闇を嘲る
ここ最近になって、やっと転移魔法による瞬間移動に慣れてきた混沌を望む者は、ちゃんと目的地に着いているのかを確認するために、辿り着いた巨石の上から周囲を見渡した。
今の時間は深夜である上に、周囲は青々とした木々ばかりなので、自分以外の生物の気配は感じられない。
「よし、ちゃんとオスクリダ島に着いているみたいだな」
自分の足元にある巨石を見間違うわけなどないため、ハオスは自身の転移魔法が成功したことを確認してからにやりと笑った。
ブリティオンからイグノラントのオスクリダ島まで、船でわざわざ来るようなことはしない。
転移する際の衝撃は中々煩わしいが、それでも転移魔法を使えば長い距離を一瞬にして縮められるのだから、使わない手はないだろう。
「さぁて、久しぶりに来たから、そろそろ魔物の数も溜まっていそうだな。早く引き取らないと博士の奴がうるさいんだよなぁ」
ハオスは裸足で足元の白い巨石をぺたぺたと叩いた。この巨石はブリティオンから、持参してきたものだ。
ただの巨石のように見えるが、壊されることがないように防御魔法をかけてある。
何のための巨石なのかと言えば──。
巨石から地面の上へと下りたハオスは、無詠唱のまま右手で一閃を薙いだ。
地面を少しだけ揺らす鈍い音が響いたと同時に、それまで地面に食い込むように居座っていた巨石がゆっくりと宙に浮かび始める。
「ほいっ」
ハオスの軽やかな掛け声に反応した巨石はまるでボールが投げ飛ばされたように宙を舞って、少し離れた開けた場所へと地響きを起こしながら着地した。
そして、巨石がそれまで隠していたものへとハオスは迷うことなく近づいていく。
それは巨大で、そして深くまで掘られている大穴だった。
この大穴がどのような経緯で掘られたものなのか自分は知らないが、有効活用させてもらっているので、穴を掘ってくれた奴にはお礼を言いたいくらいだ。
何故、わざわざ巨石で大穴に蓋をしていたのかと聞かれれば、それは翼を持った魔物がセプスの実験の過程で生まれた場合、この大穴から逃げてしまうことを想定しているからだ。
なので、防御魔法をかけたこの巨石を大穴の蓋として閉じ込めておくことで逃げ場をなくしていたのである。
「今回は力の強い奴はいるかなぁ」
ハオスはにやにやと笑いながら、穴に入るために自身の身体に魔法をかけて宙を浮かび始める。
自分達、ローレンス家とセプス・アヴァールは協力関係を結んでいる。
魔力無しであるセプスは魔力を体内に宿すことを欲しており、その実験を行うための実験場と実験体が必要だったのである。
ちょうど条件が良さそうな実験場を見つけたのは幸運だったが、それでも実験をするには材料となる魔物の血が必要となっていた。
そのため、初期投資としてブリティオンで生け捕りにしていた魔物を数体ほど、融通しては実験の手助けをしていたのである。
また、金銭的な面においてもエレディテルが援助していたらしい。
その一方で、セプスが実験で失敗した際に生まれる魔物をブリティオン側で引き取ることにしたのだ。
魔物を生きたまま維持させるには時間と労力、そして食費がかかるため、今日のように赴いては、かつては人間だった魔物を引き取るのである。
引き取った魔物はブリティオンへと持って帰り、自分が保有している魔物専用の檻へと入れてから、更なる実験を与えていた。
人間の血肉だけではなく、魂を与えたりしながら、最強で最恐の魔物を目指しているのだ。
この実験は趣味と実益を兼ね備えたものなので、もちろんエレディテルからの支援を受けられる。
好きなことを好きなだけ出来るのは本当に楽しいものだと口元に弧を描きながら、ハオスが大穴へと飛び込むように入った時だ。
「ん?」
大穴の底には、一体も魔物はいなかった。いつもならば、白い花が咲いている辺りにまとめて放し飼いにされるように置かれているはずだが、目を凝らしても一体もいない。
「何だ? 珍しいな……。いつもは五体以上の魔物が置いてあるはずなのに」
首を傾げつつも、ハオスは大穴の底へと着地してから周囲を見渡す。
しかし、やはり魔物の姿は見当たらない。いつもならば、勝手に持っていって構わないと言わんばかりに、魔物達が置かれているはずだ。
「……もしかして、博士の実験が上手くいったのか?」
