嘆きの夜
森の奥へと調査に向かっていたイト達が帰って来たのは夜だった。
巨石を改めて調査してきたようだが、やはり巨石には防御魔法がかけられたままだったらしい。
ただ、地下通路の大穴があった場所の真上が巨石であることは間違いないと言っていたため、今後はあの巨石にかけられている魔法を解いてから、移動させることになるだろうと団員達は言っていた。
次の日は報告書を書くための情報共有と資料整理をしながら、団員が持参していた通信用の水晶を使って、伝達魔法で本部と連絡を取り合っていた。
本部の方ではイトが出した応援要員の要請は大げさだろうと鼻で笑っていたらしいが、ジェイドの報告を水晶越しに受けた魔物討伐課の団員達はまさか、そのようなことがオスクリダ島で起きていたなんてと大慌てになっているらしい。
それは今回の件は魔物討伐課の不手際が大きかった故に、起きた事案だと自覚しているからだろうとジェイドは溜息交じりにそう言って、ライカに何度か謝っていた。
ライカは皆さんのせいではありませんから、と言って首を横に振っていたが彼は本当に自分達、教団の人間に対して恨みを抱いていないのだろうか。
だが、アイリスはライカの本音を直接本人に訊ねることが出来ずにいた。
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次の日の早朝にこのオスクリダ島を出発すると分かっているのに、眠ることが出来なかったアイリスは隣で寝ているイトを起こさないように注意しつつ、ベッドから起き上がった。
室内の窓は開けられていて、涼しいはずなのに何故か寝苦しさを感じて眠れなかったのだ。
……外の空気でも吸いに行こうかしら。
靴を履き、腰には念のためにと短剣を装備して、借りている一室から音を立てずに出た。
「……」
廊下には誰もいない。その静けさは当たり前であるはずなのに、部屋を出た瞬間に思い出してしまったのだ。
柔らかな灯りの中で、少女が一人佇む姿を。
──頼れる誰かが欲しいって、たまに思うんです。
初めて森へ行く前日の夜に、アイリスはリッカと会話をした。彼女がランプの灯りを点けたまま、調理場のある部屋で守り鈴を作っていた光景が、今でも頭の中で再生されていく。
そして寂しそうに、頼りなさそうに──静かに告げられた言葉は、リッカがずっと心に抱いていた本音だ。
「っ……」
アイリスは胸元に下がっている、リッカから贈られた守り鈴にそっと手を触れる。彼女が一つずつ、想いを込めて作り上げたものが確かにここにある。
それなのに──もう、リッカはいないのだ。
自覚しているし、分かっているのに、本当はリッカがどこかに隠れているだけではといまだに現実の全てを信じ切れていない自分がいた。
もしかすると、自分は今まで恐ろしく悲しい夢を見ていたのかもしれない。まだ、目覚めていないだけで、本当は誰もが生きているのかもしれない。
そんな、自分勝手なことを思ってしまうのだ。
──ちりん。
耳の奥に聞こえたのは鈴の音。軽やかで、優しげな鈴の音。どうして、この音が聞こえるのだろうか。
「……」
そんな疑問を抱くよりも先に身体がいつのまにか、家の外に向かって進んでいた。
生きているかもしれない、なんてそんな非現実的な考えを抱きながら、アイリスは家の扉を開けて、勢いよく外へと飛び出す。
──ちりん。
聞こえた。本当に、鈴の音がする。まるで呼んでいるように。
扉を閉めることも忘れたまま、アイリスは鈴の音に呼ばれるように、音に向かって走っていく。
どこにいるのだろう。そう思いながら、脳裏に浮かぶ可憐な姿を探してしまう。
「……リッカっ」
もう、呼ぶことは出来ないと思っていた名前を希うように叫べば、すぐ傍から気配が返って来た。
「……アイリス?」
だが、返事をした低い声は、リッカのものではない。
スウェン家の近くのなだらかな坂道に腰かけたまま、海の方を眺めていた影が、こちらへと振り返った。
そこに座っていたのは、クロイドだった。
彼も眠れなくて、外の空気を吸いに来ていたのだろうか。アイリスの登場にクロイドは少しだけ驚いているような表情を浮かべていた。
「どうしたんだ、こんな夜遅くに……」
「……」
クロイドはアイリスに気が付くと、地面の上から立ち上がり、こちらへと近づいて来る。
彼が動いた瞬間、再び鈴の音が弾んだ。よく見れば、クロイドの右手にはリッカが作った守り鈴が握られていた。
同じものを彼も持っていたことを思い出し、そして、ここは現実だったとアイリスは改めて思い知った。
──そうだ、もうリッカはいないのだ。分かっていることなのに、それでもアイリスは縋ろうとした。
「っ……」
アイリスはクロイドと視線を交えるやいなや、その場に膝を崩すように倒れ込んだ。
「アイリス!?」
その場に崩れ落ちたアイリスにクロイドはすぐに駆け寄ってくる。右手を背中に添えてくれているのか、安堵する温かさを感じた。
「アイリス、大丈夫か?」
少しだけ焦りを含めた優しい声で問いかけてくれるのに、アイリスは返事をすることが出来なかった。
もう、我慢が出来なかったからだ。
「ぅ……」
漏れるように言葉にならない声を口から吐いては、何とか押し留めようと両手で口元を押えた。
いない。もう、いないのだ。
だからこそ、この現実を否定してしまいたかった。
感情を吐き出してしまいそうだった。誰もが全てを己の中に飲み込んでいるというのに、アイリスはどうしても抑えきれなかったのだ。
「どうして……っ」
瞳から溢れるのは冷たいもので、それが頬や口元を押えている手に伝っていく。
ずっと我慢していたものが、こみ上げてしまう。毅然としていなければならないと、堪えていたものが、とうとう堰を壊して越えた瞬間だった。
「私……は、また……っ。また、助け、ら……れ……」
「っ……」
嗚咽しながら震えるアイリスの身体をクロイドが強く、抱きしめてくる。生きている熱をすぐ傍に感じているのに、それでもアイリスの嘆きは治まることはなかった。
嘆いても、叫んでも──リッカは、島の人達は戻ってこないというのに、アイリスは己を止めることが出来なかった。




