から会う人は私達が所属している、この魔具調査課の課長なの。名前はブレア・ラミナ・スティアートと言って、私の剣の師匠でもあるのよ」
アイリスはまだ緊張気味のライカの肩を軽く、ぽんっと叩いてから穏やかに告げた。
「大丈夫だ、とても優しい人だから」
クロイドも明るい口調でライカに告げる。するとそれに便乗するように先輩達も次々にブレアについて喋り出した。
「負けん気が強くて、誰よりも頼れる姉御肌で」
「たまに無茶な任務を持ってくるが、部下に対する気遣いは随一」
「料理が壊滅的。もはや木炭」
「かなりの酒飲みで、一度飲み始めると止まらない。給料のほとんどが酒代に消えている」
神妙な顔をして頷く先輩達だが、後半はブレアの良い部分の紹介ではなかったような気がしたが、あえて触れないでおいた。
「まぁ、ブレア課長が一体どういう人なのかは直接会ってみれば分かるよ」
にこりと笑って課長室へ入るようにとセルディが促してくる。
アイリスは深呼吸をしながら緊張をほぐそうとしているライカを横目で眺めつつ、課長室の扉を叩いた。
課長室からはすぐに返事が返ってきたため、アイリスは失礼します、と一言告げてから中へと入る。
扉を開けば、いつものように革の椅子に腰かけているブレアが目に入った。
ブレアはアイリスとクロイドの姿を目に映すと明らかに安堵したような表情を浮かべていた。
オスクリダ島で起きた件について、色々と思うことはあるだろうが、今はその言葉をぐっと喉の奥へと流し込んでいるように見えた。
「おかえり、二人とも」
いつもと変わらない様子でブレアは迎えてくれた。アイリスは室内に入ってから課長室の扉を閉める。
「ただいま、戻りました」
「とりあえず、ソファに座ってくれ。ああ、緊張しているようだから、紅茶で喉を潤すといい。菓子も食べていいからな」
ブレアはアイリス達にソファに座るようにと促してきたため、失礼しますと一言、言い置いてから三人はソファへと腰かけた。
目の前の長い台の上には湯気が立っている紅茶が淹れられたカップとお菓子が盛られた皿が並べられていた。
「さて、さっそくだが、話をさせてもらおうか。島内で何が起きたのかについての報告は受けている。今はそれよりも──」
そう言って、ブレアは視線をライカの方へと移した。
「……ここまで、良く来たね。ライカ・スウェン」
「……初めまして。このように突然、お邪魔してしまい、申し訳ありません」
ライカがブレアに頭を下げようとするのを彼女はすぐに止めた。
「いや、君が謝る必要はない。むしろ、謝らなくてはならないのはこちら──教団の方だ。最も、謝ったくらいでは全てが元に戻るわけではないけれどな」
どこか悔いるような呟きに対して、アイリスはいつの間にか唇を噛んでしまっていた。
ライカは今、数年前のアイリスと同じ状況だ。突然、自分の家族を失い、生きる術もないまま優しくはない世界へと放り出された状態だとブレアも理解しているのだろう。
「だからこそ、ライカ・スウェン。私達は君のことを守りたいと思っている。もちろん、魔力に不慣れだから、という点もあるが……」
そこでブレアは一つだけ息を吐いた。
「今、君が置かれている立場は不安定なんだ」
「……」
分かっている、と言うようにライカは首を縦に振った。
「私は君を魔具調査課で預かりたいと思っている。だが、それを許そうとしない者もいることも心に留めておいて欲しい」
「ブレアさん、それは一体どういう意味なのですか」
アイリスは思わず、言葉を返してしまっていた。
ブレアはライカを魔具調査課に置くことに、賛成ではないのかという意味を含めた瞳で見つめると彼女は少しだけ気まずそうな顔をしてから、再びライカへと視線を向けた。
「ライカ、そのローブを脱いでくれるか」
「はい」
ブレアの言葉に従うようにライカは迷うことなく、頭をすっぽりと覆っていたローブを脱いだ。
纏うものがなくなったことで、現れたのは黒く毛並みの良さそうな獣の耳だ。そして、細い手を覆うように長く黒い毛が纏っており、指先には鋭い爪まで生えている。
「……ふむ。半魔物化か。その状態から普通の状態へと戻ることは出来るか?」
「いえ……」
ライカはすぐに首を横に振る。彼も戻れるならば、戻りたいと思っているのだろう。
「今は魔力がずっと漏れている状態のようだな。それを制御出来るようになれば、耳も手足も通常へと戻すことが出来るかもしれない」
「本当ですか?」
「ああ。……そうだろう、クロイド」
そう言って、ブレアはクロイドの方へと視線を向ける。
クロイドは同意するように、すぐに頷き返した。
「ライカは一年前の俺と身体の状態が似ているので、身体を鍛えて魔力制御を身に着ければ、通常の状態に戻すことは出来ると思います」
「よし、そのことも後見としての推薦状を書く際に付け加えさせてもらおう」
ブレアは神妙な表情で頷きつつ、ライカの方へと向きなおった。そして何かを決意したのか、ブレアは気合を入れるように短い息を吐いてから言葉を綴った。
「ライカ、今から君にとっては酷なことを言わせてもらうが、良いだろうか」
「はい」
ライカの返事に迷いなどはなかった。
「私達、魔具調査課は君のことを団員の一人として受け入れたいと思っている。君が一人で魔力を制御することが出来るようにあらゆる面において支援していきたいと考えているんだ。だが──どこの課も、必ずそのような考えを持っているわけではないことを頭に入れておいてくれ」
何となく、ブレアが言おうとしていることを受け取ったアイリスはそのまま話を聞くことにした。
「君は元々、一般人だった。だが、セプス・アヴァールの手によって、身体の中に魔力という力を宿した特異な存在となってしまっている。……魔力を持っていない人間がその力を体内に宿したという事例は過去の記録を見てみてもかなり少ない。つまり、君を情報源にするために様々な思惑を抱いた人間が近づいて来る可能性が高いんだ」
ブレアはそこで一つ、深い呼吸をしてから言葉を続けた。
「ライカ。君を被験者として扱い、未知の情報を得ようとする人間がいることを心得ておいて欲しい」
室内に響くように零されるブレアの言葉は、想像以上に静かな重みを帯びたものだった。