そうなれば、魔物が生まれる過程はなくなるだろう。もし、本当にセプスの実験が上手くいったというならば、お祝いでもしてやろうではないか。
ハオスはにやりと笑っていたが、そこで一つのことに気付く。
「……?」
白い花が咲いていない地面に視線を向ければ、そこには足跡がいくつも刻まれていた。
魔物の足跡ではなく、人間の足跡が。
しかも、その足跡は大小と様々で、多数の人間によって踏み固められていることを示していた。
「人間の足跡……。まさかっ……!」
嫌な予感が咄嗟に過ったハオスは、セプスの実験場に続く通路へと向かって行く。空中を浮かびながら、最速で移動すれば開けた場所まであっという間だった。
開けたこの場所で、セプスはいつもこっそり招き入れた人間に薬を投与して実験を行っていた。しかし、この場には誰もおらず、静けさだけが漂っている。
ハオスはすぐに机や棚の中を調べ始める。しかし、そこには何もなかった。
「……ちっ。博士の奴、さてはしくじったな?」
実験の結果が綴られた報告書や使用されていた薬が入った瓶だけでなく、使われていたはずの実験道具さえもなくなっていた。
魔力を得ることに関しては狂気に満ちているあのセプスが、後方支援者であるローレンス家に黙って、どこかへ逃げることなど考えられない。
それならば、危惧することは一つだ。
……あの教団は年に一度の頻度で、この島を訪れると聞いているが、まさか奴らに実験の存在を気付かれたのか?
もしそうならば、セプスはとんだ間抜けだ。
今まで積み重ねてきた実験を全て真っ白に戻し、更に実験結果や使用してきた道具まで証拠として教団側に回収されているとなれば、彼がこちら側に戻って来るのは難しくなるだろう。
……いや、待てよ。セプスが教団に、ブリティオンのローレンス家が絡んでいると伝えたら立場が危うくなるのは俺達の方では?
ハオスは腕を組みながら、他人事のように鼻で笑う。
セプスには、出来るだけ島人達に気付かれないように慎重に実験を行えと言っていたが、恐らく結果が上手く出ないことから焦りが出たのだろう。
そういう時は、粗が目立つようになってしまうものだ。
「……とにかく、確認してみるか」
もし、まだこの島内に教団の人間がいるならば、いっそのこと存在を消し去って、何事も無かったように済ませるべきだろうか。
いや、そうなってしまえば、教団へと帰って来ない者達の生存を確認するために他の教団の人間が島へとやってくるだけだ。
……面倒なことになりそうだな。
ハオスは再び宙に浮かびながら、次の場所へと移動し始める。感覚を研ぎ澄ませても、魔力を感知することは出来ない。やはりこの地下通路には魔物はいないようだ。
次に、魔物を収容するための鉄格子が置かれている場所に到着する。
「やっぱり、ここも空っぽか……」
この鉄格子はハオスがブリティオンから材料を運んで、作ったものだ。それなりに強固なものであるはずだが、鉄格子の中には折れ曲がっていたり、鉄の扉が吹き飛んでいる場所もあった。
「……何かが起きたということか」
セプスも魔物もいない。それならば、一体何が起きたのだろうかとハオスは出口に向かって進み始める。
いつもならば、この地下通路には湿っぽい匂いが漂っているはずだが、出口に近づくたびに潮の匂いが混じっている気がするのは気のせいではないだろう。
不審に思いつつも、ハオスは地下通路の出口となる場所へと顔をひょっこりと出してみる。
「な……」
出口はいつもならば、魔法によって見えないように施され、そして閉じられていたはずだ。
だが今の状態はまるで動物が掘った巣穴のようになっていたのである。
壁や床が崩れて瓦礫の山となっている場所を上ってみれば、荒された形跡のある診療所の一室がそこには広がっていた。
「何だ、これは……」
診察台も机も棚もめちゃくちゃだ。床上に大量の本が折り重なるように散らばっているし、その上には動物のような足跡が多く残されている。
「……魔物が地下通路から、ここまで逃げだしてきたのか? だが、あいつらは薬によって博士の命令に従うようになっていたはず……」
何が起きているのか分からないが、それでも状況を把握するためにハオスは周りを見渡した。
……確か、博士は背表紙が黒い本の中に実験の記録書を隠していたはず。
足元に散らばる本を魔法で空中に浮かせながら、ハオスは目的の本を探していく。
「おっ、あった」
