その名は闇
『ここでまた一つ、仮説を立てる。あくまで私の推測だ。これを読む者はどうか真に受けないで欲しい。……仮に、この花に何かしらの移動方法があると考えて──例えば、風に吹かれて花びらが流されたり、鳥などの生き物が花を啄み、移動させたとする。その花が人間の口に入るような状況──つまり、井戸水に花が落とされたり、花を食した動物を人間が食べてしまった状況が起きたと仮定すれば、間接的にだが白い花を体内に入れたこととなる。白い花は花びら一枚で相当な成分が含まれている。そのようなものが気付かないうちに、体内に入ったとすれば、私が小動物を使って実験をした際と同じような状況起きるのではないかと考えたのだ』
仮定として進めていても、アイリスにとってはクリキ・カールがどこか確信を持っているように思えた。
『もしかすると、私の知らないうちに──それどころか、島の人達が自覚しないうちに白い花の成分を摂取している可能性だって考えられる。かなり危険な植物だと分かっているが、今はまだ白い花を燃やし尽くすことは出来ない。私が進めているこの調査と研究が、もう進まないと判断した時に白い花を焼き払い、大穴の底にはちゃんとした墓を建てたいと思っている。我儘で傲慢だと分かっている。ただ、今だけは秘密を暴いていく手を止めたくはなかった。納得いくまで調べ尽くし、そして私は全てを闇の中へと葬り去るのだ』
視界の端に映るライカが自らの右手で身体を抱きしめつつ、小さな息を漏らす。
彼の身体には白い花によって作られた薬が投与されているが、投与される以前から可能性として白い花を無意識に体内に摂取していたのでは、と恐れているのだろう。
『だが、白い花に含まれているものは、それだけではなかったのだ。大穴の底の土壌と同じように白い花にも微量だが、魔力が含まれていたのである。もしかすると、土壌の魔力を吸ったことで、花にも浸透したのかもしれない。観察したところ、この花はそれほど太陽の光と水を必要とせず、己の力で咲いているようだ。恐らく、魔力が含まれていることで、状態が維持され続けているのかもしれない。何のために咲いているのか分からない花だが、これは偶然の産物による植物なのだろう。それでも、私にとっては、人を惑わせる危うい毒花に思えた。ただの花ではない。人間が手にしてしまえば、これは想像以上に恐ろしい花になるのだ』
クリキ・カールは白い花について危機感を覚えていたようで、そこには他人に漏らすことなく秘されていた彼の考えが綴られていた。
『白い花は人を惑わせる。危ぶませる。そして、魔力を持っている稀有な花だ。これがもし、悪意を持った人間に渡ったとなれば、取り返しがつかないことが起きるかもしれない。きっと、様々なことに多用できる花だ。だが、それは全てが善意あるものとは限らない。だからこそ、この花の存在も闇の中へと捨てなければならないのだ。独占的だと思われるかもしれない。この花にはもしかすると私の知らない成分がまだ含まれており、何かしらの希望ある治療薬が生まれるかもしれない。それでも私は、目の前の平穏を守ることに決めたのだ』
白い花には、魔力が宿っている。その言葉にアイリス達はお互いに視線を交えた。これは教団に持ち帰り次第、重要案件として真っ先に調べられることになるだろうと察していた。
『ここに綴っているものはまだ、研究の途中であるため、次に書く際にはもう少しだけ調査が進んでいることを願いたい。私はまだ、これからもオスクリダ島に隠されている秘密を解き明かしていきたいと思っている。たとえ、人生の全てを費やすことになったとしても、私は進み続ける。「神様」と「神隠し」の正体を誰にも伝えないまま沈黙し、そして島の住人として過ごしながら、日々求め続けていきたいのだ』
クリキ・カールの手記はそろそろ終わりに差し掛かっているのだろう。締めの文章らしく、彼は次にも繋げていきたいという思いを綴っているようだ。
『そして、最後にこれだけを記しておこう。……「オスクリダ島」という名前についてだ』
まさか、文章の最後にオスクリダ島の名前に関することが登場するとは思っていなかった。
だが、名前に意味があるというならば、どのような言葉が意味として含められているのか知りたいと思ってしまう。
『「オスクリダ」という言葉にはとある意味があった。私もその言葉に意味が含められていると気付いたのは本当に偶然だった。古代魔法が栄えた時代について書されている本を読んでいた時に、その言葉は記されていた。つまり、古代魔法に関する言葉の一つだったのだ。島にオスクリダという名前が付けられたのが、時代のいつ頃なのかは分からない。それに関しても今は調査中である』
アイリスは顔を上げて、ライカの方に目配せしてみたが、彼もオスクリダ島の名前の意味を知らないらしく、首を横に振り返した。
クリキ・カールは古代魔法に関する書物を読んでいたと書いているが、恐らく論文のようなものなのだろう。
古代魔法は使用を制限されているが、それでも関連している論文などはいまだに書かれていた。
例えば、古代の魔法を解き明かし、どうしてその魔法が生まれたのか、またその魔法によってどのようなことが起きたのか、そして何故、禁じられるものとなったのか──そのようなことが詳しく書いてあるのが論文で、そして論文を書いているのは教団に籍を置いている魔法使いや歴史家の者ばかりだ。
アイリスも少し齧った程度だが、古代魔法に関する論文は読んでいた。
それでも、「オスクリダ」という言葉にどのような意味が含められているのかまでは知らずにいた。
『島の人達にも一応、聞いて回ったがやはり、島の名の由来や意味を知る者はいなかった。だから、今ここに密かに記しておきたいと思う。「オスクリダ」という言葉の意味。それは──「闇」だ。どのような意図があって、この意味を名前にしたのかは分からない。だが、意味を知った時、私は似合っている名前だと思ってしまったのだ。真実も偽りも、過去も何もかもが闇の中のままだ。そして、その闇の一部を知った私も、それらのことを闇の中に隠した。だからこそ、何と名前に見合った島名なのだろうと思えた』
オスクリダ──それは闇を意味する名前だったと、手記には綴られていた。
誰が、いつ、どのような思いを込めて、オスクリダと名付けたのかは分からない。
ただ、アイリス達もクリキ・カールさえも知らない、何かしらの理由か由来があったのだろう。それでも、その名の根となる部分に触れることはもう叶わないのだ。
『だが、最後にこれだけは言わせてほしい。たとえ、島の名前が闇を意味しているものだとしても、神様が本当は存在していないものだとしても、そこに住む人達は確かに己の意思を持って、生きているということを。彼らの人生は穏やかで、優しいものだ。私はそう信じているからこそ、余計なことを口にして、彼らの平穏な日常を脅かしたくはない。島の人達の純粋さは誇るべきものだ。私はその眩しさに憧れて、この島で生きることを選んだのだから。どうか、この手記を読んでいる者に伝えたい。真実を知ってもなお、島の人達の平穏を乱さないと約束して欲しい。たとえ私が神に攫われるようなことがあっても、どうか何も言わず、知らず、全てを忘れて──そして、闇の中へと隠して欲しい。私が望むのは、それだけだ。──クリキ・カール』
手記の最後にはクリキ・カールの署名がはっきりと記されていた。滲むことなく書かれている名前は、まるで契約書のようにも見えて、アイリスはつい名前をなぞる。
彼が残した言葉を二度と忘れないようにと、アイリスは凪のような瞳で手記を見つめていた。




