水平線を刻む
オスクリダ島から出発するために、準備を整えたアイリス達はジェイド達が乗って来ていた二艘の小型船に乗り込んだ。
全員で十名いるため、半分ずつに分かれての乗船となる。
アイリスとクロイド、そしてライカとジェイドと魔的審査課のポリィと乗船した。小型船の操縦はジェイドがやってくれるらしい。
ジェイドに操縦される小型船は深い青色の波に乗るように滑らかに動き出す。
もう一艘の小型船は魔物討伐課のスロイドが操縦しており、二艘の船は横に一定の間隔を開けたまま、オスクリダ島からゆっくりと離れて行く。
「……よし、この辺りで良いか」
ぼそりとジェイドは独り言のように呟き、そして右手を挙げて合図すると、スロイドが操縦する小型船は一度、止まった。
「ポリィ、ラリオン。島を囲むように巨大な結界を張ることは出来るか? もしくは周辺から島が見えないように隠す幻影魔法でもいい」
ジェイドが声をかけたのは魔的審査課の二人だ。それぞれの船に乗っていた二人は顔を見合わせてから、ゆっくりと頷き返す。
「まぁ、これほど大きなものを囲んだことはないですが、やれるだけやってみましょう」
「頼んだぞ」
波によって大きく揺れる小型船の甲板の上に二人は真っすぐと立ち、魔具と思われる腕輪や首飾りを手に触れさせながら祈るような姿勢で集中し始める。
アイリスは魔力を感じることは出来ないが、それでもその場の空気が少しだけ変わったのは何となく感じ取れた。
ポリィとラリオンが二人で協力しながら、結界を張ろうとしているようだ。
「──清廉なる理を以て、一目に映る全てを囲え」
「その壁は無。無なるものこそ、最大の盾とし──」
ポリィとラリオンが持っている魔具が徐々に淡い光を生み出していく。大きな魔法を使うと察しているのか、ライカは瞳を丸くしながら魔法使い二人を凝視していた。
今、二人が使おうとしている魔法は、かなりの広範囲に結界を張り巡らせることが出来る魔法だ。
また、外部から隠されたものを視界に捉えられないように幻影を生み出すとともに、結界の中に侵入が出来ない魔法となっていた。
つまり、オスクリダ島全体を隠蔽するために、ここまで大がかりな魔法をかけているのだろう。
オスクリダ島で起きたことは一般人には伝えることは出来ない。
もし、仮に一般人がオスクリダ島周辺に近づくようなことがあっても、魔法で通路を遮断させて、見えないようにしておけば、島の姿を捉えることは出来ないだろう。
「──いかなる者も通さず、いかなる者も自覚することは出来ず」
「その姿は風。その姿は水。その姿は光。これらの幻影を以て、我が視界に映るものを覚られることなく、遮蔽せよ! ──澄み渡る玉の壁!!」
二人が魔法の呪文を唱えきった瞬間、アイリス達が乗船している小型船の真下に広がる海の水面を沿って行くように、魔法によって出現した淡い光がオスクリダ島に向かって一気に伸びて行く。
その光はかなりの広範囲の水面を伝っていき、そしてオスクリダ島を囲んで行った。
周りが海しかないため、結界魔法で囲いやすかったのかもしれない。これが多くの人が住んでいる街中だったならば、簡単に結界を張ることは出来ないだろう。
それでも一つの島を魔法で覆い隠すなど、魔的審査課のポリィとラリオンはジェイドが連れて来ただけあって、やはり並大抵の魔法使いではないと改めて認識した。
「……」
広範囲に光る海を眺めていたアイリスの視界に映る光景がぐらりと動いた気がした。
いや、自分の目がおかしいのではない。それまで映っていた光景が突如として、絵の具を垂らされたように歪み始めたのだ。水面が光っている範囲こそが、魔法が反映される領域なのだろう。
ポリィとラリオンによる魔法は無事に成功したようで、それまで視界に捉えていたはずのオスクリダ島はだんだんと空と海の景色に混じるように滲み始めて来る。
大量の魔力を使う魔法だったのか、二人は魔法が無事に成功したことを見届けるとその場に疲れたように腰かけていた。
「お疲れ、二人とも。だが、よくやった」
「いやぁ、任務の際に頻繁に使っている魔法とは言え、これ程の広範囲を見えないように隠すのは初めてですね」
ラリオンが苦笑しながらジェイドへと笑い返した。先ほどの姿を隠す結界魔法は魔的審査課では、多用されている魔法らしい。
アイリスはもう一度、景色に馴染んでいくオスクリダ島へと視線を向ける。魔法がかけられた今はもう、あの場所に簡単に辿り着くことは出来ないのだろう。
次にオスクリダ島が見える姿として現れるのは、教団から正式な調査隊が派遣される際だ。その時だけ、この魔法は解かれるのだ。
ちらりと視線をライカの方へと向ければ、ライカは青い瞳を瞬かせることなく、オスクリダ島へと向けていた。その瞳は揺れてはいなかった。
「……さようなら」
恐らく、独り言だったのだろう。それでもライカがぼそりと呟いた言葉はアイリスの耳にしっかりと届いていた。
……ああ、彼は刻んでいくのね。
二度とあの地を踏みしめることが出来ないならば、せめて自分だけは覚えていようと、その身に刻み込んでいるのだろう。
それまで、視界を歪ませていたが、やがてオスクリダ島の姿を隠す魔法は完全なものとなっていく。
アイリスが一瞬だけ瞳を閉じて、開けた次の瞬間にはただの水平線がそこには映っていた。光っていた海もいつの間にか、何の変哲もない通常の水面へと戻っている。
……この視線の先に、オスクリダ島が確かに存在しているはずなのに。
これは魔法による幻影を見せられているのだと分かっている。それまで深緑として見えていたオスクリダ島の森は、空と海と同化しているため、島の存在を認識出来ないものとなっていた。
「……出発するぞ」
ジェイドは全員を見渡してから、止めていた小型船を再び操縦し始める。もう一艘の方も、ジェイドに続くように動き始めた。
少しずつ、少しずつ、オスクリダ島から遠くなっていく。
今はもう、どこに島があったのかさえ分からないというのに、それでもアイリスは空と海を分かつ水平線となっている光景を瞳に焼き付け続けた。