宙に浮かんでいる黒い背表紙の本を手元へと寄せてから、ハオスは中身を開いた。しかし、中身をくり抜かれている本に入っているはずのものは消えていた。
「……記録書がない」
この存在を知っているのは自分とそしてセプスだけのはずだ。ハオスは空っぽになっている本をその場へと投げ捨ててから、診療所を後にした。
「……念のために姿を消してから、島内を見回ってみるか」
もしかすると、何か見つかるかもしれない。そう思い、ハオスは他者から姿が見えないように魔法をかけてから、宙に浮かびつつ移動する。
今の時間帯は夜中の十二時を回ったくらいだ。それゆえに、島内に漂う静けさは普通であるはずなのにどこか奇妙に思ってしまう。
「……何か、いつもよりも湿っぽい気がするな?」
空から一軒、一軒を見渡して行っても特に変わった様子は見られない。それでも、あまりにも静かすぎるように感じたのだ。
「……」
ハオスは意識を集中させて、島内に生きている者が見受けられるか、温度を視覚として感知するための魔法を自身へとかけた。
黒と金の瞳でゆっくりと見渡していっても、普段ならば温度を色で感知するはずの視界には一つも暖かな色が映ることはなかった。
「……人間が一人もいないだと? うーん……」
だが、上空から島内を見渡していたハオスの鼻先に見知った匂いが紛れたことで、意識をそちらへと向けた。
「今、何となく血の匂いがしたような……」
ふらふらと漂いながら、ハオスが向かった先はこの島に唯一、存在している学校だ。
その校舎の屋根と運動場に視線を向ければ、見慣れたものが広がるように散らばっていた。
「血痕……。しかも大量だ。だが、死体は落ちていない……」
校舎の上に降り立ったハオスは、その場に大きな滲みを作っている場所に人差し指をなぞるように沿った。指先に微かに付着した赤黒いものを舌で軽く舐めてみる。
自分は悪魔であって、吸血鬼ではないものの、それでも一度は口に入れた血の味を忘れることはない。
ブリティオンで以前、セプスが魔物に噛まれた際に彼が流していた血を悪戯に舐めたことがあるが、それと同じ味がしたのだ。
「……ふーん、そっかぁ」
大きな滲みが出来ているこの場所で、セプスは大量に血を流したようだ。死体がこの場にない以上、生きているか死んでいるかは分からないだろう。
「でも、博士はこんな場所で何をしていたんだ?」
自分が島を訪れていない間に、セプスの身に何かが起きたのだろう。だが、何が起きたのか、その想像が出来ないでいた。
「島人達もいなくなっているし……」
せっかく、外部からの接触が少ない、整えられた実験場だったというのにセプスは焦って台無しにしてしまったのかもしれない。
エレディテルに何と報告しようか。セプスの実験は失敗したと伝えれば、彼は呆れた溜息を吐くだろう。これでもかなりの額をセプスには投資していたようだ。
それだけではない。エレディテルはセプスの実験の結果をそれなりに期待していたようだったのだ。
それは恐らく、実験が成功して、魔力無しに魔力を付与する薬を作り出すことが出来ればそれを──アイリス・ローレンスに投与するつもりだったのだから。
アイリス・ローレンスは魔力無しだ。そんな彼女に魔力を付与させるための薬を投与し、魔力を体内に宿らせる。
そして、彼女をブリティオンの血筋へと組み込ませることをエレディテルは密かに考えているようだった。
「結局、アイリス以外には血が濃い奴がいなかったしなぁ」
血を濃く残すために、魔力持ちという誇りを維持するために。
そのためにもセプスが行っていた実験の成功をエレディテルは待っていたのだろう。
もちろん、エレディテルがこれから行おうとしている彼なりの可愛らしい野望において、アイリスの存在が必要なくなる可能性だってあるのだ。
そうなると、ローレンス家の血を濃く存続させるために別の方法として必要になってくるのは、アイリスの傍にいたクロイド・ソルモンドという男の方だ。
あの男にもローレンス家の血が流れており、魔力だってかなり大きいものを持っている。ただ、呪い持ちであるため、呪いの影響が出る前にセリフィアとの間に世継ぎは早めに作らせるしかないだろう。
アイリスかクロイド。
選ばれるのはどちらになるのか分からないが、彼らには今のところ生きていてもらうしかないのだ。
