闇へ隠す
魔法を使用しながら操縦していることもあり、通常の航行よりも早く、目的地であるオリゾン地方のナルシスの港へと到着した。
行きは船酔いで具合が悪くなっていたアイリスだったが、小型船に乗る前に、気分の悪さを抑える魔法をかけてもらったので、今回は平気だった。
しかし、アイリス達を待っていたのは、港町に住んでいる人達だった。
彼らは二艘の小型船から下りて来るアイリス達を見るやいなや、驚いたような表情をしている。
中には漁師らしき格好をしている者もおり、それぞれが奇妙なものを見るような瞳をしていたり、不安そうな表情をこちらへと向けて来ていた。
「……オスクリダ島が立ち入り禁止なっていると聞いたが……?」
「何かが起きたらしいぞ」
「彼らは大丈夫だったのかしら……」
「他の島人はいないのか? 他には船が見えないようだが」
堤防となる辺りで、ナルシスの住民達は言葉を交えていた。
そういえば、ジェイド達が何かの権限を使って、オスクリダ島に人が立ち入ることが出来ないようにと定期船を運休させたと言っていた。
そのため、住民達は何かがオスクリダ島で起きたと察してはいるものの、情報は遮断してあるので、真実を彼らが知ることは出来ないのだ。
「町の人達に軽く説明してくるか。……いいか、一般人にはオスクリダ島で自然災害が起きたため、人の立ち入りは制限されている、と話してくるからお前達も口裏を合わせておくように」
「分かりました」
現場責任者であるジェイドが魔的審査課と魔物討伐課の四人を引き連れてから、こちらの様子を窺っているナルシスの住人達の方へと歩いて行った。どうやら町の人達には分担して説明するつもりらしい。
ジェイドの言葉はこの場を収めるための方便のようなものだが、恐らく後日、色々と手筈を整えてから、正式にオスクリダ島には一般人は立ち入れなくなるのだろう。
……誰もいなくなった島を見られるわけにはいかないもの。
アイリスはちらりと隣に立っているライカを見る。
彼は今、大きすぎるローブを着ていた。そして獣の耳を隠すためにフードを目深に被っており、黒毛の手が見えないようにと長い袖で覆っていた。
更に、足にも布を巻いており、素足が見えないようにして、ライカの足の大きさよりもかなり大きい革靴を履いて貰っている。
移動する際には仕方がないとは言え、ライカの今の姿を他者から見られないようにと隠してもらうしかなかった。
ナルシスからロディアートまでかなりの距離がある。汽車に乗って向かわなければならないので、ライカには半日以上、姿を隠したままの状態を強いることになりそうだ。
……でも今、ライカの姿を他の人に見せるわけにはいかない。
姿を見られてしまえば、ライカが他者から奇異な目で見られることは確かだ。人は己と違うものを軽視し、恐れる生き物だと知っている。
それゆえに姿を晒して、彼の心をこれ以上傷付けるわけにはいかないのだ。
アイリスはライカの姿を自分の身体で隠すようにすっと一歩前へと出た。
この後、どこかで昼食となるものを買って、食べ終わってからすぐにロディアートへと向かうのだろう。
そんなことを思っていた時だ。
「──ライカ!」
ジェイドが説明をしに行っているナルシスの住人達の人込みをかき分けながら、一人の男が声を上げて、こちらへと向かって来ていた。
「あ……」
確か、あの男はアイリス達をオスクリダ島まで運んでくれた定期船の船長だ。船長の男は悲愴な表情を浮かべてライカへと近づいてくる。
「ライカ、大丈夫か!? オスクリダ島で何か、起きたんだろう……? 怪我とかしていないか?」
「おじさん……」
ライカも船長の男と知り合いらしく、彼の顔を見ては少しだけ安堵の溜息を漏らしていた。
「何が起きたんだ? それに、他の島の奴らは……。そうだ、リッカはどうしたんだ?」
矢継ぎ早に聞いてくる船長の男はぐるりと周囲を見渡す。しかし、そこにはアイリス達の姿以外は誰もいない。
「……島の、人達は……」
ライカはそこで言葉を切った。恐らく、それ以上の言葉をどう説明すればいいのか分からなくなってしまったのだろう。むしろ彼の口から言わせるには酷なことかもしれない。
