神隠しの正体
『そして、私は次に「迷える森」に注目した。オスクリダ島の中心となっている森の奥には、一度入ってしまえば二度と出られなくなると言われている迷える森があるのだ。まるで底なし沼のようだ。島の人が神隠しにあった際には、神様にこの迷える森へと連れて行かれるらしい。それでも、皆が律儀に森の中へと自ら入ることはない。それは森の中に入ってはいけない、という言い伝えをしっかりと守っている証拠なのだろう。迷える森は神様が住まう神聖な場所であるため、不用意に近づかないようにしていると島の老人も言っていた。……だからこそ、誰も森の中にある物について、何も知らなかったのだ』
クリキ・カールによって綴られている言葉はどれもアイリス達が疑問に思っていたことばかりだ。それらのことをどうにか客観的に探ろうとしていたのかもしれない。……たった一人で。
『私は島の人達の目を掻い潜り、一人で迷える森の中へと入ってみることにした。準備は万端であるが、誰も踏み入れたことのない場所に自ら足を進めていくのにはかなり勇気が必要だったように思える。それでも、知りたいという欲求で無我夢中だった。だが、私はある意味、愚かだったのかもしれない。よく言われている言葉に、知らなければ幸せだったという言葉があるが、まさにその通りだろう。……知らなければ、私はこれほど心苦しい日々を送らずにいられたかもしれないのだから』
悔いる言葉だが、それでも文章が綴られる手付きはしっかりしているようだった。クリキ・カールがいかに冷静にこの手記を書いたのかが窺われる。
『私は島の地図と方位磁石を頼りにとりあえず、島の中央となる場所へと向かうことにした。誰も入らない森の中だけあって、草木は手入れされておらず、伸び放題だった。だからこそ、油断していたのだろう。そろそろ島の中央辺りまで辿り着いた頃だろうと思った矢先、私が歩いていた場所が突然、消失するなど誰が想像出来ただろうか。伸び切っていた草によって、前方と足元が見えなくなっていたことも原因だろう。私は足元に空虚なる穴が広がっていることを予見しないまま、まるで蟻地獄へと吸い込まれるように、身体を穴の中へと投げ出してしまっていた』
この文章に記載されている「穴」とはもしかして、巨石が佇んでいた場所のことを指しているのだろうか。
確かにあの辺りは草が伸び切っており、巨石を置いていなければ巨大な穴が開いたままで、少し危険が伴う場所だっただろう。
だがアイリスは考えを巡らせるよりも先に手記の続きを読むことにした。
『私の身体は反転したが、咄嗟に魔法を使ったことで、何とか怪我を負わずに済んだ。落ちた穴の先の地面に何とか着地してから、そして私は周囲を見渡し──ある種の絶望をそこで受けてしまった。自分の足元のすぐ近くに倒れているのが人間だと気付いたからだ。その人物の顔を確認してみれば先日、神隠しにあったと言われている若者二人の遺体だった。彼らは深い穴に落ちた衝撃ですでに落命していたらしく、動いた様子はみられない。彼らもまた、自分と同じように森の中へと入り、この穴へと落ちたのだとすぐに察せられた。そのことを憐れに思い、何か彼らが身に着けていた物を一部、遺族へと持ち帰ろうとして、もう一つ気付くことがあった』
読み進めているだけなのに、どうしてこれほどまでに心臓が慌ただしく脈打っていくのだろうか。
秘せられていたことが解き明かされようとしているからかもしれない。
これは焦りか不安か、それともまた別のものか、アイリスには判断出来なかった。
『ふと、見渡せばそこにあったのは数えきれない程の白い骨だった。職業柄、骨を見ることはある。だが、重なるように積まれている白い骨は今まで見た中で、初めて不気味さと恐怖を覚えるものだった。この白い骨の持ち主達も穴へと落ちて、死んだのだろう。しかも、ここ最近ではない。見ただけでもかなりの月日が経っていると判断出来た。そこで私は思ったのだ。もしや、この穴に落ちて、姿を消すことが「神隠し」と言われている言い伝えの正体なのではないかと』
その文章を読んでいた時、誰かが引き攣った声を漏らした。アイリスは震えそうになる手に力を込めて、ノートの次のページを捲っていく。
『穴から頭上を見上げれば、目測だけでもかなり深い場所まで落ちてきていることが分かった。たとえ生きていたとしてもこの場所を自力で、道具も持たないまま上ることは困難だろう。つまり、二度と出ることが出来ない穴だということだ。もし、これが神隠しの正体だというならば、何故攫われることが幸福だと思われているのか──。いや、それよりも、この場所は一体何なのだろうか。そればかりが私の心を駆り立てて行く』
焦る気持ちを抑えながら、アイリスは唾を飲み込み、文字を追っていった。
『そして、もう一つのことに気付いた。足元に群生しているのは、淡く発光している白い花だった。ゆらりと揺れては花弁から花粉らしきものを飛ばしている。しかも、何故か甘い匂いがするのだ。だが、そこで私はすぐに防御魔法を自らの身体へとかけた。この匂いを深く嗅いではいけないと判断したからだ。医者をやっている手前、薬の知識はそれなりに持っている。そのため、この匂いにどのような成分が含まれているのか、すぐに気付いたのだ。これは毒草だ。自ら光るなど、今まで見たことのない花の種類であるため、名前までは分からないが匂いで毒草だと判断した。甘ったるく、鼻の奥に残るような重い匂いはまるで誘われるように甘美な蜜にも思えた。この毒草は人の感覚を狂わせ、そして惑わせるものなのだ。魔法をかけていなければ、きっと甘い匂いに自分は酔ってしまっていたかもしれない』
どくりと心臓が鳴ったのはライカだったのだろう。彼の身体の中にはいまだに白い花によって作られた薬が残ったままだ。
防御魔法を受けずにあの匂いを嗅いでしまえば、無意識に身体が求めてしまうのだ。今後は薬を抜く治療もしていかなければならないだろう。




