清濁を知る言葉
「そして、次にエディク・サラマンについての件だが……」
エディクの捜索はアイリス達に任された任務だったが、彼はアイリス達が島に来るよりも前に、すでにセプス・アヴァールの手によって魔物へと化し、その行方はブリティオンへと運ばれた、ということしか分かっていない。
そのことをイト達からジェイドにはすでに説明されているようで、彼は複雑そうな表情をしていた。
人との関わり合いが多そうなジェイドのことだ。恐らく、エディクとも知り合いだったのだろう。それでも私情を挟まないように注意しているのか、彼は言葉を選んでいるように見えた。
「人間が魔物化する、か……。何とも恐ろしいことを考えるな、ブリティオンの奴らは」
「……」
ジェイドは渋い顔をしたまま、唸るように呟いた。
今回のセプス・アヴァールの件に関わりがあるのはブリティオンのローレンス家だ。
ただ、ローレンス家が主体となって、セプスの後ろ盾になっていたのか、それともブリティオンの魔法使い達の組織が更に背後に潜んでいるのかまでは、はっきりと分からないのだ。
……セプス・アヴァールはローレンス家の当主と会ったことがあるような言い方をしていたけれど、個人的な付き合いだったのかしら。
「出来るなら、ブリティオンの組織との正面衝突は避けたいな。だが、向こうの名前が出ている以上、今後についての話し合いの場を持ちかけた方がいいかもしれない」
「それはどういうことですか?」
「セプス・アヴァールからブリティオンの名前が出たということは、向こうの魔法使いが……まあ、ブリティオンのローレンス家と関わりがあったということだろう?」
「ええ、確かにそう聞きましたが……」
「ブリティオンの魔法使い達は必ず『永遠の黄昏』という魔法使いだけの組織に属さなければならないと聞いている。まあ、うちの教団と似たようなものだな。……そして、ブリティオンのローレンス家ももちろんその組織に属しているだろう」
「……」
「つまり今回の件、どの魔法使いが関わっていようが、背後に組織という大きな存在がある以上、『永遠の黄昏』が一枚噛んでいないとは言い切れないだろう? ……その疑いを追及するための話し合いの場が必要となるだろうな」
「……確かに傍から見れば、ブリティオンの魔法使いを後ろ盾にセプス・アヴァールが、イグノラントの住民を使って人体実験を行っていた、と受け取ることが出来ますからね。ブリティオンの侵略行為として見なされる可能性もあるということでしょうか」
クロイドは口元に手を当てつつ、眉を思いっ切りに中央に寄せながらジェイドへと訊ねた。
「まあ、そういうことだ。……下手すれば、魔法使いの存在が表に出ることになる上に、国同士の戦争にもなりかねないからな」
ジェイドの言葉に、アイリスは喉の奥に何かが詰まったような感覚になった。
表向きにこの件が公表されてしまえば、ブリティオンの関係者であるセプス・アヴァールがイグノラント領のオスクリダ島の住民を殺したと捉えられて、国家間の問題になりかねないだろう。
それこそ、ジェイドの言っているように、ただの話し合いで解決出来るような事案ではないのだ。
……戦争に……。
もし、そうなってしまえば、教団の魔法使い達だって、戦線に参加させられる可能性もあるだろう。平穏に生きていただけの人達の命を脅かす日々が始まってしまうかもしれない。
思わず、背筋が凍りそうになったアイリスは拳を握りしめることで自我を保った。
アイリス達が強張った表情をしていることに気付いたジェイドは気まずげに頭を掻きながら、話の続きを話し始める。
「この件についても、上層部で話し合ってもらうさ。……エディク・サラマンについては俺の口からは何も言えないな。だが、魔物になっている以上、彼の魔力を知っている人間が傍に寄れば、エディク・サラマンだと気付くことが出来るかもしれない。その場合は、どうにか生け捕りに……いや、保護してから教団で診てもらうしかないだろう」
「……分かりました」