──いくら、自分の玩具にしたくても、エレディテルに命令されている以上、それだけは我慢していた。
「上手くいかないものだなぁ……。まぁ、いいか。俺が怒られるわけじゃないし」
ふぁっと欠伸を一つしてから、ハオスは視線を何となく海の方へと向けてみる。
「……ん?」
視界が一瞬だけ歪んだように思えたが気のせいだろうか。
首を傾げつつも、ハオスは誘われるように海に向かって、宙に浮いた状態で進んで行く。海上まで進み、そして一つのことに気付いた。
「これは……」
感じ取れたのは他人の魔力だ。
しかもかなり広範囲から感じられる。
試しにその魔力がどれ程の範囲まで及んでいるのかを調べるために、魔力の壁に沿って進んでみる。
だが、あまりにも広範囲過ぎて、ハオスは途中で魔力を辿ることを諦めた。
「島全体を覆うように魔法がかけられているみたいだな……。この魔法は……」
見えないがそこにあると分かっているものに手を触れさせてみると、案の定、ハオスの手は弾き返された。
手に痛みが残るが、それさえも気にならないと言わんばかりにハオスはにやりと笑みを浮かべる。この一瞬で、目の前の魔法の詳細を読み取り、すぐさま理解する。
「なるほどな。広範囲に及ぶ結界魔法か。しかも、外から島の存在が見えないように幻影まで生み出すとはご苦労なことだ」
そこで改めて確信する。オスクリダ島に、嘆きの夜明け団の人間がやって来たことを。
恐らく、何かしらの出来事が島内で起きたのだ。そして、それによってセプスだけでなく、島人全てが消え去ってしまった。
教団の人間は一般人にそのことを覚られないように、魔法で島ごと隠蔽しようとしているのだろう。
「はははっ……。あー……。馬鹿な奴らだ」
オスクリダ島へ教団の人間が年に一度しか訪れない理由を自分は知っている。
それは島に魔物が住んでいないからだ。安全だと思われている島で、人の平穏を脅かすことなど起きないと軽視しているのだろう。だからこそ、その隙を自分達は突かせてもらった。
それなのに今頃、異変に気付いて、教団側にとって都合が悪いことを隠そうとするなど愚かにも程があるだろう。
「仕方ない、博士のことは諦めるか。あの出血だと、生きていても喋れないだろう」
彼に対して、別に惜しむことなど何もない。
セプスが行っていた実験の成功が見られなかったのは残念だが、彼が書いた途中経過について記された報告書はエレディテルが持っているので、必要になれば実験の引継ぎを自分がすればいいだろう。
ただ、魔力無しの実験体を探してくるのは面倒だが。
「……それよりも、教団がこれからブリティオンへとどんな風に持ち掛けてくるか、だよなぁ?」
ハオスは口元を覆い隠しながら、くすくすと笑い声を上げる。
これから面倒なことが待っていると分かっているのに、どうしても可笑しくてたまらないのだ。
「まぁ、俺はどちらでも構わないんだけれどねぇ。……楽しければ」
教団が攻撃を仕掛けてくれば、それを返り討ちにするだけだ。
いや、それ以上のことをやろう。
もっと、人の心を抉るようなことを。
もっと、もっと楽しいことを。
自分は悪魔だ。人が苦しんだり、痛がる姿を見るのが大好きだ。
さらに言えば、自分の手で他人の命をじっくりと削っていくことも楽しくて仕方がない。
「ああ、楽しい。楽しいなぁ」
少女のような声色で笑いながら、ハオスは足元にブリティオンへと転移するための魔法陣を出現させる。
オスクリダ島全体を囲むように張ってある結界をわざわざ壊せば、魔法をかけた者に自分がこの島へと訪れたことを知られてしまうだろう。
この結界の外に出るためには壊すしか方法はないので、それならば転移魔法を使って、何事も覚られることなく立ち去った方がいいだろう。
「さて、エレディテルに報告しに帰るか」
ハオスは真っ黒に見えるオスクリダ島へと視線を向けながら、魔法陣の中へと足を踏み入れる。
「……『闇』だなんて、よくも考え付いた名前だぜ。お似合い過ぎて、笑っちまう」
自分達の不始末によって起きた大事を教団側は隠すだろう。そう、例えるならば闇の中に、同じ色の影を隠すように。
それが可笑しくて、ハオスは凪の上に浮かんでいるように見えるオスクリダ島を見据えながら、魔法陣の中へと笑みを浮かべたまま沈み込んで行く。
波の音と混じるように、その場にはしばらくの間、ハオスの嘲るような笑い声が響いていた。
闇隠し編 完