すると、アイリス達も一緒に居ることに気付いたのか、船長の男が視線を向けて来た。
「嬢ちゃん達は確か、先日の……。なぁ、オスクリダ島で一体何が起きているんだ? 他の島の奴らはどうした?」
アイリス達が不穏な空気を出していることを船長の男も感じ取ってはいるようで、しかし真実を知りたいのか、詰め寄ってくる。
「……オスクリダ島でとある自然災害が起きたんです」
言葉を溢したのはイトだった。彼女の瞳は黒い海の凪のように静まっており、感情が読み取れないものになっていた。
「自然災害?」
これからイトが説明しようとしている話はジェイドと事前に打ち合わせをしておいた話だ。
自分達は観光でオスクリダ島を訪れていたが、とある日に島内で自然災害が発生し、島人達は巻き込まれ、ライカ以外の全員が亡くなってしまう──そんな、都合の良い嘘を表向きの情報として提示することにしたのだ。
「オスクリダ島内で人を死に至らしめる成分を含んだ霧が発生したんです」
「なっ……」
イトの言葉に船長の男は目を見開いて、絶句していた。信じたくはない話だろうし、簡単に信じられる話ではない。
「私達は何とか無事でしたが、他の方は……」
そこでイトは言葉を濁す。
本当ならば、こうやって嘘を吐いていることさえ、心苦しく思っているはずだ。それでも彼女はわざわざ心を痛める役割を進んでやってくれたことに少しだけ申し訳なさを感じた。
「今後は専門家を呼んでから立ち入り調査になると思いますので、恐らくオスクリダ島行きの定期船の運航は出来なくなるかと……」
「……」
船長の男は石のように固まっていた。
一週間ほど前まで、生きていたはずの島人達が死んだと聞かされたことを飲み込めていないまま、虚ろとも言える瞳で海の彼方の方へと視線を向けていた。
オスクリダ島まで行き来していた彼には、島人の中に多くの知り合いがいたのだろう。
それだけではない。オスクリダ島の島人達は漁で釣り上げた魚介類をナルシスの港の漁業市場に出荷していたと聞いている。
それならば漁師たちの間にもオスクリダ島の島人達と知り合いだった者が大勢いるはずだ。
誰かの叫びにも近い泣き声が聞こえた。島人の誰かを想って、泣いているのだろう。
嘘だ、ありえないと叫ぶ声も入り混じっている。
……ごめんなさい。
魔物と化した島人達を討ったのは、自分達だ。それは殺したことを意味している。だが、その真実を表に出すことは出来ないのだ。
二度と会うことは出来ないからこそ、あの叫び声は嘆きを訴え続けているのだろう。
「……ライカ」
すると、それまで呆然としていた船長の男が少しだけ何かが削げ落ちたような顔で、ライカへと告げる。
「お前、今後はどうするつもりなんだ。……リッカも、いないんだろう?」
「……」
小型船でナルシスの港に帰って来た中に、ライカ以外の島人の姿はない。だからこそ、船長の男もすでに察しているのだろう。オスクリダ島の島人達の生き残りはライカだけだと。
「ライカ。お前さえ、良ければ……。うちに来ないか?」
「え……」
船長の男の言葉が意外だったのか、フードを目深に被っているライカから、小さな驚きの声が零れた。
「うちの家は狭いし、大した世話をしてやることは出来ないかもしれないが……。だが、お前の家になることは出来る」
「……」
真面目な表情で船長の男ははっきりと告げる。彼なりの優しさがそこには含まれており、どうにかして一人になってしまったライカを助けたいという意志が強く感じられた。
アイリス達は黙ったまま、ライカの返事を静かに待った。
「……おじさん、ありがとう」
少しだけ、嬉しそうな声色でライカは答える。顔を見せることはないが、それでもライカは視線を船長の男へと真っすぐと向けた。
「おじさんのその気持ち、凄く嬉しいよ。……でも、僕にはやらなければならないことがあるんだ」
「やらなければならないこと?」
「うん。……自分で、どうやって生きるかを決めて、進んで行きたいんだ。だから、おじさんからの申し出は嬉しいけれど……ごめんね」