「確か、今回のエディク・サラマンの捜索はブレアに頼まれて来ていたんだよな? 教団に一度、戻った時に俺からもあいつに話を通しておくか」
エディク・サラマンを捜索する任務は始める前から、結果は決まっていたのだ。
エディクはブレアの知り合いだ。
真実を話さなければならないと分かっていても、そのことをどのように報告すればいいのだろうとアイリス達は悩んでいた。
そんなアイリス達の心苦しさを知っているのか、ジェイドが気遣うように言ってくれた言葉に、アイリスとクロイドは同時に軽く頭を下げることにした。
「……とにかく、今は考えることはあっても、悩んで立ち止まるわけにはいかない」
はっきりとその場に響くジェイドの言葉は、様々な清濁を知っているような重い言葉にも聞こえた。
きっと、彼も自分の心と折り合いを付けなければならない時が何度もあったのだろう。誰かの死を見送りつつも、逸らさずに歩き続けてきたのかもしれない。
今のアイリス達はまさに、悩み惑う境目にいる状態だと知っているからこそ、ジェイドは顔を上げるためにその言葉を紡いでくれたのだろうか。
「今回の件でライカだけではなく、アイリス達にも様々な言葉を吐いてくる輩が出て来るだろう。だが、お前たちの目は証拠だ。見てきたものも、知ったものも何もかもが証拠だ。……それを提示して欲しい」
恐らく、島の人達が魔物と化したものを討った件について暗に告げているのだろう。アイリスはジェイドが含みを加えた言葉を静かに受け取っていた。
「……上層部の話し合いの場に私達も参加する可能性があるということでしょうか」
アイリスの問いにジェイドは首を縦に振った。
「話し合いの場で必要となるのは証拠だけではない。証人も、必要だ。強制的に参加させたいわけではないが、出来るならばこの島で起きたことを証言してくれた方が、今後の方針も決めやすいだろう」
「……分かりました」
アイリスはすぐに答えてから、ライカの方へと視線を向ける。ライカも納得しているのか、首を縦に振り返してくれた。彼も話し合いが行われる際には出席してくれるようだ。
「それとライカの後見人についても決めないといけないな。……十五歳未満の者で教団に身を置くような事例は稀にしかなかったから、出来るだけ後ろ盾が強い奴の方がいいだろう。本当なら、俺が後見人になってやりたいんだが……」
そう言って、ジェイドはアイリス達の方へと視線を向けて来る。一体、どうしたのだろうか。
「……その件も帰ってから決めた方が良さそうだな」
何かを納得するようにジェイドは独り言を呟いてから、一つ大きな溜息を吐いた。ジェイドは自らの頭をがしがしと掻いてから、ばっと顔を上げる。
「それじゃあ、他にも報告書の資料に使えそうなものがないかを探しておくか。……ライカ、この島での調査が終わってから、早くても明後日の早朝にここを出発する予定だ。それまでに、身の回りの整理をしておくといい」
ジェイドのその言葉に秘められている感情をライカは受け取ったのだろう。一瞬だけ、瞳の奥が震えたように見えた。
一度、この島を出てしまえば、二度と戻ってくることはないと分かっているのだ。
彼が生きてきた十数年をここに置いていかなければならない──だからこそ、迷ってもいいはずなのに、ライカは静かに笑みを浮かべてから納得するように頷いていた。
「はい、分かりました」
全てを捨てると言わんばかりに、彼はたった一言だけそう告げたのだ。
……昔の自分を見ているみたいだわ。
ライカと同じくらいの歳の頃に、アイリスも元々住んでいた家から離れて生きることを選んだ。確かな目標があったからこそ、迷いはなかったがライカの場合はどうなのだろうか。
今、彼の原動力となっているものは一体何なのか。リッカが遺した言葉を実行しようとしているのか、それともそれ以外の決意を持って、進もうとしているのか──。
ライカに心の内を訊ねることが出来ずにいたアイリスは周囲に気付かれることなく、耐えるように拳に爪を食い込ませていた。