吹っ切れたように呟くライカに船長の男は瞳を瞬かせ、そして何故か泣きそうな表情で目を細めた。
「……そうか。お前がそう決めたなら、俺は応援するだけだ。だが、頼りたい時は遠慮なく頼ってくれ。俺はライカが頼ってくれるのをいつでも待っているからな」
「……うん、ありがとう。おじさんも、どうか元気でね……」
船長の男はライカに軽く手を振ってから、人込みの中へと戻っていく。
その後ろ姿が見えなくなるまで、ライカは唇を噛みながら眺めていた。
「……やっぱり、僕はこの世界が好きだな。優しくない世界だとしても、こんなにも温かいんだもの」
ライカの呟きは潮騒の音に混じり、ゆっくりと消えて行く。
「ライカ。……本当に、いいのね?」
アイリスはライカへと向きなおってから、再度確認する。
「私達はあなたを連れて行くと決めたけれど……。この場所に戻って来ることが出来なくなる可能性の方が高いのよ」
オスクリダ島には二度と入れないだろう。そして、魔力が付与された彼にはこれから、別の生き方が待っているはずだ。
「自分で決めたんです」
はっきりとそう告げて、ライカは右手を胸元辺りまで持ってきてから、じっと見つめる。服の袖から、ちらりと見えるのは黒毛に包まれた手だ。
半魔物化は解けておらず、彼は魔力を制御出来る術を身に着けてはいない。
「姉さんから貰った言葉を僕は実行したい。姉さんの最後の言葉だから、ということもあるけれど、それでも僕は自分で進む道を考えながら生きていきたいんです」
だから、とライカは言葉を続ける。
「だから、僕を……そして、リッカ・スウェンの言葉をどうか──連れて行って下さい」
まるで誓いを立てるようにライカははっきりと告げる。
一瞬だけ、リッカの影がライカの傍に寄り添っているように見えたのは、気のせいだろうか。背中を支えるように、ライカの後ろにはリッカの姿が見えた気がしたのだ。
きっと、リッカはどこかでライカをずっと見守っているのだろう。そんな気がしてならないのだ。
「……もちろんよ」
アイリスは静かに頷き返す。周りにいるクロイド達も同じように力強く頷いていた。
ライカはこの世界をどう思っているだろうか。
自分にとって、厳しいだけの世界だと思っているのか、それともまた別の強い感情を持って臨もうとしているのか──。
だが、ライカがどのような感情を持って、茨の道を歩もうとしていたとしても、自分達は彼の味方と支えであり続けたいと思う。
リッカに、ライカを頼むとお願いをされたからではない。自分の意思を持って、ライカを見守っていきたいと強く思うからだ。
アイリスはふと、誰かに呼ばれた気がして、海原の方へと振り返る。
この海の向こうにあるはずのオスクリダ島の存在はこれからゆっくりと薄まっていくのだろう。今はまだ、人々の記憶に根付いたままだが、時代とともにあの島の存在は無かったものにされるのだ。
全ては闇の中へと隠された。
島の存在も、島人がどのように死んだのかも、セプス・アヴァールの実験も──何もかもが闇の中だ。
二度と表舞台に出ることはないのだろう。
闇の中を覗こうとすれば、引きずられてしまう。
……でも、その闇を私達は背負ったまま、生きて行かなければならない。
きっと、クリキ・カールもオスクリダ島の神隠しの真実を隠した時に、同じような気持ちを抱いていたのかもしれない。
苦しくて、吐き出したくて、でも嘆くことは許されない。そんな気持ちを抱きつつ、彼も生きていたのだろう。
闇の中へと葬り去ることは、逃げることだけを意味しているわけではない。
自分達の心の中で、忘れることなく背負い続けるということも、闇の中へと隠したことに含まれているのだ。
潮騒と、人々のざわめき、海鳥の鳴き声。
それら全てを耳に入れつつも、アイリスは遥か遠くの先を見ようと目を細めた。
だが、アイリスだけではなく、他の皆も同じだったようで、誰もが煌めく水面をどこか呆けた表情で眺めている。
どこまでも続き、美しく揺れる水面はアイリス達にとってはただ、眩しく感じられていた。




